子供の頃に『銀色の髪のアギト』を見たハズなのに、内容を思い出そうとも全く思い出せなくて、何とか絞り出して思い浮かんだ感想が「実質ジブリの寄せ集めみたいな奴だったな~」だった本作。
『ピーターラビット』は実質ヤクザ映画とか『すみっこぐらし』は実質『ジョーカー』みたいなインパクトだけを狙ってパワーワードを利用したツイッターオタクみたいな感想しか思い出せないのは流石に製作陣に悪いなと思い、アマゾンで初回限定盤(約14年前なのにまだ新品の初回限定盤が残っている事に驚き、心配になる)を購入し、また資料になりそうな本を何冊かゲットできたので感想を書いていきたい。
【監督】杉山慶一【原案】飯田馬之介【脚本】椎名奈菜、柿本直子【主題歌】KOKIA【製作】 GONZO
あらすじ
緑化プロジェクトにて遺伝子操作された植物の暴走により、月は破壊され地球は人類存亡の危機に瀕した。 それから300年後の世界。 主人公アギトと植物の暴走を止める鍵を持った少女トゥーラが出会った。 自然との共存を訴えるファンタジーアニメ。
本当にジブリみたいなのか
「実質ジブリの寄せ集めみたいな奴だったな~」という感想。見直した後なら分かる、間違っているし、間違っていない。
「自然と人類の共存」がテーマであり、それを『風の谷のナウシカ』の世界観で『天空の城ラピュタ』のストーリーをやるという奴。
簡単にまとめると
- カタストロフ後の地球で、自然が人類を襲う。→ナウシカ
- 平凡に暮らしていた少年が、ひょんなことから女の子に出会う。→ラピュタ
- その女の子は世界の鍵を握る→ラピュタ
- そしてそれゆえに、軍に狙われることになる→ラピュタ
- 敵となる軍の偉い人は、実は女の子と同じ境遇の持ち主であり、歴史や世界、アイテムに誰よりも詳しい→ラピュタ
- 少年が少女を取り戻すために、大暴れ。→ラピュタ
- その女の子の力は古代文明を起動する鍵→ラピュタ
- 軍の偉い人はその古代文明を私的に利用する野望を持っており、途中で軍の仲間を捨てて女の子と二人で古代文明の中枢に入る→ラピュタ
- 男の子はその古代文明に忍び込み、女の子を守るために戦う→ラピュタ
- 最後に悪い人を倒し、古代文明を止め、男の子と女の子は平穏を取り戻す→ラピュタ
- 人間と自然の共存の形→ナウシカ
こういうのって「要所書きのマジック」って言ってどんな作品でもこういう要所だけを書き出すと似たような感じになるので話半分に見て欲しい。ただ、ブログ作成に当たって3回見たけど3回とも「ジブリみたいだな~」とも私は思ってしまった。
↑作画も序盤はジブリみたな表情や動きがある。
初回限定盤の冊子についていた杉山慶一監督のインタビューでは
飯田さんからは「昔のアニメの王道を今の技術でやりたい」と最初に言われ、具体的に上がった名前は『ホルスの大冒険』とか『長靴をはいた猫』などであり、宮崎駿さんが若いころに参加した作品ですが、監督時代の作品にはあえて言及していない。
また、単なる昔の繰り返しでは意味がないので、そのテイストを念頭におきながらも、「今までにないものをやろう」ということを目標にしました。
と書いてあるが、ホンマか?って徹頭徹尾疑ってしまう。
確かにGONZOによる初のオリジナル長編劇場アニメ作品なので、色々な横やりがあって段々とジブリみたいになったのかもしれない。企画から7年経っているので、その間によくわからない事になってしまったのかもしれないし、元々5時間まで膨らんだストーリーを1時間半にまとめるには『風の谷のナウシカ』のストーリーがあまりにも完成しているのかもしれない。
また、『銀色の髪のアギト コンプリート』で杉山慶一監督は
「やはり宮崎作品の力は大きくて、アニメ界の隅々まで影響を及ぼしている。(中略)よく見てもらえればわかると思うんですが、全然ジブリさんとは違う」
とコメントしており、ジブリの影響はあるかもしれないが、本作はジブリとは別物と強調している。
ただ、どうしても本作は「主人公の少年アギトが過去に封印された少女トゥーラと運命的な恋に落ちるボーイミーツガールモノであり、彼女のために戦う中で、自然と人とが共存して生きる道を模索する環境問題をテーマにした物語」と認識されてしまう。
しかし個人的には、アギトがトゥーラを取り戻すべく行動するのは、トゥーラ本人のためというより、このままでは父親と彼が作った街に危機が来るからというように見える(アギトがトゥーラに対して好意がない訳ではない)
本作はボーイミーツガールのフリをした親子の物語が本作のテーマではないろうか。
父親が残した「現在」の世界を愛し、この世界で変わらずに生きる事を願うアギト。
父親が残した「過去」の真実を探求し、この世界を元の世界に変えたいと望むトゥーラ。
この2人の道は途中で分かれるが、トゥーラは父親が残したモノの恐ろしさを知り、また父親が自分で世界を元に戻す装置のスイッチを押さなかった真意、次世代に託すという想いを受けアギトと和解する。
アギトやトゥーラ、また脇役のカインやミンカといったキャラクターまでもが親子関係を描いているが、敵であるシュナックだけは「親」を描いていない。彼だけが繋りがないのだ。だからこそ、最後「森」と一体化し、新しい繋がりを得たことで満足する。
また、登場人物の多くが他人に何かを強制するのではなく、「自分の意志」を尊重する。
親を含んだ人と人との繋がりの大切さを描いているのかもしれない。
↑ヒロインは可愛い。流石緒方剛志さん。特にこの服装のまま水に濡れるのはフェチを感じる
環境問題に対しても杉山慶一監督は
テーマは人間関係ですよ。それも、基本的には親子の関係。
一見、森や自然を中心に扱っているように見えますが、この話の帰結する先は自然ではなく人間です。(中略)もしこの『銀色の髪のアギト』という作品を誰かが違う演出をしたいっていい出したなら、森や自然を使わなくてもいいんです。
とコメントしており、「自然と人」ではなく「人と人」の物語を作りたかったのがよく分かる。
つまり「主人公の少年アギトが過去に封印された少女トゥーラと運命的な恋に落ちるボーイミーツガールモノであり、彼女のために戦う中で、自然と人とが共存して生きる道を模索する環境問題をテーマにした物語」というのは表面上であり、そこを踏まえて、「人と人との繋がり」を描こうとしてうまくいかなかったのが『銀色の髪のアギト』であると言える。
「トゥーラーー」
本作の最大の見どころは主役であるアギトを演じ、前田敦子と結婚した勝地涼の初の声優演技による「トゥーラーー」だろう。
「トゥーラーー」とはヒロインの名前だが、この名前を滅茶苦茶叫ぶ。
アギトがトゥーラーと言った数を数えた結果
35回であった。
一時間半の映画である。
そりゃ、『ラピュタ』でもシータと連呼することはあるがここまでではない。
前半までは子供らしい感じのアギトなので「トゥーラーー」も優しい感じだったが、銀髪の強化体になった後は、ターミネーターみたいに感情が薄くなるし、力を制御出来ずに『AKIRA』におけるアキラみたいになるし、木遁の術を使うしで兎に角、不穏だ。
走りながら「トゥーラーー」
右手が暴走しながら「トゥーラーーーー」
上から落ちながら「トゥーラーーーーーー」
こんなストーカーいたら間違いなく泣いちゃう。
また俳優さん特有の起伏のない演技なのだが、それではいけないと思ったのか「ー」の増減で感情の起伏を表現している。
その上、「○○だ!トゥーラーー」とか「「トゥーラーー、○○だね」みたいな会話文ではなく、「トゥーラーー」という単語だけを連発してくるのも怖さに拍車をかけている。
まぁでも声優で一番酷いのはよゐこの濱口優なのは間違いない。宮崎あおいのトゥーラは控えめに言って最高。
↑飛んでくる岩石をぶっ壊したり、出番は少ないがやたら印象的なおっさん。
最後に
赤字ではなかったけれど、ヒットもしなかった本作。
映像も音楽も悪くはないし決して面白くない訳ではないが、何か物足りない。
何かが物足りない。
見終わった今はこの作品を「ジブリみたいな作品で終わらせていいのであろうか」と感じてしまうが、1年後になると『銀色の髪のアギト』の内容を思い出そうとも全く思い出せなくて、何とか絞り出して思い浮かんだ感想が「実質ジブリの寄せ集めみたいな奴だったな~」ってなる奴である。