社会の独房から

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『ザ・スーパーマリオブラザーズ・ムービー』感想。楽しいだけ、の映画

映画の中でマリオとルイージが実家に住んでいて、40代ぐらいでも実家住まいなんて時代だなぁ~~と思っていたら、まだ26歳前後らしく「世界一有名なヒゲのおじさん」っておじさんじゃないじゃんと嘆く30代おじさんの感想ブログです。

 

 

マリオの映画が公開され、全世界で1000億を超える大ヒットを飛ばしている。絶賛一色な一般人の評価に比べて、プロの評論家たちの評価に賛否があった事から、日本でも公開前から話題になり、その引き合いとしてディズニーが叩かれたりした。例えば「ポリコレに染まったディズニーより我らがマリオが最高!任天堂最強!!!」みたいな感じでまぁ、炎上したりなんやらしたりで、いつものインターネットといった具合である。

 

ただ、これだけは言いたいのはそもそもマリオの映画を製作したイルミネーション・エンターテインメント(以下:イルミネーション)はこれまでずっとディズニーピクサーと比べられ叩かれたりしてきた。『ミニオンズ(怪盗グルー)』『ペット』『シング』で有名なイルミネーションだが、人生の意義を指し示してくれるような教養的で社会性の深みのあるディズニーピクサーと比べて、イルミネーションは深みがない、ただただ「楽しいだけ」と言われ続けてきたのだ。

映画なんて楽しいだけで良いじゃん!!と僕なんかは思ってしまう訳だが、満足できない人達がいるらしい。社会的メッセージ信仰が強いな…と。

 

 

そんな、僕らに人生の意義を指し示してくれるような教養的で社会性の深みに定評があるディズニーピクサーだが、最近ではあまりうまくいっていない。

theriver.jp

 

赤字になった『バズ・ライトイヤー』は僕も映画館で鑑賞したが、バズが「有害な男らしさ」から解放していくという物語性で、正気か?となってしまった。

 

www.shachikudayo.com

 

最近のトレンドである「有害な男らしさ」を題材にするのは良いが、小さな子供達も沢山鑑賞するだろう作品でやるようなテーマ性か?と疑問である。「有害な男らしさ」の映画って、もっと、こう何というか、社会や人生に何も残せてない中で、自意識だけは年々高まっていき、かといって特別に努力もしていないけど、社会にひと噛みすることで「やったった感」を出そうと日々必死な人が「有害な男らしさ」な映画を観て「かぁ~~~~!!勉強になったわ!!俺も見習って反省しないといけないな!!!!えっ!!??お前まだ自己反省してないの!!!??ダメだよ~~~ちゃんと映画見て自分の「有害な男らしさ」を認めないと~~~俺はちゃんと自己反省したよ~~~」と気持ち良くなる為にあると勝手に思っている。

 

何よりも、『バズ・ライトイヤー』は子供だけでなく、トイストーリーからのファンが楽しめる映画になっているか?とも思う。何というか、人気IPに便乗して「子供向け作品で、こんな大人向けのメッセージ送ってしまう俺!!!」みたいなファンの事より自分達、制作陣の気持ち良さを優先してしまった気がしてしまう。それがうまくいく時もあるけれども、中々難しい。

 

そして、そんな『バズ・ライトイヤー』とは対極に位置すると勝手に思っているのが今回取り上げる映画『ザ・スーパーマリオブラザーズ・ムービー』である。

 

あらすじを書くと

ピーチ姫との結婚を目論みキノコ王国に攻めてきたクッパをマリオとルイージがステージをクリアしながら最後は見事に撃退し無事に平和を取り戻すという冒険活劇ストーリー。

 

勢い余って最後まで書いてしまったが、大筋は本当にコレだけ。マリオに便乗して社会的、現代的メッセージを押し付けてくるとかもない。ピーチ姫の活躍ぐらいか?でもそれも原作からあるしな。

本作は王道なストーリーに、マリオシリーズのイースターエッグが山盛りで、散りばめられた小ネタの数々に、素晴らしいサントラ、まさしく、子供の頃からマリオのゲームを遊んできた人達にとって夢のような90分である。そして何よりも本作が「マリオ」の映画ではなく、「マリオブラザーズ」の映画だと感じる展開にグッと来てしまうのだ。

また、「ゲームの映画化」としても出来がよく、どれだけ失敗しても諦めずトライアンドエラーを繰り返しながら上達していった先にゲームクリアがある、というゲーム性質、面白さを敵が強くても弟の為に「諦めない」マリオとして表現しているのも良い。ちなみに僕は『スーパーマリオ オデッセイ』を発売日にウキウキで買ったものの、恐竜が出てくるステージで3D酔いしてそのまま諦めて積んでいる。 

 

結果的に異様に弟を愛している兄、マリオになってしまったのが面白いけども、ゲームを遊んでいて、マリオは喋らなくても弟に対する愛情は感じてしまうので解釈一致である。また、忘れてはならないのがマリオとドンキーの関係性である。悟空とベジータみたいな関係性だったとは……。

 

そして本作で一番可愛いのはピーチ姫でもキノピオでもなくネコマリオ。人生間違いだらけの僕でもこれだけは間違いないと思う。

 

 

 

本作を観た後に、自分の価値観が揺さぶられたり、観終わった日から、見える景色が変わるぐらい自分の中で何かが変わったり、新しい何かを獲得することもない。何も残らない。

 

ただただ、自分の中で「思い出」が溢れかえり、笑って、楽しむ90分間なだけである。

 

正直、僕はそんなにマリオのゲーム遊んできた訳じゃないのに、冒頭の任天堂クレジットから「知っている」キャラ、「知っている」背景、「知っている」BGMのテンコ盛りで、テンション上がりっぱなしで、こんなにも世界的に人気のあるIPで、こんなにもファン向けの映画作ったら、そりゃヒットするわなって。「映画として作る意味あるのか」という疑問を投げかける人がいるけど、「楽しめるから」それで十分以上なのでは。

 

 

本作は何かを学んで、獲得して体が重たくなるのではなく、映画館を出た後、ほんの少し体が軽くなる、そんな映画。同時に勘違いして欲しくないのは本作は「登場人物」と「物語」と「テーマ性」がきちんと存在しているので決して「中身が何もない」映画ではない。ただ、それらは観客に「内省」を求めたり、見ると現代社会の解像度が上がるとかではなくて、「あ~~楽しかった」に内包されるという話。

ディズニーピクサーと比べて叩かれ続けたイルミネーションが方向転換するのではなく、楽しいゲームを作り続けている任天堂と手を組み、「楽しいだけ」を極めようとしているのが、本当に素晴らしいと思う。色々な方向性の映画があって良い。

このまま映画で大乱闘スマッシュブラザーズ出来るぐらい任天堂のゲームを映画化してくれたら、そんな妄想しながら、毎日ニヤニヤできそうである。

 

そんなこと言いつつ、1つぐらいこの映画を通して学んだことありますか?と聞かれたら、「諦めない心かな」と答えると思うけども、映画を観て家に帰って久し振りにNintendo Switchの電源入れ、『スーパーマリオ オデッセイ』を遊んでみると5分で3D酔いで気持ち悪くなったので諦めて、そのまま寝ました。

僕にはマリオをクリア出来ない!!!!