フォルドラとヨツユ。
彼女たちは恵まれない環境、逃げ場のない地獄、果てなき願望の末、「自国民にとっての裏切り者」を選ぶという共通点があるが、その動機は大きく違う。
フォルドラの場合は、自分たちの生まれた地獄の環境から逃れ、「誰にも文句を言わせない、誰もが認める立場」になり、自由になるため。
ヨツユの場合は自分を虐げたありとあらゆるモノを憎むことで生を実感するため。
以前にも書いたが僕は『紅蓮のリベレーター』のテーマは「解放」と「多様」だと思っている。
そして4.1からは「解放」についてより鋭角に描いているように感じられた。
「ここで死ぬか、アラミゴの未来のために戦うか」
フォルドラはアラミゴの負の歴史から解放されようと必死に這い上がってきた。
彼女は自分を虐げる、自分を見下す多くの他者を見返すために、戦う事を選ぶ。
しかし、その道は、帝国人からの蔑みの視線、出世への妬みの言葉が常につきまとい、同じアラミゴ人からは裏切り者扱いであり、軽蔑と畏怖の対象でしかなかった。
そこにいるのに、どこにも居場所がない。
彼女の人生の中で、一度でも他人から感謝された事はあったのだろうか。
最終的に彼女は戦争で負け、這い上がりの人生は終幕する。
ヒゼンが言う「身命を懸けるに能う夢」は終わってしまった。
しかし、夢は終わっても人生は終わらない。
彼女は自分の罪と向き合い、リセによって贖罪を認められ、他者のため戦う事を選んだ結果、ラガンフリッドに感謝をされた。
人からの感謝。
それは存在を認められ、深く心が動いたことに対して、言葉を射られるということ。
喜びのおすそ分け。
僕たちの日常では当たり前にあるそんな言葉が、彼女にとってどれほど大きな経験だったのだろう。
ある意味では、彼女はこのとき初めて己がいるべき場所、いてもいい場所。いたい場所。
「故郷」と呼べるモノを見つけたのかもしれない。
そしてヨツユ。
プレイヤーはフォルドラの件もあったし、記憶もなくなり幼女みたいになっているのでもしかしてヨツユも死なないのか?と思わせておいての蛮神化である。製作陣は性格が悪い。
最終的にヨツユはアサヒ(その上のアシエン)に利用され続けて死んだわけだが、それでもドマ復讐の最初のキッカケであり、本懐である自分の養父母と兄の復讐は遂げ、たった一瞬でも「ゴウセツ」と共に心やすらかに過ごす事が出来たのは、「復讐」に縛られ続けた彼女の人生の中で微かな光のある終わり方だったのではないかと思ってしまう。
そして、土下座して過去の業を謝罪するヨツユに対してアザミが「お姉ちゃんもう泣かないで」と言った時点でヨツユは完膚なきまでに断罪されたのだと思う。
ドマという国を苦しめて蹂躙するために行動し、大多数が憎しと睨んだヨツユを、それでもと許した人がいる。
「お前と私は違う」
と暗に否定した人がいる。
養父母から、隣人から、ドマという国から虐げられ続け、許せず復讐に囚われたヨツユに対して、復讐の道を降りたアザミ。
「神に墜ちる、悪の華」
ドマ人から怨まれ続け「復讐」の対象として罵られ続けていれば彼女は悪の華として咲き誇れたのかもしれない。
しかしそれすら出来ない一夜限りの存在、「月下の華」とは見事なパッチタイトルだなと思う。
もちろん「あんだけ好き勝手してた悪役が許される訳ないし、最後は悲劇のヒロインではなく惨めに死んで欲しかった」という気持ちも理解できる。
しかし、ヨツユは自分が選んだ道なのもあるが、あまりにも過去が哀しすぎた。
フォルドラと違って未来を望んでいないし、「復讐」という過去に囚われた人生。
その終わりは未来という「生きて」いく道ではなく、最初から過去と共に「死」という幕引きだったのは確定された存在だったと思う。
↑ヨツユの妄想とはいえゼノスに打ち勝つゴウセツがカッコ良すぎ泣いた。あの戦闘の演出、本当に好き。それほど、ヨツユの中でゴウセツという存在が大きくなっていたのね。
フォルドラもヨツユも報われ過ぎないのがいい塩梅だと思う。
アサヒ
初登場シーンからコイツ絶対腹黒クズ野郎やんって100人いたら100人がそう思うキャラクターだった訳だが、まさか最後の最後にでこんな顔芸キャラになるとは思わなかった。好き。
「全権大使の俺をぉお!?」
ではない。和平の道はお前のせいで終わったのだし、どうしてノコノコ1人で来れるんだ。詰めが甘いのも可愛い。
ゼノスを心酔しているけれど、そのゼノスは光の戦士である僕とズッ友である事を知らず、僕を憎んでいるのが哀れで可哀想である。
更にゼノス本人ではなく、アシエンが偽装しているゼノスを偽物だと気づかずに命令を受けたり、
「憧れとは理解から最も遠い感情だよ」が似合うキャラである。
FF14の敵キャラって精神もカッコ良い奴多いけれど、こういうキャラ珍しくて良い。
ガレマール帝国
アシエンが裏でコソコソ暗躍している気はしていたが、まさかアシエンによって建国された国だとは思わなかった。よくよく考えるとイシュガルドみたいに王を裏で操るよりも自らが王になった方が滅茶苦茶効率的である。最近かませ犬みたいになっているアシエンの面目躍如である。
そしてこの男
ソル・ゾス・カルヴァス。
この顔が「全FF大投票」の「キャラクター部門」6位になっていた事だけ知っていて、滅茶苦茶気になっていたので、ようやく、本当にようやく登場してくれて嬉しい。
想像してたよりクセが強いキャラで戸惑う。いやクセ強過ぎない!?
このソル・ゾス・カルヴァスが「漆黒のヴィランズ」のメインキャラの1人である事は間違いないと思うので、この時点でワクワクしている。いやまじで「漆黒のヴィランズ」楽しみ!!!!
ヴァリス帝
論破ツヨツヨ男である。というエオルゼア同盟の面々がレスバ弱すぎる。絶対にTwitterやらせてはいけない。
それにしてもヴァリス帝、ようやく王になったと思っていたら実は王が形だけで、アシエンが実質のトップだと知ったの可哀想過ぎないか。僕だったら「どうしてええええええええ」ってなる。
ヴァリス帝の目的とは、世界の統合である。
世界の分離によって人類は様々な種族などに分かたれ、完全なる存在から欠点のある不完全な存在へと退化してしまった。
それをあえて霊災を引き起こすことによって、鏡像世界を統合し、世界を一つにすることを目論む。
本人の意識を全人類の遺伝子に潜り込ませ、全人類を争いを避ける人種に作り変えるというカギ爪の男の目的と似ているようで違う。
このヴァリス帝、一歩間違えるとカマセ犬にすぐにでも突入してしまうハラハラ感があるので、ここからどう活躍するのもかも楽しみ。
ゼノス
光の戦士が偽ゼノスに刃を振り下ろされたタイミングで、本物ゼノス登場。
本物ゼノスVS偽ゼノスが倒れているプレイヤーの前で戦い始めて
本物が偽物を圧倒する展開かとおもったら
エスティニアン兄貴のDダイブ無双だったとは。
「おまえかよw」
ってツッコまずにいられなかった。
というかエスティニアン兄貴滅茶苦茶強ない!?
エスティニアン「相棒はここでは死なせん」
ゼノス「気に入らんなあ、かの友は俺だけでいい」
ガイウス「なんだこいつら」
というFF14シリーズのラスボスが集合するシーンあるんじゃないかと妄想すると楽しい。
↑アルフィノやヤシュトラ姉さん、ヒエンなどの光の戦士以外の操作があったのも印象深いけれど、基本的にあまり強くないので光の戦士の特殊性や異常性も如実になったのが良かった。ゴウセツは一体シュン坊に何を教えてきたんですかね。
紅蓮4.1から漆黒まで好きなやり取りは多かったが、一番好きなのはやはりこれ。
ヤシュトラさん、紅蓮になってから姉御感がますます強くなってきている。このままいくと『天空の城ラピュタ』のドーラみたいになりそう。
そして「漆黒」へ
あんなに頼りになった「暁」メンバーの謎の昏睡状態。
黒薔薇という殺人兵器。
偽ゼノスとの戦いの最中という考える中で最悪のタイミングで声をかけてくる空気読めなさすぎる謎のフードの男の存在。
「漆黒」に向けて気になる点が多すぎる。
他にも
タタルとハイデリンが黒幕だと信じている僕でも紅蓮編での身体を張って笑かしてくるタタルや
ヒロインムーブしてくるタタル
それらを見ていると「あれ、もしかしてタタルって黒幕ではない?」って気持ちになってくる。
ただ
タタルにプレゼントされた装備の見た目があまりにも禍々しいので、このセンス、やっぱり黒幕では!!??と疑ってしまう。
そして、
僕がFF14を始めるキッカケであり、その評判の良さから滅茶苦茶楽しみにしていた「漆黒のヴィランズ」の始まりである。
ただ、「漆黒のヴィランズ」目的ではじめたFF14だったが「蒼天」も「紅蓮」も心の底から楽しめたので、「漆黒のヴィランズ」の為の前準備でしかなかったそれらがこんなにも僕の人生に色を与えてくれるとは思わなかった。
コロナの影響で、リアルの生活もネットの生活も少し荒んでしまい、生きていて、見ていてイライラしてしまう事が増えてしまった。
そんな僕を支えてくれたのがFF14であり、エオルゼアの世界であるのは間違いない。
リアルから切り離され、現実の事件や世界情勢から完全に分断された世界がこんなにも居心地が良いとは思わなかった。
ここではないどこかに連れて行ってくれる(リアルでエオルゼアには絶対に住みたくないけれど)
FF14に興味を持たせてくれた「漆黒のヴィランズ」と先輩ヒカセン達には感謝しかない。
ありがとう。本当にありがとう。
全力で「漆黒のヴィランズ」を楽しみたいと思う。
最後に一言。
アルフィノのギャグ要員化が凄いな!!!!
シリアスな場面で頼りになる側面や、ギャグ要因としても、傍にいてこんなにもホッとする存在に成長するとは。嬉しい。