社会の独房から

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映画『天気の子』感想。シン・新海誠汁、度数100%に気持ち良く酔える大傑作

悲惨な事件があった。

テレビやネットでは連日その話題で持ちきりで、何とも言えない負の感情が僕を支配していた。それは決して怒りや憎しみで心が燃え上がっているのではない。ただただ、巨大なマイナスの感情に身体中が覆われ、どうしようもない無気力さに打ちひしがれ涙がこぼれ落ちるだけだ。

それでも目の前にはやらないといけない仕事があるし、サラリーマンとして、大人としての責任も一応ある。この社会では自分の感情と社会とルールとの折り合いをつけながら生きていかないといけない。今までの人生そうやって生きてきた。どんな時も、どんな悲しい時も。それは分かっている。分かっているが、非常に苦しい。

心がどうしようもなく苦しいのだ。

ゲームをしたり、テレビを見ても心が晴れることなどなく、この映画も観る元気が沸かなかったが、まだ、こんな事件が起きるなんて微塵も思っていなかった時に予約したIMAX料金の2800円を無駄にするのも悲しかったので、少しでも気分転換になると想い、家を出て足取り重く『天気の子』を観た。

観たんだ。

それは、今の僕にはとっても衝撃的な体験で

今の僕はどうしても必要な物語だった。

身体中から「生」を感じだ。

そんな『天気の子』で感じた事を、想いを止めどなく書いていこうと思う。

我慢出来ずネタバレもあると思うので、未観の方はこんな駄文読んでる暇があったら是非劇場に行って欲しい。ただ、それだけだ。

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君の名は。』以後の新海誠作品の意義

新海誠監督の前作『君の名は。』は日本で特大のヒットをとばし、興行収入250億円を超すという意味が分からない数字になった。

僕も大好きで4回ぐらい観たのだが、興行収入とは逆に批判の声は少なくなかった。「タイムスリップで過去の災害をなかった事にする許し難い物語」「口噛み酒など性を売りにしている」「入れ替わりの度に胸を揉むのはやり過ぎ」「いくらヒットしても中身がないから人の記憶に残らず、すぐに忘れ去られる」などあり、それはテレビで放送される度に同じように炎上し、叩かれた。

作品の批評に留まらず新海誠監督の人間性まで「気持ちが悪い」と叩くのはどう考えてもやりすぎではと一ファンでしかない私ですら憤りを感じる事があったのに当の新海誠監督は一体どういうお気持ちなんろうかと常々考えていたが、『天気の子』のパンフレットに

「じゃあ、怒られないようにしよう」というふうには思わなかったです。むしろ「もっと叱られる映画にしたい」と。そのとき自然に浮かんできたのがそちらの感情だったんですよね。『君の名は。』に怒った人をもっと怒らせたい。たぶんそれこそが、そのときの僕の表現欲求の核にありました。

 

 と書いており、新海誠監督の強い意志にビックリしてしまった。

恐れらく傷ついたり、戸惑ったであろう事は慮かれるが、それでもそういう批判も聞き、その上で自分の作りたいモノを作る。そんな覚悟を感じる。

そして本作を観た方には分かると思うが、確かにガワこそ『君の名は。』だが中身は『雲の向こう約束の場所』などの以前の新海誠テイストがふんだんに溢れていて、観た人が新海誠汁度数で酔ってしまう出来になっている。

これをあんな大ヒットして新規顧客を獲得した後にお出し出来るのも凄い。

「俺は立ち止まらない。成長し続ける」という熱い覚悟のようなモノを受け取った。

そして本作では前作にあった「タイムスリップで過去の災害をなかった事にする許し難い物語」という批判があったからこそ、『天気の子』という自分達の悲惨な運命を受け入れ、それでも必死にもがき、自分にとっての大切なモノと向き合って生きていく物語を作れたのだと確信する。

本作で新海誠監督のこれからの作品を信頼して観てるようになった人は多いと思う。

 

間違っている子供

「あの日、私たちは世界の形を決定的に変えてしまった」というキャッチコピー。

まさか、比喩とかではなくてそのままの意味だとは思わなかった。大雨で水没してしまった東京。

そのような選択をしたてしまった主人公の帆高くん。

恐らくここが本作の最大の賛否両論な所だと思う。

本作のストーリーラインで大きく似ているのが新海誠監督の過去作『雲の向こう、約束の場所』だ。

雲のむこう、約束の場所

少女の運命が世界の運命とリンクしており、世界を救うことと1人の少女の命を救うことを天秤にかけるというシチュエーションそのものは全く同じだが、最後の結果が全く違う。

雲の向こう、約束の場所』では主人公である2人の少年は、世界ではなく少女を救う決断をし、少女を救いながらも爆弾で塔を破壊して世界の崩壊を防ぐという合理的な手段で両者を救う。しかし、救えたものの少女は2人の記憶や恋心をも忘れてしまい、結局少年少女が結ばれることはないまま終わってしまうというビターエンドで物語が終わる。

一方で、『天気の子』の帆高くんはそういう行動はしなかった。

彼にはヒロインである陽菜か世界かどちらかを選ぶことしか出来なかった。

なぜなら彼は特別な能力なんてないただの少年であり、走る事しか出来ないからだ。

雨が降り続ける世界で陽菜と共に生きることを選ぶのか、それとも晴れ渡った世界で陽菜なしに生きるのか。

そして、彼は前者を選んだ。それは同時に世界を不幸にする事を選択したとの意味でもある。

ヒロインと世界、どちらかを選ぶというのはある種、ありきたりと言うか、多くの名作を生んでいる物語でもある。

ゲームでも『FF10』や『テイルズオブシンフォニア』など沢山あるが、そのどれもが、ヒロインと世界どちらも救うという選択をしている。

それはハッピーエンドとして順当で正しい。

だからこそ間違っている帆高くんの行動に多くの大人がストレスに感じる。

社会では間違いな選択をしてはいけないからだ。

そのような理由で、多くの人が見終わったあとに「一人の女の子の為に世界が壊れても良いのか」という疑問に対して、新海誠監督は「壊れるってなんだよ!それって現在の人間が勝手に決めただけだよね!!?」とねじ伏せる構造になってり、僕は打ちひしがれた。

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(C)2019「天気の子」製作委員会

 

パンフレットだど「異常気象は人間が悪い」的な事も書いてあって、それってつまり「社会のために犠牲になる女の子」を男の子が全力で救う話にもなっているし、瀧君の祖母が言っていた(瀧君母親本当に気になる)「何が正常なんて、誰か決めるんだい」という台詞。もしかしたら大昔に誰かが犠牲になって無理矢理変えたのが今の「晴れ」なのかもしれない。帆高くんがそんな壊れた天気を直したという可能性もある。真実なんて誰にもわからない。

だからこそ、大人ではない少年は自分が信じた事に対して真っ直ぐ走る事が出来るんだ。

 

そして最後の再会のシーン、散々主人公達は悪くない、世界なんてそんなモノというフォローが入った後に力を失ったもなお晴れを願う陽菜を帆高くんも観客も目にする。

「そんなものさ」と目をそらさずにいる彼女を見てもう一度自分達の「罪」に直面し、それでも、それだからこそ「大丈夫」と想った帆高くん。

彼らの人生はこれかは始まる。

正しい大人

本作のもう一人の主人公と言っても良い、小栗旬さんが吹き替えをしている須賀。

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(C)2019「天気の子」製作委員会

 

彼は元々は帆高くんと似たような少年時代を過ごし、そして今は僕たちと同じような「大人」になっている人だ。

彼は帆高くんの最大の壁でありながらも、多くの大人が彼に共感する所がある。

本作を通して、彼は最後以外に間違った行動を起こしていない。

須賀は本作の常識人であり、世間や観客の代弁者でもある。だからこそ観客は加賀に同情し、主人公である帆高くんに共感出来ない。

そう『天気の子』とは帆高くんと社会の「正しさ」の対立であり、だからこそ今、これを観る事にここまで心揺さぶられるのだと思う。

大人になると知ってしまう。

この社会は個人の幸せではなく、最大多数の幸せが優先され、そこには「個」がいない事を。

大人になると知ってしまう。

どれだけ走っても掴めない、守れない現実がある事を。

だからこそ、大人は失ったモノではなく、今あるモノを必死に守り生きていく事を。

 

小説のあとがきで新海誠監督は「映画は学校の教科書ではない」と書いてあった。

正しくある必要なんてなく、教科書と批評家とは違う言葉で物語りを描くと書いてあり、それがそのまま本作『天気の子』に出ていると思う。

そして気付く。僕は、物語に「正しさ」なんて求めてないという事に。

最近のフィクション作品に対する様々な議論の中で、物語自体に正しさが求められる時代、そんな世の流れに対して主人公は、新海誠監督は「うるせ~知らね~」と言ってくれる。僕はこういう作品を待っていたんだと心からそう想う。

 

そういった「正しさ」が帆高くんたちを追い詰め、「間違っている」ものが彼らの未来を切り開いていく。

大人では諦めてしまう、そんな明日を少年は掴み取る。

そんな力強い物語なのだ。

だからこそ、須賀も間違った選択をし少女の為に必死になる帆高くんに自分の少年時代を重ね、間違いを恐れなかったあの日々を思い出し、そして叫ぶ「行け」と。

 

そして最後、自分のした事の責任を感じる帆高くんに「自惚れるな、こんなものは代償ではないんだよ」と行ってくれる須賀。全てが眩しい。

本作は嫌な大人がほぼ登場しないのが美しい(キャッチの男ぐらい、彼の家族出てくるシーンはほのぼのしていて好き)誰もが少年達のことを想っている。正しいのだ。だからこそ、そんな正しく優しい現実を殴りつけ、銃を撃ち、全速力で走る少年がどうしようもなく輝く。

 

「Weathering with you」

『天気の子』の副題である「Weathering with you」

これは天気を意味する英単語だが、動詞だと〈あらし・困難などを〉切り抜ける,しのぐという意味である。

そう、これは一種ダブル・ミーニングになっており、困難を切り抜ける少年少女を意味している。

 

僕たちが暮らしているこの社会は連日、観ていて辛くなるような事件、事故などの連続で、心が閉じて生きていかないといけない。

そうしないと辛く、それが大人になる処世術だと実感する。

それでも、

この世界にはどこかで、一心不乱に走っている少年、少女がどこかにいるかもれない。

傷つきながらも走っているのかもしれない。

そんなちょっとした可能性を感じられる『天気の子』

 

そして、エンドロール中、今までなら早く終わって欲しいと思っていた知らないスタッフ達の名前。でも今は違う。この一人一人が情熱と夢を抱きながらアニメという素晴らしいモノを作り続けているという今まで気にしもしなかった事実に涙が出てきてしまう。心を締め付けられてしまう。僕が当たり前の様に見逃していたこのエンドロールにこそ、大切なモノが詰め込まれている事に気づく。

 

泣くだけ泣いて観終わった後、ほんの僕は少しだけ観る前より足取り軽く劇場を後にする事ができた。

僕に出来る事なんてたかが知れているけれども、自己満足かもしれないけれども、帰りにアニメイトで募金していこうと思う。僕はもう、大丈夫だから。