「楽しいの?楽しくないの?」
第一話でアジアで初めての国際オリンピック委員会委員への就任が打診され悩む嘉納 治五郎の問いがこれである。
「楽しむ」ということが悪という風潮が強かった時代、楽しさを抑える従来の道徳教育での問題意識をもっていた嘉納 治五郎はオリンピックを通して国民に運動の楽しさを知らしめ、国民体育の発達を目指した事からこのドラマは始まる。
そしてそんな言葉を胸に秘め、第一部の全24回ただただ走り続けたのが金栗四三である。そんな彼の姿に人々は笑い、勇気付けられ、そして自分自身も奮い立ち、一歩一歩前進し、次世代にバトンを渡していく。
時代劇でもないし、合戦シーンもない。そんな「大河」ドラマ『いだてん』第一部の感想を三人の主人公を中心に書いていく。
韋駄天、その走り
金栗四三は挑戦と挫折の人生だ。
日本人初のオリンピック選手にして、その足の速さから人々から「韋駄天」と呼ばれていた金栗はオリンピックというプレッシャーと、初の海外だからこそ出てくる環境の不慣れさ、文化の違いの戸惑い。そういうあらゆる事が金栗を襲い、初のオリンピックは良い結果を残す事が出来なかった。
次のオリンピックでは心身共に絶頂期だったにも関わらず、戦争の為に中止になってしまう。
そんな悔しさをバネに次にオリンピックに参加するも、もはや走り過ぎていた金栗は限界を向かえており、ピークの時のような走りはもはやそこにはなかった。
とうとう彼はオリンピック選手を諦め、次は次世代の育成に本気を出す。
特にまだ、この時代は女子スポーツは世間から認められていなかった為、彼は日本女子へのスポーツの普及を志す。帰国し、東京府立第二高等女学校へ赴任した四三は、授業を差し置き女子生徒らにスポーツを推奨していく。
最初は反発も大きかったが、体を動かす事の楽しさを知っていく女子生徒達は段々とスポーツに興味を持つ。金栗自身も教育者として人として成長していく。
そんな彼をどん底の落とす事が発生する。
「関東大震災」だ。
彼はそこで大切なモノや人を亡くし、傷心して地元である熊本に帰る。
そこで彼は「韋駄天」とは人々のために走って、食い物集めて運んだ神様だという事を知る(最大の苦難の時にタイトルの「いだてん」の意味が回収され主人公が再起するの人類みんなが大好きな奴)
そして彼は日本人初のオリンピック選手でも、震災での悲劇のヒーローでもなく、韋駄天として、一人のアスリートとして走りで人々を救っていく。
そんな彼を妻のスヤさんは「馬鹿が走っているのを笑ってもらっているだけよ」と言う。
そう、第一話で嘉納 治五郎の「楽しいの?楽しくないの?」という問いはここで回収される。国の使命でも、責任でもない。楽しいから走るのだ。思いっきり走る事は楽しのだ。そんな楽しそうに走っている金栗にみんなが元気を貰えるのだ。
金栗四三はオリンピックではなくても、これからも走り続ける。
彼こそは「韋駄天」なのだから
落語
本作の演出で一番の賛否両論ポイントはこの落語シーンだと思う。
落語のシーンは本当にいるのかと、クドカンの趣味に走りすぎではなどの批判はネットで何回も観てきた。
だが、私は断言する。
落語はいると。
富及などのエピソードに落語のネタを重ねるのも面白いし、何よりも圧巻だったのが関東大震災の回である。
震災と厩火事を重ね、夫婦は茶碗が割れても切っても切れぬ縁、そしてあっけなく失われる縁だと言うことを見事に描く。
「弁天池に逃げ込んだ吉原の娼妓達
着物が、髪が燃え、水に飛び込む
溺死した者の上に死者が重なり、池は人の体でうずまった」
震災による様々な浅草の悲劇を「噺」の形で淡々と語らせる。
真実を滑稽に包み、それでも包みきれない悲しさが視聴者に衝撃を与える。
「噺」だからこそ、伝わる。そんな事ってあると思う。
受け継がれるモノ
シマちゃんという人がいた。
まだ、女子スポーツというモノが認めれていない時代。それでも女子スポーツを広げようと頑張ってきた人だ。
彼女は「私はまだ何もしていない」と焦っていた。
教師者として働いたり、妻として、母親として活動したりしていた彼女だったが、それでも彼女は「私はまだ何もしていない」と焦っていた。
そして関東大震災。
彼女は行方不明となった。
彼女と夫である増野さんは諦めつかず、必至に探すものの見つからず。
では彼女は本当に「何もできなかった」のか。
それは違う。
シマさんは居なくなってしまっても彼女の言葉に行動に動かされた人見絹枝さんがこれからの女子スポーツを引っ張っていく。
彼女はこれからのオリンピックで多大な成果を出し続け、女子スポーツの発展に大きく貢献していく。
そう、シマさんの想いが夢が女子スポーツの幕開けとして次世代にバトンを渡していくのだ。
そして夫の増野さんも妻が愛した、人生を賭けた「女子スポーツ」の未来の象徴である人見絹枝さんの活躍を観て、シマちゃんの不在を認めるのも、彼女の全てを愛して受け入れた増野さんらしさがあって良かった。
最後に
『いだてん』というドラマは様々なエンターテイメントを内包している。
娘が足を出して走る事に反対していた村田父をただの敵役に終わらせるのではなく、関東大震災では医者として必死に働き、井戸に毒などそういう嘘に惑わない人として描く、ただただ悪人などこの世にはいないのだ。
落語パートでお前必要なのかと言われていた若き落語家が実はシマちゃんの孫だという事がわかるサプライズも用意周到に置いてある。
1話1話を丁寧に描いているからこそ、小さな伏線や描写に感動する。
このドラマは確かにスタートは2020年にある東京オリンピックのプロパガンダがあったかもしれない。ただ、走って行く中でそれでもこのドラマはクドカンの脚本とスタッフ達の努力、そして演者達の熱演により、今までにない最高な「大河」ドラマとして成り立っていると大きな声で言いたい。
勘違いして欲しくないのはこのドラマは決してただのスポーツ賛美ではなく、人間賛歌なのである。「全体主義」の中で「国の代表」という重責を描きながらも個人としてのマラソンの情熱を描き、自分達が未来への架け橋になることの重要さを描いている。
金栗四三の「走り」が、落語家の「噺」が、シマちゃんの「想い」が世代を超え、受け継がれていく。そういう「大河」なのだから。
真面目に書いてきました。このドラマ。これからの第二部もどういう展開を見せてくれのか本当に楽しみです。
最後になりましたが、一言いいですか。
美川くん元気にしているの!?
視聴者が最後に見た美川くんの姿が路上で女子達の写真売ってた光景なのやばすぎる。