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アニメ映画『神在月のこども』感想。

観るパワースポット映画

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【コミュニケーション監督】四戸俊成 【アニメーション監督】白井孝奈
【脚本】   三宅隆太、瀧田哲郎、四戸俊成 【主題歌】    miwa「神無-KANNA-」

 

あらすじ

お母さんを亡くしたことがきっかけで、大好きだった走ることに向き合えなくなった12歳の少女カンナ。固く心を閉ざす中、母の形見に触れた彼女の前に神の使いである一羽の兎・シロが現れ、出雲への旅にいざなう。「出雲に行けば亡きお母さんに会えるかもしれない」というシロの言葉を信じ、神々を迎えて祭る神話の地でもある出雲に向かうカンナは、行く手に立ちふさがる鬼の子孫・夜叉を筆頭に、八百万(やおよろづ)のさまざまな神と出会いながら、東京から出雲へと少女は走る。

 

ネタバレありの感想

10月は旧暦で「神無月」と呼ばれる。

名前の由来は全国の八百万の神様が、一部の留守神様を残して出雲大社島根県出雲市)へ会議に出かけてしまうと言い伝えられてきたから。
その為、神様が出かけてしまう国では神様がいないので「神無月」、反対に出雲の国(島根県)では神様がたくさんいるので「神在月」と呼ばれたりもする。(ちなみに武藤敬司のものまねで有名な神奈月の名前の由来は芸名を考えているときに生まれ月が神無月だと思っていたのでそれにしようと考えていたが、実際の生まれが11月の「霜月」だった為、神無月ではなく「無」を「奈」に変えて「神奈月」に決定したらしい。どうでもいい知識でした

 

実は亡くなった母が生前、出雲に集まった神々のために各地で集めた馳走を届ける「韋駄天」だった事を知ったカンナはその役目を継ぐことになる。

 

物語の流れはとてもシンプル。

少女が白いマスコットキャラに誘われ目的の為に役割を果たそうとする→ライバルキャラが登場し争いながらも仲間になる→挫折→奮起→大団円。

 

今作のポイントは日本が古来からある伝承や神話などを物語に組み込んでいる所だろう。

「牛島神社」や「鴻神社」「金刀比羅神社」「美保神社」などなど一度は行った事や聞いたことがある観光地が実際に出てくる。

 

 無宗教が多いといわれる日本人。観光スポットとして神社に行く事はあっても、本当に神様を信じている人は少ない時代。

そんな今だからこその視点で描く、日本の説話。

僕たちは普段では気づかないが、身の周りや日常生活の中で日本の文化や伝統に常にそこにはある。気付いてないだけなのだ。そしてそのことをこの映画は教えてくれる。

例えば、旅のスタート地点「牛島神社」

カンナがいつも訪れていた神社は単なる公園ではなく、そこには神様がいて泣いているカンナをずっと見守っていたシーンがある。

見えないだけで、いつもそこにはいる。そして見守ってくれている。その距離感。

カンナへの接し方も同じである。

 

カンナは、母が死んだのは自分のせい、走るのが遅かったせいだと思い込み、罪悪感を募らせている。
旅に出てからも「人の心の隙間に忍びよる神に成りたいモノ」による妨害などもあり、自分が何を好きで、何をしたいのか、何も分からなくなってしまう。そんな時も神々は見守るだけで何もしない。使い魔のシロは恐ろしく無能で役に立たない(せめてグチグチ偉そうにカンナに文句言うならひょうたんぐらい担げやと僕の中では好感度が作中トップで低い

唯一の味方は神ではなく鬼の夜叉である。それぐらい神様はなにもしてくれない。


そんな状況の中でカンナは走ることが大好きだった母の後を追いながら、成長してゆくのが本作の物語。

 

作中でも言及があったけれど、小学6年生に世界が滅茶苦茶になるから東京から出雲へ走ってくれとお願いする状況がまぁクソ。しかもろくに説明もしないし、しまいには「出雲に行けば亡きお母さんに会えるかもしれない」と嘘も言ってしまう。

そりゃ、終盤でカンナも走るの嫌になりますわ。

 

それでもカンナが再び走るのは神様の為ではなく、自分の為。

母との思い出を思い返し、もう一度走ることを嫌いにならない為に自分が走りたいから、走ると決意し、再び立ち上がる。

「まだ勝負は着いてないし、まだ本気も出していない」と。

奮起のきっかけが勾玉の力だったとしても、最終的には人の力、自分の力で自分の世界、自分の好きを取り戻すのは現代的な神話の扱いって感じで良いと思う。

 

細かな所

  • 母の形見の勾玉を身につけた時、韋駄天の力が発動し、降っていた雨粒が空中で静止する、これが韋駄天の力である「あまりに早いから周りが止まって見える」を描写したのは面白かったけど、終盤でそんな力を失った後も周りの人は殆ど動かなかったのは残念というか、風景が止まるのは「省エネ作画」に対する丁度いい理由だな!!って思ってしまった。制作に関わっているライデンフィルムが最近でも『東京リベンジャーズ』のアニメなどでも、止め絵多用しまくっているのもあって余計そう思う。最後のカンナの走りにスピード感と爽快感があまりなかったのは残念。
  • 最後のカンナが走る良いシーンで miwa「神無-KANNA-」 が流れてMV化するの、完全に新海誠の影響だと思うけど、そんなアニメ映画が増えすぎてお腹一杯である。あと、母との思い出を振り返る時にも歌が流れるが、結構不穏なシーンでもあるのでイマイチあってないと思う。曲は良かった。流石miwa
  • こういう母と娘の作品って、父が空気になりがちだけど、本作も凄く空気。娘の事を想っているのは伝わってくるが、靴のサイズを間違えたり、無能感が凄い。最後も娘を必死に探していたのだから何かしらフォローが欲しかったが、完全にスルーである。泣きながら娘を抱くシーンがあっても良かったと思うよ!!!!
  • 神様を演じる声が滅茶苦茶神谷明で面白いのでそこだけでも観て欲しい。
  • 「親を亡くした子どもが大人の役割を務めなくてはならない」で共通しているし、原作は『若おかみは小学生!』と同じ児童文学シリーズかと思ったらオリジナルだった。
  • 99分と短めな尺なのにそれでも沖縄旅行に行った時のようなゆっくりなテンポ感。特に韋駄天になる前は一日が48時間あるのかな?と思ってしまう程テンポが悪い。
  • コミュニケーション監督って何!?と思ったけど、インタビューを読むと造語らしい。

四戸:今回は監督という肩書の人間が四人います。アニメの全体を描き出すところ(本プロダクション)に責任を持ってもらうアニメーション監督の白井孝奈さん、アニメの設計図を練り上げるところ(プリプロダクション)に責任を持つクリエーション監督の坂本一也さん(ライデンフィルム京都スタジオ)、舞台となるロケーションのコーディーネートに責任を持つロケーション監督の三島鉄兵、そして台詞や音楽を宿し、宣伝を束ねるコミュニケーション領域(ポストプロダクション)、そこを僕がコミュニケーション監督として担当しました。

cinemore.jp

 

最後に

お母さん、韋駄天やってたのに早死にしてしまうし、韋駄天になるメリットなさ過ぎて本当に神様!ってなる案件。

 

神社に行きたくなるロードムービー

前半のやたら治安の悪い描写

突然やってくる道徳の教科書のような世間に対する説教シーン

ゲームで一度は遊んだことある龍神様の床落ち空中エリア

カンナちゃんの絶望顔の種類の多さと走り方フォームの独特さ。

クソ使い魔シロのクソさ。

本作のヒロイン鬼の夜叉の可愛さ、健気さ。

 

70点ぐらいの作品だけど見どころも沢山あるので是非一度見て欲しい。