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【ネタバレ】映画『すずめの戸締まり』感想と解説。新海誠が描く震災と村上春樹のあの短編

行動力の化身すずめに踏まれたり座られたりする椅子(CV松村北斗)と、光のチャラ男(CV神木隆之介)と、闇深重たい叔母さんと、糞猫のロードムービー

君の名は。』は彗星落下、『天気の子』は豪雨、『すずめの戸締まり』は地震。これらは新海誠監督による自然災害3部作といっていいだろう。そして本作はその到達点である。

 

君の名は。』ではティアマト彗星と呼ばれる巨大な彗星が地球に落下することに伴う災害により多くの人々の命が失われた日本を描き、物語は主人公の瀧とヒロインの三葉の行動により、人を命を救う。まるで祈りのような映画だ。不可能な願いを物語の中で現実にして、そこから自分自身を振り返るというのはフィクションの必然であり、フィクションが存在する意味でもある。

しかし「代償もなく死者をよみがえらせる映画」「災害をなかったことにする映画」と叩かれ、物語によって現実の死者や被災者を忘れさせてしまう。それで満足した気分にさせてしまう映画と、物語の強さ故に批判もあった。

 

次の『天気の子』では人が及ばない自然の力、災害を受け入れ、大丈夫じゃないけど、僕達が大丈夫にするんだ!と高らかに叫ぶ少年。しかし、主人公帆高の行動や選択に納得できない人も多かった。

 

では『すずめの戸締まり』はどうなのだろうか。

劇中の災いの元となる扉は「廃墟」にある。それは人が住まなくなった、「捨てられた」場所であり、そこにある「後ろ戸」が開くと災いで地震が起きてしまうので、それを止めるためにすずめと椅子(CV松村北斗)が日本中を駆けていく物語なのだが、本作では明確に東日本大震災が背景にある。

企画書の段階で「震災の映画である」と明確に決めていたと語っている。

 

そして、劇場や公式Twitterなどで「地震描写および緊急地震速報を受信した際の警報音が流れるシーンがあり…」という注意書きが提示されるほどに直接的な描写で震災を描いている。個人的には、アラームよりも揺れがくる瞬間の地面が鳴るような音が結構リアルな感じてヤバいな……と思ってしまう程、アニメーションで描かれる震災描写としても最高峰といえる。

 

新海誠本」の最初のページに掲載された、監督自身が企画書の前文として記した文章の中にこんな一節がある。

災害については、アポカリプス(終末)後の映画である、という気分で作りたい。来たるべき厄災を恐れるのではなく、厄災がどうしようもなくべったりと日常に貼りついている、そういう世界である。

(「新海誠本」4ページより引用)

震度3レベルの地震が劇中で何度か起きるが、そこにいる人達はそこまで恐れない。地震「日常」になっている。今の僕たちのように。

 

そして、終盤のあの東日本大震災後の街並みのシーン。架空の大災害じゃないんだよな、リアルにあったんだよなって…建物の上に乗った船とか見てアッてなるあの感覚。

 

何よりも震災後の自然に侵食される街並みを見た芹澤さんの「ここってこんなに綺麗だったんだなぁ」に対しての
すずめの「綺麗?これが…?」が滅茶苦茶刺さる。この何気ない会話が一番かもしれない。

芹澤さんの「綺麗」ってシーンは被災者当事者とのギャップがどれだけあるかって話にはなるけど土石流に飲まれた学校とか、廃墟の遊園地もすずめからしてみれば風景の一つでしかなかったあたりが割りと皮肉効いてる。余所者には余所者の感じ方があり当事者には当事者の想いがある。その違いが端的に表現されている「綺麗」って言葉だと思う。

 

ここまで徹底的に、リアルに「震災の映画」を描いているので、『すずめの戸締まり』の世界では、『君の名は。』や『天気の子』で起きたような世界や社会の形を大きく変えてしまうような出来事は起きない。

そこにあるのは、一人の少女の「小さな変化」だけだ。

新海誠はパンフレットの中に掲載されているインタビューでは次のように回答している。

他者に救ってもらう物語となると、まず救ってくれる他人と出会わなければいけないわけです。でも本当に自分を救ってくれるような他者が存在するのかどうか、わかりませんよね。『君の名は。』の瀧に出会えるわけでも、『天気の子』の陽菜に出会えるわけでもない。でも、誰でも少なくとも自分自身には会えるじゃないですか。

(『すずめの戸締まり』パンフレットより引用)

 

すずめを救うのは、他でもないすずめ自身なのである。

 

「ねえ、すずめ──。あなたはこれからも誰かを大好きになるし、あなたを大好きになってくれる誰かとも、たくさん出会う。今は真っ暗闇に思えるかもしれないけれど、いつか必ず朝が来る」「朝が来て、また夜が来て、それを何度も繰り返して、あなたは光の中で大人になっていく。必ずそうなるの。それはちゃんと、決まっていることなの。誰にも邪魔なんて出来ない。この先に何が起きたとしても、誰も、すずめの邪魔なんて出来ないの」

(小説『すずめの戸締まり』著:新海誠 より引用)

 

 

その言葉をかけるのは草太ではないし、普通の映画なら死んだ母が登場して声をかける。しかし、本作ではそんなことはない。死んだモノは死んでいる。世界は生きているモノでまわっているのだ。

母の死を心のどこかで理解しながらも受け入れてない過去の自身に対して、未来の、明日の自分が「大丈夫だよ」と言う。傷を無かったことにせず受け入れる。誰かに大丈夫してもらうのではない。すずめは自分で自分を救う。自分で自分を「大丈夫」にしてみせるのだ。

 

 

新海誠村上春樹好きとインタビューで度々答えているが、本作も村上春樹著の短編『かえるくん、東京を救う』に影響を受けているのが分かる。ミミズが地震を起こすのをかえるくんが人知れずに止める話という共通点がある。

その『かえるくん、東京を救う』について村上春樹はこう答えている。

これらの六編の短編小説*1においては1995年2月に起こった出来事が描かれている。ご存じのように、1995年1月に神戸の大地震があり、同じ年の3月には地下鉄サリン事件が起こった。つまり1995年2月というのはそのふたつの大事件にはさみこまれた月なのだ。不安定な、そして不吉な月だ。僕はその時期に人々がどこで何を考え、どんなことをしていたのか、そういう物語を書きたかった*2。

村上春樹村上春樹全作品1990~2000③』「解題」より。)

 

そして今、コロナ渦と地震。そして様々な不安さの中で生きる僕たち。

ぼくの敵はぼく自身の中のぼくでもあります。

『かえるくん』では、物語の終盤で、かえるくんの内側から「蛆虫」や「むかで」がうじゃうじゃわいてくる描写がある。これはかえるくん(善)の内側にみみずくん(悪)が宿っているということを表現し、善と悪は表裏一体という事を表している。

 

この不安だらけの社会の中で、自分の敵は自分自身。しかし、そんな自分を救えるのもまた自分自身であり、善と悪含んで自分自身を受け入れる。弱くても、弱いままでも、それでも自分で自分を救い、受け入れる。

そして生きて帰る。そんな物語。

だからこそ、エンドロールですずめは帰路で道中で出会った人にしっかりと再会している。神戸にも、すずめの実家にも。旅は、人生は別ればかりでない。そんなことを感じる。

 

細かな好き

  • 震災を経て「生は運」という価値観で、死ぬのは怖くないのスタンスだったのに、最後には死ぬのは怖いに変わってたのそうだよねそうだよね……!! って泣いたし生への願いが込められた話だった。
  • すずめが手ぶらで日本全国まわることになったから「お金どうするの?」と思ったけど、旅行費用が電子マネーだったのは面白かったし、その使用履歴で叔母さんに居場所がバレるのも現代チックで好きだし、その考えにならなかった自分が時代についていけてなくて悲しくなった。
  • 「私はすずめの明日」という台詞。やたら聞き取り辛かった。声の原菜乃華さんの演技が最高だったから逆になんでここだけ?となる。
  • すずめが自分で開けた「後ろ戸」を自分で閉じただけっていう人もいるかもしれないが、最初にすずめが扉に触れた時には既に少し開いていたので時間の問題だったのだろう(東京の要石も自然に取れてしまった)だからこそ草太も教員試験あるのにも関わらず来てたのだろうし。草太、お前、就職浪人だろうに、最後九州に行く余裕あるのか……
  • 北斗くんの話をすると初声優なのクソうまい。新海誠監督が凄いのもあるけど、北斗くんもこれから声優としても活躍できそう。
  • クソ猫はすずめに懐いて家族になろうと草太を要石にする。同時に要石の役割を果たそうとすずめたちを誘導し、「シンジャウヨ?ヒトガタクサンシヌヨ?」なんて煽ってすずめに役割を果たさせようとしたけど、すずめが自分を拒絶し、草太を救おうとしたので協力したって流れじゃないかな。
  • クソ猫こと、ダイジンのラストはあれでいいのかと思ったけど、誰かがやらなくてはならないし、それは年上がやらなければならない。そして誰かに愛された記憶があれば生きていけるそんなラストだったのかもしれない。これもかえるくんでの「ぼくにはあなたの勇気と正義が必要なんです」に似ている。
  • イスの脚が3本になってた理由は震災だと思うが、あれは本物というより扉の向こう側にあった想いの結晶のようなもの。すずめが椅子を受け取ったときには既に3本足だったが、その3本足の椅子は椅子を渡したすずめ(大)が小さい時にすずめ(大)から受け取ったもの。そんな向こう側と接点が大きい物だからこそ、草太とも融合したのかもしれない。
  • 草太が「馴染んできた……」と言いながらアクションするのは笑えるけど、振り返ると悲しくなるやつ
  • 新海がぶち込んできた性癖
    焼きうどんにポテサラ入れる
    おばちゃん「えっ」椅子「えっ」僕「えっ」
  • 兵庫にはああいうおばはんいる。
  • 光のチャラ男(CV神木隆之介)はオンボロオープンカーに昭和の歌謡曲っていい趣味している
  • 茶髪ピアス丸眼鏡喫煙者の教師志望光のチャラ男(CV神木隆之介)は「草太が気になって気になって試験に身が入らなかった!」と言い、借金2万ある上に高速代も高いのに闇深家族の送迎お疲れさま。最高の聖人だよ。車の屋根なおって良かったね→ドアの修理費の方が絶対に高いよぉ!!
  • 叔母さんが「お前がいたせいで!」って言うシーン、何よりも「お姉ちゃんのお金があったって」の質感がやばい。でもそれを乗り越えて2人のやり取りが最高なのである。
  • 今回の話は凄い好きだけどもう一度見たいってシーン、例えばスパークルとグランドエスケープに相当する場面がないのは気になる。黒文字で潰された日記は同じぐらい印象的ではあったが……
  • 全体的に新海誠監督の気持ち悪さは軽減されているが、その分物足りない人もいるだろう。本作で新海誠監督の性癖は全て神木キュンにいっているので……
  • 旅する中で装備を変えていくすずめが最後に初期装備の制服になるの、オタクがみんな好きなやつ。
  • 閉じ師募集!やりがいのあるお仕事です!観光気分でお仕事!あなたの財産になります!旅費は全て自分持ちな上に死ぬ危険性もあり、誰からも褒められず、責任だけはクソ重いお仕事……給料は出ない……やりがい搾取過ぎる……

 

最後に

震災を物語にすることに賛否あるだろう。僕はこの映画のメッセージ性が大好きだが、「これはダメだ!」と怒る人もいるかもしれない。

 

新海誠監督自身もインタビューで「一つのテーマを語る。自分の中で答えを出してないことを作品にして世に出すことで、その反応から新しい答えが見つかるかもしれない」と言っている。だからこそ多くの人が本作を観て、それぞれの気持ちを、感想を言えば、その反応から新海誠は新しい物語を見つけだすのかもしれない。

かつて『君の名は。』の予想外の大ヒットで様々な人から「気持ちが悪い」と叩かれまくったのにそれで折れずに
「『君の名は。』に怒った人をもっと怒らせたい。たぶんそれこそが、そのときの僕の表現欲求の核にありました」
ともっと気持ちが悪い『天気の子』を作る新海誠である。ドンドン自分の正直な感想を世に出していきたい。

 

それにしても、

草太はイケメンという設定だが、もしも僕だったら

すずめとすれ違って
僕「あの…」
すずめ「はっ(新海呼吸)」逃げる
すずめの戸締まり-完-

間違いない。