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映画『クライ・マッチョ』感想。

 何度目だ、クリント・イーストウッド生前葬

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【監督】 クリント・イーストウッド 【原作】 クライ・マッチョ 【原作者】 N・リチャード・ナッシュ

あらすじ

誘拐から始まった少年との出会いが、二人の人生を大きく変えてゆく――
アメリカ、テキサス。
ロデオ界のスターだったマイクは落馬事故以来、数々の試練を乗り越えながら、孤独な独り暮らしをおくっていた。
そんなある日、元雇い主から、別れた妻に引き取られている十代の息子ラフォをメキシコから連れ戻してくれと依頼される。
犯罪スレスレの誘拐の仕事。それでも、元雇い主に恩義があるマイクは引き受けた。
男遊びに夢中な母に愛想をつかし、闘鶏用のニワトリとストリートで生きていたラフォはマイクとともに米国境への旅を始める。
そんな彼らに迫るメキシコ警察や、ラフォの母が放った追手。先に進むべきか、留まるべきか?
今、マイクは少年とともに、人生の岐路に立たされる―― 。(公式HPより)

 

91歳クリント・イーストウッド

2019年公開の『運び屋』がクリント・イーストウッドの遺言みたいな映画なのかなぁと思ってしみじみ観に行ったら「このジジィ、まだまだ元気に人生enjoyする気だ!!!!」って気持ちになったし、

『クライ・マッチョ』も「クリント・イーストウッドの集大成」というキャッチコピーで、今度こそクリント・イーストウッドの遺言みたいな映画なのかなぁと思ってしみじみ観に行ったら「このジジィ、まだまだ元気に人生enjoyする気だ!!!!」って気持ちになる。そんな映画。

 

 

イーストウッドは痴呆ボケ老人みたいに何度も何度も生前葬を行い、僕含めたファンもファンで痴呆ボケ老人みたいに何度も何度も彼の生前葬に行く。

違った点があるとすれば『運び屋』ではベッドで美女二人に囲まれて「心臓外科医呼ばないと」とか言いながら3Pにあけくれた88歳のジジィだったのに対して

『クライ・マッチョ』では人妻の煽情的な誘惑を堂々と断り、未亡人ともキスとメキシコの民族舞踊止まりの91歳のジジィなので、これが80代と90代の下半身事情の違いか……という参考になった。ありがとうイーストウッド。ごめんね痴呆ボケ老人と言って。

 

マッチョ

1988年、イーストウッドに小説『クライ・マッチョ』の映画化の話が持ち込まれた。当時58歳だったイーストウッドは自分が主演をするのは若すぎると監督だけOKしたが、結局映画化の話は流れ、2000年代の初めにも今度はアーノルド・シュワルツェネッガー主演で映画化の話が動き出したが、彼がカリフォルニア州知事選に出馬したことにより、再び流れた。

企画から33年後の2021年ようやくイーストウッド主演と監督で映画化されたのだ。

本作を58歳は若いから断るのは理解出来るが、91歳も中々である。自分の息子奪還の為に91歳をメキシコ旅させるか!?という疑問が抜けなかった。

 

 

今回のイーストウッドは元ロデオスターで、「マッチョ」の塊だったが、落馬事故でロデオの道が絶たれ、「マッチョ」として守るべき家族も事故で失ってしまう。

枯れ。

それは91歳のイーストウッドと否応なしに重ねてしまう。ロデオのシーンなんて明らかにCGだし、荒野をヨボヨボ歩く姿なんて本当にお爺ちゃんである。

旅の道中、イーストウッドは恩人の息子に言う。「マッチョって奴は過大評価されている。人生にはそれより大事なものがある。しかし、人はそれに気づいた時には遅すぎるんだ」

原作ではイーストウッドの役は最終的にテキサスに戻るのだが、映画では自分の新しい居場所を見つけ、メキシコで暮らす。人生に遅すぎることなどないのだろう。

立ち寄った村で、イーストウッドが老衰で体調が悪い犬の飼い主へアドバイスするシーンが象徴するように

老衰を悲観し否定するのではなく、何歳になっても新しい居場所を見つけ、温もりと共にある世界は美しいのだ。

 

 

イーストウッドの理想郷

本作はロードムービーではあるが、途中で「何か良さそう」というフワッとした理由で立ち寄る村パートがやたら長い。『ヴィンランド・サガ 』で農業編がやたら長かった時のような感覚になる。

そこでイーストウッドはメキシコの美人な未亡人に出会う。彼女はイーストウッドに気がある様子で、彼女の聾唖の娘も手話を扱えるイーストウッドに懐く。

元ロデオスターで野生馬を馴らすことが出来るため調教師としての仕事をゲットし、動物に詳しいので、村の皆からドリトル先生のように慕われる。何よりも大好きな動物達に囲まれる生活。

 

イーストウッドは新しい彼女とキスしたりダンスしたり、イチャイチャしながら若者には「いい感じのことを」説く。これ以上の老人としての幸せってあるのだろうか。なんだこのジジィ。

現実でも数々の映画で賞を取ってきたこの巨匠は、35歳年下の妻と離婚したり65歳年下の恋人を新しく作ったりとやりたい放題である。

 

そんなイーストウッドが「マッチョを否定して、自己反省してるロードムービー」という大義名分のもとに美人な女優とイチャイチャしながら若者に気持ち良く説くというのが本作の本質だろう。騙されるな、自己反省してないぞこのジジィ。

 

『クライ・マッチョ』これは別にイーストウッドの遺書でも何でもなくこれからもあのジジィは新作を作り続けるだろうし、僕たちはヘンテコで、可愛くて、お粥みたいな彼の新作を観に何度も映画館に足を運ぶだろう。