アニメ映画『BLUE GIANT』が滅茶苦茶良かった。
『けいおん』とか『ぼっち・ざ・ろっく!』を見てギターに興味を持つオタクのことを内心軽蔑していた僕がジャズバーに行きたくなるぐらい良かった。
『けいおん』とか『ぼっち・ざ・ろっく!』を見てギターを始めるオタクのことを内心軽蔑していた僕がサックスの値段見て「たか!」と驚くぐらい良かった。
滅茶苦茶良かったのだが、この素晴らしい映画を語る口を僕は持たない
ジャズに関する教養どころか音楽に関する知識なんて皆無に等しい。
村上春樹の影響でジャズを聴いた事は今までも何度かあったけども、楽しみ方が分からないというか、歌がない音楽ってどうしても退屈に感じてしまって、ジャズは後ろで垂れ流しながら別の事をしだして結局は音を聞かなくなってしまう。そんな経験ばかりである。
なんなら音楽全般そんなに関心がなく、普段から聞かない。
それどころか"音楽"にトラウマを持つ。
この世には壊滅的なまでにリズム感と音感がない人がいる。そういう人は音楽が生活の基盤にある現代社会で辛い思いをしているのはご存知だろうか。
音楽の授業で歌を歌うことになりドの音とか言われて「ド」の音だしたつもりでも「それミ!!」と怒られるし、リズムの表と裏の概念が理解できない。
そういう人は他人と「音」を楽しむ事に恐怖を感じ、音楽に関してはトラウマばかり経験したり、音との関わりをやり過ごす技術ばかり育っていってしまう。
例えば、学校の合唱の時間では口パクが当たり前だし、同級生から「あんた口パクでしょ!」と怒られて頑張って歌ってみると「声出さないで!」と理不尽に怒られるし
例えば、歌っている人に手拍子する流れになってもタイミングが分からず、かと言って手拍子を1人だけせず空気読めない扱いも嫌なので、音が鳴らない「エア手拍子」の技術ばかり上達してしまったり
例えば、断りきれず断腸の思いでカラオケに行くことになった場合、お腹痛いと偽って長時間トイレに引きこもるとか、滅茶苦茶喉の調子が悪い動きをするとか、歌うことになっても1人で歌わずデュエットを誘い、マイクの調子が悪いとか言いつつ殆ど声ださないとか、「ライブで客席にマイク向けるパフォーマンス」的な奴で8割過ごすとか「YATTA!」とか踊りのある曲を選んで歌わず下手くそなダンスで誤魔化したりする。
それらは過去の哀しいトラウマと、自分自身の自信のなさから生まれてくるモノであり、一生付き合っていかなければならない。そんな人間が音楽映画を楽しめるか……?と半信半疑で本作を観たが、これが実に楽しめたのである。僕ですら退屈になることなく、音楽って良いなと上映時間中ずっと心が滾ったのである。音楽に対してトラウマがあったとしても、カラオケ好きな人が嫌いでも、”音楽”は、音楽を純粋に聴くことは好きだったんだと改めて実感することが出来たそんな映画である。
公式サイトのプロダクションノートに
ライブ・シーンの難しいポイントは2つある。ひとつは「歌詞がなく、数分間にわたる楽器演奏シーンを、ジャズに興味のないお客さんにいかに飽きずに見てもらえるものにするか」という見せ方の問題。もうひとつは「ミュージシャンの演奏する様子などをいかにリアリティをもって描くか」というアニメーション技術の問題。
と書いているが、本作最大の見どころである楽器演奏シーンを圧倒的アニメーションとEX-ARMエクスアームレベルのCG作画の交互浴で観客は整っていく。
最近「整う」がブームなのは知っていたが、温泉に行ってサウナと水風呂の交互浴をしても「整う」という状態がどんな状況なのか理解できなかった僕が「これが整うってコト!?」と実感できたのが本作なのである。ステージの上でステージを超えて動きまくる2DアニメとギコチナイCG。
「うぉぉぉぉぉぉぉ!!!カッケー!!!」となるアニメーションと
「うわぁぁぁぁぁぁ!!!ダセェー!!!」となるCGが交互に来るのである。そりゃ感情がおかしくなる。
そんか感情の揺れ、映像が100点じゃないからこそ、カッコイイだけじゃない違和感があるからこそ最後まで飽きずに惹きつけられる。
僕のような"音楽"の教養がなく、普段ジャズを聞かない人間でもアニメーションの力と映画館の音響の良さ、主人公の大たちの物語性で「音楽を楽しめる環境」を丁寧に丁寧に舗装しているので過去のトラウマなど忘れて100%音楽を楽しめるっていう最高の音楽映画だった。自分にないモノ、ピントの合わせ方が分からないモノを吸収する時の取っ掛かりに「物語性」って本当に大事だと思う。幼少期から慣れ親しんだアニメーションから自分の知らない世界を知ることって本当に多い。
最後に
オールナイトニッポン55周年企画内での「タモリのオールナイトニッポン」で少年期、ジャズを聴いている人は誰もおらず、誰かと話したくても話せなかった内容のトークをしていたタモリと星野源。
しかし、誰にも言うことはなかったが“誰にも言えない”ということが決して嫌ではなかったという。星野が「孤独なんですけど、孤独じゃないというか。何かと繋がっている感じがちょっとある」と言うと、タモリは「友達とじゃなくても、他のすごいものと繋がっている感じがするんだよね」と話す。「発酵していく、みたいな」と例えると、星野は「すっごいわかります!」と嬉しそうに共感していたのが印象深かった。
今ではTwitterとかでいつでも繋がれる環境だけど、そういう環境じゃなくてもマイナーな映画や漫画や小説に触れている時にも感じることがある「繋がり」
それは作者であったり、登場人物であったり、共有しているモノであったり、自分自身だったり。
そういう感覚をトラウマを持つ音楽のジャズでも感じることがあるのだと知るとほんの少し親近感がわいてくる。
音楽のない生活を送っているけど、たまにはジャズ流すのも悪くないかなと思わせてくれるそんな映画だったと思う。