トム・ホランド版ピーター、環境が恵まれすぎてスパイダーマンらしさ薄いなと思ってたけど、誰がそこまでしろと言った!!加減しろ馬鹿!!!!
と言いたくなる映画『スパイダーマン:ノー・ウェイ・ホーム』感想をネタバレありで書いていくよ。
【監督】 ジョン・ワッツ 【音楽】 マイケル・ジアッチーノ
ライミ版の続きであり、アメスパの続き
初めてスパイダーマンを映画館で観たのが『アメイジング・スパイダーマン2』だった。
グウェンに死亡シーンはすごく悲しくて切ないし、ラスト10分で一気に魅せるピーターの挫折とスパイディとしての復活で胸が熱くなりすぎて、劇場を後にするとその足でライミ版3作とアメイジング・スパイダーマン1のDVDを借りて家で一気見したのを思い出す。そしてライミ版の完成度の高さ、今ほど完成していなからこそ味があるCG処理などに釘付けになってしまった。特に『2』の電車のシーンは「ヒーローは誰にでもなれる。遠い存在なんかじゃない」と知る最高の流れだったと思う。
しかし、調べるとライミ版スパイダーマンも当初の予定では『4』の計画もあったが、ライミ監督がソニーの設定した締め切りまでに物語を作り上げる事が出来ずに頓挫してしまっていた。
ある意味、ライミ版もアメスパもスタッフ間の意見の相違や不評だったりで、きちんと完結することなく、リブートしていった作品とも言える。そんな作品に心惹かれた人間はどうしたらいいのか。その想いはまるで怨念のように僕の心を支配続けた。
そんな状態なので、『スパイダーマン:ホームカミング』や『スパイダーマン:ファー・フロム・ホーム』を観ても心のどこかで「これのせいであの続きが観れないんだよなぁ」というどこか冷めた気持ちが常にあったのは事実だ。
そして『スパイダーマン:ノー・ウェイ・ホーム』
この映画はそんな僕を救ってくれる作品だった。ハッキリ言おう大好きだ。2022年最高の映画が決まってしまったし、MCU映画で一番好きかもしれない。そして僕にとってスパイダーマンとは他のヒーロー達とは違う特別な存在だと再確信した。
『スパイダーマン:ノー・ウェイ・ホーム』という映画はトム・ホランド版スパイダーマンの続きでありながら、ライミ版の続きであり、アメスパの続きでもあったのだ。
歴代スパイダーマン俳優トビー・マグワイアとアンドリュー・ガーフィールドは「出演しない」と言っておきながら、思いっきり出演しているのである!!正直予想はある程度していたものの、目の当たりにするとやはり感動してしまう。
トムホランドはお喋りネタバレ野郎とか色々言われてきたが、僕なら我慢しきれずに「こんど俺主演のスパイダーマン映画にスパイダーマン沢山出るんだよね」と鳥貴族とかで友達に喋ってしまうのに流石スパイダーマン俳優、大事な所は喋らない。
トビーが真面目な長男でアンドリューが調子のいい次男で甘えん坊の末っ子トムというそれぞれのピーターのカラーの違いがはっきり出ていたのも凄く良かったし、トビーはスターウォーズとかでよくあるデジタルで若返らせる処理するのかなと思っていたが年齢を重ねた今の彼の姿で出てきてくれたの好きだし、
オクタビアス博士「太陽の力が……」
トビー「私の手の中に、ですよね?」
オクタビアス博士「ピーター!?すっかり大人になったな……調子はどうだ?」
トビー「反省しています」というライミ版2のオマージュに含んだやり取りがとても良かった。大人同士の会話である。
そしてMJ落下のシーン。予告の時点からアメスパ2オマージュだとは思っていたが、まさかここまでストレートにアンドリューが関わってくるとは思わなかった。
スパイダーマンNWH、完全にアメイジングスパイダーマン2を彷彿とさせるシーンがあって熱いけど、ピーターは今度こそ救えるのか。 pic.twitter.com/ualIgMLmKE
— 社畜のよーだ (@no_shachiku_no) 2021年11月17日
アンドリューはアメスパ2ではグウェンを救うための糸が届いたのに関わらずギリギリ間に合わず死なせてしまう。アンドリューも僕もずっと「もしも」を想ったけど現実に「もしも」はない。2のラスト後でもアンドリューは荒んでいるみたいなことを言っていたし、アメスパ2のラストは完全復活ではなく、傷心モードなのを頑張って奮い立たせたことがよく分かる。ヒーローだからってそんな簡単に割り切ることなんて出来やしない。
それでも本作でアンドリューは落ちるMJに対して今度こそ糸ではなくその手で、その身体で救い出す。同じ後悔をしないために。このシーンを観たかった。約8年前に映画館で想像したような続編ではなかったけれど、それでも、心を支配していた怨念が今浄化されたのを感じて涙が出た。
「今度は救えた」が分かりやすいのはアメスパだったけど、ハリーの為にも殺したくなかったオズボーンさんを今度はグライダーで死なせなかったのはトビーにとっても大事な救いだったんだなって。
トビーがノーマンを治すための方法をずっと考え続けていたと言ったのも良かった。彼にとってそれほどに最初の強敵であり、親友の父だったノーマンを救えなかった後悔があるということを感じて良かった。
スパイダーマンシリーズって過去シリーズは幻の第4作目が存在すると言われたり、途中で打ち切りになってちゃんと完結はなかったけど、本作で過去シリーズ含めて全てに「さようなら」をする完結編で感動してる。
ファンサービスの塊
丁寧に丁寧にファンサービスをしているのも本作の特徴だろう。まずは上記でも書いたピータートリオ集結だが、最終決戦でピンチになるピーター1にエンドゲームのように駆け付けるピーター2,ピーター3でもいけたハズだし、感動の瞬間火力はそっちの方が上だったと思う。しかし、本作はそのやり方をしない。
3人仲良く実験室のシーンで「ライミ版とアメスパ版とMCU版の違い」を説明してくれたり、ネッドが「こっちのピーターには親友いた?」という質問にトビーが「いたけど、僕を殺そうとして腕の中で死んだ」と聞いてネッドが(あれ……俺も死ぬのかな?)みたいな顔しているのも面白かったし、
1人だけウェブシューターなしで手首から糸出すトビーを、アンドリューとトムホの2人はどう思うんだろうかと思っていたけど、普通にドン引きされてたのも面白かったし、
トムホ「僕はアベンジャーズにいたから!」トビー「そうなのか凄いな!」トムホ「ありがとう!」トビー「で、アベンジャーズって何?」トムホ「…」 というやり取りや
ヤバいヴィラン談義で宇宙人→宇宙人→ロシア人で拗ねるアンドリューなど、ピータートリオ集結したら見たかった内容が全部ある全部だ。丁寧に丁寧に全部やってくれる。
自由の女神像でのトビーとアンドリューの会話の「腰が痛い云々の話」とか映画の完成度だけ考えると、どう考えても別に要らない。でも、そんな要らない会話こそ何十年も見てきたファンには堪らなく嬉しい、ずっと見ていたい。親愛なる隣人の姿なのだ。
ピータートリオ集結以外にもファンサービスの塊で
- サンドマンがライミ版3を受けてピーターパーカーの味方として最初現れたり
- オクトパス「オズボーン、お前は死ぬ」オズボーン「えっ!?」サンドマン「お前ら二人とも死ぬ」オクトパス、オズボーン「えっ!?」」という会話だったり
- デアデビルことマット・マードック登場だったり
- デフォー先生の演技が凄すぎた。グリーンゴブリンの残虐性とデフォー先生の原始的な顔立ちが、笑ってしまうほどシンクロしている。グリーンゴブリンを演じるのにマスクはいらない。今まで僕はデフォー先生の顔面に対し、尊敬と敬意を込めて悪魔崇拝顔と形容していたが、本作を観るとグリーンゴブリン顔でもあったのだなと再確認した。
薬打たれる直前まで「俺たちを助けようとしたせいであの女は死んだ!お前が殺したようなもんだ!」のグリーンゴブリンの精神攻撃は凄かった。あれを耐えきったピーターは本当に凄いわ。
ノー・ウェイ・ホーム
本作が凄いのがファンサービスの塊であるのと同時に、トム・ホランドのスパイダーマンとしても1つの物語になっていることだろう。副題のノー・ウェイ・ホームの「帰り道がない」がまさか「もう戻れない」の意味だとは思わなかったが。
どうしてもトム・ホランド版スパイダーマンはトニーの遺産が強過ぎる感があったが、メイおばさんも亡くなり、中卒になり、誰からも忘れられてしまう。歴代で最も多くを失ったピーターになってしまった。
ラストシーン、トム・ホランドが持っているものは手作りスーツと無線機と、ネッドの一緒に作ったレゴデススターに付いてくるパルパティーンだけ。己自身は喪失し続けながら他人を喪失から救うスパイダーマンとしてニューヨークを駆ける姿がそこにはあった。
『スパイダーマン』ってそのスパイダーマンの口調の軽さからストーリーが軽めだと誤解されがちだけど、ヒーローとして活躍する裏で身近な人がドンドン死んだり不幸になったり辛い事が多い。「ヒーロー自身は誰が助ける」問題が常に付きまとう。こういう喪失しながらもヒーローとして駆けるスパイダーマンはPS4版をやってもらえると一番分かりやすい。
「大いなる力には大いなる責任が伴う」
これを言った人は次々死んでいく呪いの言葉になりつつあるが、スパイダーマンにとって切っても切り離せない名言であり、呪縛であり、僕なんて「そこまで頑張らなくて良いよ、温泉入ってゆっくりしてね」と言いたくなるが、それをしない親愛なる隣人だからこそ、再び立ち上がり夜空を駆けるからこそヒーローなのだ。トニー・スタークにスカウトされるところから始まったピーターが大人になり、一人立ちする。強くてニューゲーム状態だったトムホスパイダーマンがただのスパイダーマンになるまでの話。
そして本作はヴィランだから倒すという最適解をするではなく、ヴィランでさえも目の前の救えるかもしれない命として動き出す。このせいで大変なことになってしまう訳だが、それも含めてピーター。ミステリオが「優しすぎるのが弱点」と言った通りで、MJが「欠点がある方が好き」というのもその通り。そんなトムホスパイダーマンでもメイおばさんを殺したグリーンゴブリンは許せない。
しかし、それを阻止したのがトビーであり、ベンおじさんの殺した犯人やグリーンゴブリンを死なせてしまった後悔があったからこその「人助けこそ僕らの仕事だ」と答える先輩スパイダーマンの言葉が響く。そしてその言葉はトムホスパイディの目を醒ましたのだ。
無駄ではなかった。
ライミ版もアメスパも。大人の事情で正式な続編は作られなかったが、彼らとその因縁のあるヴィランたちの存在の上で、新しいスパイダーマンが生まれた。
スパイダーマンは、信念は受け継げていく。糸を紡ぐように。
僕はアメスパ2の打ち切りを知って、この続編はもう見れないというモヤモヤがあった。でも、モヤモヤした経験があったからこそ『ノー・ウェイ・ホーム』という作品により感動したのも事実。つまり、本作は過去作のスパイダーマンファンも救済してくれたのだ。素直に言いたい。
ありがとうと。
そして本作を通して長い長い3部作のスパイダーマン・オリジンは終わる。これからも「親愛なる隣人」はニューヨークを駆けるだろう。
細かな所
- 最後、記憶を失ったMJと会話するシーンでいつ「君の名は」とするのか期待してたけど、結局記憶は思い出せず秒速5センチメートルだったか~となる奴。
- 「ニック・フューリーに聞いてくれればわかる!」「彼は1年以上地球外にいる」「⁉︎」となるトムホランドの気持ちがよく分かる。ニック・フューリーは本当に必要な時にいない。そこらへんのヴィランよりタチが悪い。
- サンドマンは元の世界に戻って娘に会いたいだけなんがから、最後スパイダーマン達と戦う必要ねーだろ!と思ったが、元の世界に戻る=死ぬと誤解したのかもしれないし、ゴブリンがメイおばさんを殺して、ベンおじさんを殺した自分と重なり動揺して元の世界に戻れないと思ったのかも。
- 予告てストレンジ先生が悪いって思ってしまったけど、本編見るとそんな悪くなかったはすいません。でも、元医者なんだし、的確なインフォームド・コンセントがないまま手術へと進むのは危険だと知っているだろうと思ったけど、医者時代のストレンジ先生は傲慢だったからな……
- 最後にストレンジ2の予告流れたけど、既に公式のyoutubeで見た奴で「なんだコレ」っなってしまった。よくよく考えると海外だとこれが初お出しで日本公開遅かったから公式のyoutubeと公開が逆になってしまったのか、ソニーが悪い
- まぁただ、日本だと興行収入100億いきそうな『呪術廻戦0』と公開日が被るとお互い損するだけだからズラすのは仕方ないかな。スクリーン数には上限あるし、あっちは自前のスクリーン持ってる東宝だし。
- ストレンジ2でウォン「あの術をなんで使った!?」ストレンジ「頼まれたから…」ウォン「誰に?」ストレンジ「誰だっけ…」痴呆老人みたいな会話あるのかな
- ハッピーが全然ハッピーじゃない。スターク社も大変になりそうだし、ドラマとかで救済してくれ。
- MCU世界の民度が相変わらず終わってる。スパイダーマンのマスク取ろうとして「殴られた」と言い出す女や、MJに対して「スパイダーマンベイビー生みのか」とか言い出す男。ライミ版やアメスパがスパイダーマンを助ける民衆の描写があったから余計にMCU世界が醜悪に感じる。
- ヴェノムが前回の引きからのまさかの出オチとは思わなかった。あんなお笑いでMCU世界に残ったシンビオートが残虐非道な行いしても失笑モノなのでどう処理するんだろう。
最後に
エンドロールの「映画化にあたり、アヴィ・アラドに感謝を」にも泣いた。
アヴィ・アラドが製作したライミ版1作目から今年で20年。
ファイギやマーベルスタッフが先輩への謝辞するにはこのタイミングしかないだろう。
作品は、想いは、信念は受け継がれていく。糸を紡ぐように
最後に一言、
誰も知らない 街角に(スパイダーマン)
きらりと光る 怒りの目(スパイダーマン)
かなしみこらえ 友をもすてて
悪をさぐり 空駆ける(チェンジ レオパルド)
君はなぜ 君はなぜ
戦い続けるのか 命をかけて
ひとすじに ひとすじに
こんなにも東映版スパイダーマンの歌詞に合う内容の映画になるとは誰が思っただろう(日本語版主題歌こっちでよかったろ)
↑ストレンジ先生が使ってた可愛いコップ