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Netflix『呪怨 呪いの家』感想。厭が加速していくこの感覚

「人を怖がらせる」ために作られた映画はどうしてこんなにも多くの人を惹きつけるのだろうか。

個人的には「恐怖」に勝る感情の動きが中々ないからだと思う。

気持ちの揺れ。

美しいモノや、綺麗な物語を観ても楽しめたり癒されるが、人体破壊や吐き気を催す邪悪さ、これから厭な事が起きそうなドキドキ感、そういう恐怖をフィクションとして楽しむカタルシスに勝ることは難しい。

 

恐怖にはストレスが伴う。

昨今、「ストレス」という用語はマイナス的に扱われ、否定される事が多いが、私たちが生きていく中で避けては通れないモノでもある。

しかし、管理可能なストレスには利点もあることが分かっている。免疫反応が引き起こされ、それによって免疫系が強化され、より大きな脅威に対応できるようになる。

 

「野菜や果物といった植物に含まれる体にいい化学物質の多くは、昆虫などに食べられないようにするための毒として進化してきたものなのです。こうした植物を食べると、わたしたちの細胞には適度なストレス反応が引き起こされます。たとえばブロッコリーにはスルフォラファンという物質が含まれていて、それは明らかに細胞のストレス反応を活性化させ、抗酸化酵素の量を増加させます。確かにブロッコリーは抗酸化物質を含有していますが、食事で摂取する程度の量では、抗酸化効果は期待できません」

少量の有害物質は適度なストレス反応を導き、細胞を元気にする。

 

上質なホラー映画は私たちに丁度良い緊張感と恐怖、嫌悪感を与えてくれる。

 

だからこそ我々の精神はホラーを求めるのかもしれない。

 

 

ただ、一概にホラーと言っても様々な種類がある。

死霊館』シリーズのように窓がバリバリ!扉が突然バァーン!幽霊ドォーン!してくるポルターガイスト現象を売りにしている作品から

 

ムカデ人間』や『SAW』シリーズのような目を背けたくなるグロテスク描写を前面に出している作品。

 

では『呪怨 呪いの家』とはどのようなホラー作品なのだろうか。

私が思うに「厭」なホラーだと思う。

「怖い話」ではなく「厭な話」

 

ジェイソン・ステイサム映画で観客が映画の出来よりもステイサムのアクションさとカッコよく人殺しをする所を目的にして映画を観に行くように、最近の『呪怨』シリーズは伽椰子と俊雄がドォーン!と出てきて人々を呪い(あるいは物理で)殺していく様が見どころになっているが、本作ではその要素は薄い。

 

心霊モノを期待し過ぎると肩透かしな気もしてくる。

ただ、不気味でじっとりとした厭さ、不可思議で生々しい恐ろしさ。負の感情で支配された人間関係。

それらが高度に織り交ざり、纏わりつき、視覚的に、聴覚的に襲い掛かってくる。

 

「これから厭な事が起こりそう、でも続きが気になって見ちゃう。くやしい…!でも…」

 

こんな感情が全6話で永遠続く。かなりのストレスだが、だからこそ良い。

では、そんな『呪怨 呪いの家』の感想をネタバレありで書いていきたい。

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ヒューマンドラマ映画、社会派映画とホラー映画の違いは何だろうか。

漫画家の荒木飛呂彦先生は自書でこう書いている。

「社会的なテーマや人間ドラマを描くためにホラー映画のテクニックを利用している」と感じさせる作品よりも、まず「怖がらせるための映画」であって、その中に怖がらせる要素として「社会的なテーマや人間ドラマを盛り込んでいる」作品。それこそがホラー映画だというわけです。

 

今や、ピカチュウミッキーマウスなどに並ぶキャラクター化されてしまった伽椰子と俊雄だが、元々は救われず、つよい怨みを抱いて死んだ存在である(伽椰子は伽椰子で元々やべー奴ではあったが)

呪怨』シリーズはもともと家父長制社会から生まれる女性への暴力と子供への虐待を描いている側面があるが、そのバックボーンは匂わせる程度にしか描いていない。

 

それでも私たちは家父長制社会の問題点については映画で描き過ぎなくても分かる。知っている。

日本という国で、その時代特有の背景とそこで実際に起きた数々の凄惨な事件の中でフィクションとリアルを交差させる。

私たちは実際にその空気を肌で知っているのでより身近に感じ、共感し、恐怖を感じる。

これこそがJホラーの怖さだと思う。決して嘘ではない現実と地続きの世界、その質感。

 

今回のNetflixドラマ『呪怨 呪いの家』でも、実際に起きた事件の映像が劇中のテレビでたびたび流れている様子が映し出されたり、モチーフにされたりしている。

本作の舞台でもある、世紀末と呼ばれていた80年代後期から90年代の初頭。

それは日本社会の猟奇犯罪の増加が重なった時期でもあった。

私たちは過去を美化しがちだが、こうしてみると最悪な時代に見える。

ただ、今の時代も未来からしたら最悪な時代に見えるのだろう。

 

 

 

 呪いの家の流れを整理

43年前、呪いの家で女性が男に監禁され妊娠する。赤ちゃんは行方不明(埋めた?)。この事件が本作の鍵。

その8年後、呪いの家に引っ越してきた小田島家の長女が行方不明に。その直後父親も死ぬ。小田島自身は気絶し、記憶を一部失う。

1988年、空き家状態だったが、同級生に騙された聖美がレイプされる。その同級生2名は行方不明。聖美とレイプした雄大は生き残るが、43年前に殺された女性に憑かれて後日赤ちゃんを渡される(妊娠する)。

1994年、呪いの家に夫婦が越してくるが、夫Aは別の家庭の妻Bと浮気をしている。その妻Bが妊娠したのもあり、お互いの結婚相手を殺す計画を立てる。

夫Aは自身の妻Aを惨殺。自身も自殺する(恐らく)その夫Aと浮気していた妻Bも自分の夫Bを殺そうとするが逆に殺される。夫Bは呪いの家に家に行き殺した妻Bの腹から取り出した赤ちゃんを庭に埋めてカップ麺を食べる。

ここが第1話冒頭の小田島が

呪怨は実際に起きた出来事を参考に作られた。それらの出来事はある一軒の家に端を発していることが分かった。しかし、実際に起きた出来事は映画よりも遥かに恐ろしいものだった」と言っていた事件

1997年、呪いの家に若夫婦が越してくる。小田島の忠告を無視し、夫は殺され妻も危険な状況となった。

 

まとめると複雑ではないが、本編では『呪怨』シリーズ伝統の時代がクロスして描かれるため混乱する人もいるだろう。伽倻子が時を操る能力を持っているのが悪い。

今回の悪霊はかなり知性があり、今までなら家に入ったモノ、またその関係者やその関係者をタクシーで運転した運転手などは皆殺しというやりたい放題の殺し放題だったが、本作では、まず大家さんは新しい移住者を呼び込むため殺さない。また、自分の事を多くの人に宣伝してくれる小田島は殺さなかったり、公権力を持つ警察には夢に出ても殺しまではしないというかなりしたたかな存在になっている。

ただ、それでも家に入ると全員が関係者になってしまう。

呪いの家に入口はあっても出口はないのだ。

 

本作のラストシーンには現時点で解釈が3つあると思っている。

  • 本庄はるかが純粋に殺された描写。クリフハンガー的終わり。
  • 43年前の再現。本庄はるかは誘拐され、シーズン2の布石。
  • 実は43年前に誘拐されて妊娠した女性が本庄はるかだったという事(時を超える)

 

どれが正解か、シーズン2見ないと判断出来ないので今から楽しみ。

 

最後に

 

ネトフリ作品、地上波で出来ない事をやろうとしてR15+相当のレイティングの限界点であるレイプ、妊婦への暴力など非常に痛ましい描写は多い(その割には霊自体はそんなに怖くない。白塗り封印は正解)

確かに地上波で出来る事なら地上波でやるから仕方ないのかもしれないが、そういうのが苦手な人にはお勧めできない。

ただ、それは置いておいても私たちが日常で感じる「厭さ」や目を背けている「厭さ」

そんな「厭さ」が凝縮されている本作は私たちにストレスを与えてくるのでお薦めだ。

あと、全然老けない事で有名な黒島結菜さんと同じく全然老けない荒川良々さんの演技も見どころだ。

また、滅茶苦茶記憶に残り、頭から離れないエンディング曲を歌っているのはMAREWREWで曲名は『sonkayo』という曲らしい。沖縄民謡かと思っていたらアイヌ民謡だった。よく見つけてきたな!

 

マレウレウ

マレウレウ

  • 発売日: 2010/07/14
  • メディア: MP3 ダウンロード
 

 

 

最後に一言

当ブログでは里々佳さんを応援します!!!!!!!!!!!!!!!!!!!(幸うすエロ可愛い)