社会の独房から

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FGOにおける嫌ならやめろは正論なのか

私も絶賛プレイしてたり休憩したりしているFate/Grand Order』ことFGOが、プレイしていると色々文句の一つも出てくるゲーム及び運営だと思うが、それをいうと「嫌ならやめろ」や「文句言うならやめろ」「時間の無駄」と反発をくらうのをよく目にする。

「嫌ならやめろ」というのは魔法の言葉で圧倒的説得力があるように見えるし、言っている方も手軽に論破した感じになって気持ちの良さを得られる。

ただ、その「嫌ならやめろ」はFGOにもおいても正論なのだろうか。

 

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 なぜ文句を言いつつFGOを辞めないのか

意識、無意識の違いはあるが人は何かをするとき、自分の中で優先順位をつけている。

私の優先順位をFGOで例えると

1ストーリー

2キャラクター性

3ゲームの面白さ

であり、これが小説とかただのノベルゲームであればこんな事は起きなかったのだが、ここで問題なのがFGOはストーリーを読むにはゲームのノルマを達成しなければならないという事。

 

しかもストーリーより周回要素というゲーム性やロード時間の方がプレイ時間が圧倒的に長いゲームであり、そこで苦痛や文句、弱音がでてくる。

確かにFGOというゲームがただのノベルゲームではここまで話題にならなかった可能性は高いし、何より売り上げが全然違っただろう。

ただ、それは理解出来るが、だからといって面白くもなくロードも長いゲームをやらされて全てを笑顔で享受しろというのはあまりにも傲慢だと思う。

そこで「嫌ならやめろ」と言われても「いや、ストーリーを人質に取られてるし」となる。これはゲームを面白いと思っている人は解り合えない事だし、平行線のままになってしまうが、FGOのゲーム性を好きになれない気持ちを少しは理解して頂けると有り難い。私だって本当はゲーム要素を楽しみたい。

よっぽど我慢出来なくなったらやめるだろうが、好きな連続ドラマを忙しくて途中で視聴をやめた時のような残尿感が残ってしまう。

そもそもエアプが文句言うなと言われ、嫌ならやめろと言われ、やめたら文句言うなと言われる、無敵の三段活用があまりにも蔓延しているのが全体的に界隈全体をブラック企業化している要因だと思う。

私も出来るなら辞めたいから早く普通のノベルゲームとして作り直して欲しい。

 

なぜFGOの文句を許せないのか

以上の理由で辞めたくても辞めれない私たちを許せない層はいる。

ネットで文句を言っていると「外圧」というレッテルを貼ったりする層だが、

確かに自分の好きな作品が叩かれたりしていると悲しくなる気持ちは分かるし、過剰に暴れすぎているアンチがいるのも事実だが、「嫌ならうやめろ、時間の無駄だ」と言うなら、それに相手しているのも時間の無駄ではないだろうか。

こはもう仲良くする必要もないのでミュート機能など活用して淡々と自分の心地の良いTL(世界)を自分で作っていくしかないと思います。

 

最後に

よく、楽しんだモノの勝ち。嫌いなモノを語るのは時間を無駄で、楽しいと思うモノを語り合った方が有意義という風潮が社会にはある。

でも私はその風潮なあんまり好きではない。嫌いというのも大切な感情だし、その気持ちを人前にださないというのは精神的によくないと思う。私は自分の負の感情も大事にしてきたい。ここってクソだよねーっていいながらゲームをしたい。それを見て不愉快になるのは本当に申し訳ない事だが、そもそも他人の顔色を伺ってネットで生きるのは余りにも辛過ぎる。

すまん、私は嫌いが好きなのだ