社会の独房から

映画やゲーム、小話など。

映画『さんかく窓の外側は夜』感想。幽霊より人間の方が怖いってやつ。

カップルはなぜお化け屋敷に行くのか」

自然に相手に密着できるからだったり、

吊り橋効果からお互いの好感度が上がったり

甘える、守る、などの役割を意識できるからだったり、

そういうのを踏まえた結果、お化け屋敷とは「カップルの前戯」というのが僕の中での結論となった。すまない、経験がないのでただの空論なんだ。

カップルの前戯」のボーイズラブ版が漫画『さんかく窓の外側は夜』であり、除霊師である冷川理人と「霊を視る」能力を持つ三角康介のイチャイチャ具合を楽しく読んでいたのだが、まさかの岡田将生×志尊淳での実写映画化である。

ネタバレありで感想を書いていきたい。

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【監督】 森ガキ侑大  【 脚本】 相沢友子 【原作】 ヤマシタトモコ 【主題歌】 ずっと真夜中でいいのに。「暗く黒く」

あらすじ

書店で働く三角康介は、一見普通の青年だが、幼い頃から幽霊が見える特異体質に悩まされていた。ある日、書店に除霊師・冷川理人がやってくる。「私といれば怖くなくなりますよ」の一言で、三角は冷川と除霊作業の仕事を共にすることになる。そんな中、ふたりは刑事・半澤より一年前に起きた連続殺人事件の話を持ち掛けられる。調査をはじめたふたりは、やがて遺体を発見するが、その遺体には呪いがかけられていたのだ。真相を探るふたりに度々聴こえてくる死んだ殺人犯の声。そしてふたりはある言葉にたどりつく―――。
「 ヒ ウ ラ エ リ カ に . . . . だ ま さ れ た .... 」 。それはふたりがこれまでの除霊作業で度々耳にしてきた名前だった。彼女は何者なのか?彼女の目的は?ふたりはこの事件を解明できるのか...?

 原作の要素は薄く

まず原作ファンの方に言っていきたいのは「除霊シーンで気持ち良すぎて三角が悶絶する」設定はなくなっているということ。

除霊方法が、冷川が三角の魂のようなモノ=“核心”を通じて霊を「ぶん投げる」なので、いわば魂と魂の触れ合うという高次元のBLだった訳だが、そこの設定が消えて、「魂は触れ合うが気持ちよくはなさそう」という一般的な除霊になっている。それ故に志尊淳の悶絶シーンはない。代わりに平手友梨奈さんが触手に雑に攻められて絶叫するシーンならある。こちらも気持ちよさそうではないが。

そもそも現9巻まで出ている内容を102分にまとめているために、一話完結の除霊シーンはほぼカットされていたり、冷川理人が幼少期の記憶がない設定になっていたりキャラの改変もバリバリにしており、ラストはオリジナル展開だったり(当たり前だが)原作とはほぼ別物である。ただ、映画作品として中々楽しめる出来になっていると思う。

 

怖くはないが

 

本作は欠損描写含めて気合いが入っている所はあるが、ホラーとして考えると怖くないし、終盤になると客をビビらせる演出は皆無になるのでホラー映画としと鑑賞するとガッカリするかもしれない。あくまでも作中で登場する「霊」とか「呪い」といったオカルト的な要素をお話の舞台装置やメタファーとして割り切って活用している。

 

三角はツイッターでわざわざ「死ね」と検索して悪意や憎悪が溢れる「死ね」ツイートを見て「……はぁ」って落ち込んでしまうし、他にもSNSにおける言葉の暴力や「言霊」の説明は出てくるし、「霊より人間の方が怖いのは当たり前だろ?」なんてセリフもでてくるし、人に呪いをかけると自分にも返ってくるのはSNSで暴言をよく吐く人がその暴言に支配され、ますます攻撃的になるのはよく見る現象だし、貯金箱というラストダンジョンでは呪いの鎖の形状は明らかに「死ね」とか「呪い」の文字になってしまう。

つまり「言葉」そのものが持つ「力」は莫大であり、その言葉の暴力がそのまま「穢れ」や「呪い」という形で具現化していって、物語を動かしていく。

これはコロナ後のTwitterなどでもその「力」を目にすることは多い。

特にこれからワクチン接種の話が具体化していくと、「副作用などの経験談」がバズり、それに対しての訂正やデマや誹謗中傷が飛び交い、1億2557万人分の経験が1億2557万人分のお気持ち表明がTwitterやネットを支配していくのは目に見る。

社会がTwitterとなり、Twitterは膨れ上がった言葉の暴力装置となる。

僕は率先して「見て見ぬふり」していこうと思う。

 

話を戻す。

その「言葉」のパワーが悲惨な影響を及ぼす訳だが、その対極にいる半澤という刑事が面白い。

 彼はオカルトの類を「信じない」タイプの人間なんだけど、そしたらこの人、「呪い」が効かない。え、まじで??ってなる。普通、こういうタイプって真っ先に呪われて死ぬのに、彼は死なない。信じないから。
「呪い」かけてる張本人も半澤には効かなくて驚くのも面白い。

こういう人ってSNSでもいる。

ある側面においてあまりにも無神経で、図太い。それ故にあらゆる炎上をしても効果がない人。言葉が効かない人。友達になりたくないがたまに身近にいると安心する人。

 

一般人である半澤はある意味化物だが、三角も冷川もヒウラエリカも普通の人間とは違い、特異な体質の持ち主。

その違いに悩まされる。

暴言を吐かれたり、軟禁されたり、または利用されたり。

それぞれにトラウマがあり、孤独に生きてきた。

それでも彼らはお互いを見つけ、過去を乗り越える。

現代は、SNSの普及により簡単に繋がりやすくなったけれど、同時にどこか孤独を感じてしまうことも多い。他者からの評価を気にし、コンプレックスを隠そう、1人で悩みを抱え込もうとするのではなく、人を信用する事の大事さというありきたりともいえるメッセージを説教臭くなく(ここ大事)描いていると思う。

 

最後、貯金箱という悪意の塊であるラストダンジョンを解決してみれば、そこはただの部屋。

つまるところ、「言葉」の力ってすごく悲しくて辛い方にも行くんだけど、とはいえ、僕たちの心の持ちようとか捉え方で気持ちは入れ替わり、良い意味でも悪い意味でも簡単に揺れ動く。それってある意味「救い」なんじゃないかと僕は思う訳で。

 

あんなに悩んでいた霊を見れる事を「個性」「人より目がいいだけ」と母親に言われて少し救われる三角。軽いがこれが良い。

 

最後に

公開直前に北川景子出演!と大々的に宣伝してたけど、それに釣られた北川景子ファンは目当ての北川景子が冒頭5分ぐらいで即トラックに轢かれて死んで出演シーン終了したのどういう気持ちで見たのだろう。漫☆画太郎の世界観みたいだ。

 

あと、呪いで死んだのは法で裁けないと劇中でもセリフがあったけれど、冷川もヒウラエリカも呪いで人殺しまくったのに何も裁かれずに終わるのはどうなんだと思っていたらパンフレットに

ラストシーンでヒウラエリカの腕に痣が伸びて終わるのは「人にかけた呪いは自分に返ってくる。あれは彼女がこれから呪いを背負って生きていくことの現れ」

としつこいぐらい何回も書いてあって、てっきりホラー映画でよくあるスッキリ終わらない演出だったり、次回作の伏線だと思ってた僕はそんなんわかんねーよ!ってなった。クリフハンガーだと思ったわ。

 

最後に一言。

志尊淳、ハイローだとあんなに凛々しい感じだったのに本作では弱弱しい感じになっているのに決意新たに走る所が完全に鳳仙学園の番長・上田佐智雄になってて感動した。あと、岡田将生は本当に無駄に顔が良いし、平手友梨奈さんは目力半端ないのに志尊淳や岡田将生と並ぶとちっこくて可愛い…