映画を観る前のこのポスターの印象→幸福の科学の映画かな
映画を観た後のこのポスターの印象→主人公が周りを踏み台にしているようにも見え、映画の趣旨を完全に表現している10000点!!!!
5月10日よりアニメ映画『トラペジウム』が公開された。原作はアイドルグループ「乃木坂46」の1期生・高山一実による、累計発行部数30万部を達成した大ヒット小説。製作スタジオは『ぼっち・ざ・ろっく! 』や『SPY×FAMILY』で有名な今もっとも忙しいアニメスタジオの1つCloverWorks。
あらすじはアイドルを目指す主人公の東ゆうはアイドルになる為に様々な手段を選ばず行っていき、大人側の要求もエスカレート。東ゆうはより手段を選ばないようになっていき、一線を超えていく。
元アイドルがアイドル志望の主人公の小説を書くの、どうせ書くならリアリティあるアイドルモノが求められるとは言え、どう考えても主人公と作者を重ね合わせて観る人が出てきてしまう危険な行為である。しかも、本作はアイドルの「光」だけでなく生々しい「闇」も思いっきり描いているので尚更タチが悪い。
その「光」と「闇」を背負った主人公の東ゆうが凄い。普通だったら「アイドルオーディションに落ちまくってそれでも夢を捨てられない信念のある主人公がやってる事はゲスいが腕のあるプロデューサーに出会って、そのプロデューサーが集めてきた他のアイドルと一緒に言われるがまま活動して」みたいなプロットを主人公と凄腕プロデューサーを悪魔合体されたような主人子を登場させる。自分の夢の為に他人を巻き込みことのグロテスクさ。それを執拗に描いている。
主人公が普通に良い子だったらよくある真っ当なキラキラ青春アイドルモノになっていただろう。それを狂気と執着な主人公にすることによってサイコスリラーになっていて、この飽和したアイドル業界で頭角を現すにはここまでの狂気さが必要じゃないかと思う謎の説得力がある。それがやはり面白いと言わざるを得ない。
この東ゆう、可愛い顔をしているが、一歩間違えてジャンルが違ったら『ナイトクローラー』のジェイク・ジレンホールになっていた。
うん似てる。
この記事はこれが書きたかっただけである。
これで終わるのは流石にアレなのでここから具体的に書いていこう。
まず、アイドルオーディションにすべて落ちた東ゆうは別ルートでアイドルになろうと画策する。
思いついたのが、自分の名前が「東」で東校に住んでいるので「北」「西」「南」地域の高校に住む可愛い子と友達になり共に行動し注目されユニットでアイドルを目指していくというモノ。そして東ゆうは「アイドルグループを作る!」という夢を黙ったまま仲間作りしていく。滅茶苦茶回りくどい気がしてしまうが、まぁ「仲良くなったらたまたま東西南北でした!」というグループとしてのキャラ付けは大切かもしれない。しかも、そのキャラ付けの為に「南校だから南ちゃん!」と本名ガン無視なあだ名までつけていく徹底ぶり。そして思惑通りに東西南北のグループ仲間が出来るのだが、「アイドルグループを作る!」という東ゆうの夢は黙ったままなので当然アイドルになる気のないただ顔が良く仲が良いだけの3人が集まった。自分の夢の為の踏み台。完全にだましているのである。
それで本当にアイドルになれるのか。しかし、東ゆうは確信している。「可愛い子を見るたび思うのよ、アイドルになればいいのにって。」
うぉぉぉぉぉアイドル原理主義者!!!これがコロコロコミックの世界ならそれでも良かったのだが、残念ながら現実は違う。
そして4人となった後は注目されるため、またアイドルになった後に「ボランティア活動していました」という好感度アップのためにボランティア活動をするのだが、ボランティア活動自体に興味はないので目的が終われば平気で切り捨て次に進む。相手が車椅子の人やお爺さんだったりするので心辛い感じ。しかも、東ゆうは策略家でありながら意外と機嫌が顔にでるタイプなので、イヤな事が起きるとあからさまに機嫌が悪くなって周りが気を使って譲歩してうまくいっていくというポイントも糞である。
そして学際のシーン。ここ、原作だと東ゆうの行動と心の声でもう少し胸糞なのだが映画ではマイルドになっているのはエンタメとして正しいような寂しいような。
とんとん拍子にアイドルになっていく訳だけども、当たり前だが、東ゆう以外はアイドルになりたかった訳ではないので、アイドルという過酷な仕事に精神が肉体が病んできて、それに対して東ゆうもグループのハンドリング出来なくなって制御不能に陥り破綻していく。
グループの1人に彼氏がいることが判明して「彼氏がいるって知ってたら、友達になんかならなかった!」と絶叫したり、明らかに精神病んでいるメンバーに対して何もフォローしないので結果的にぶっ壊れたり、本作のもう1つのポイントとして東ゆう以外の3人のメンバーの聖人ぶりでギリギリ支えられている所が、その聖人たちが見放されたら終わりである。そして東ゆう自身には1人で活躍できるほどのアイドルの魅力はこの時にはまだない。
グループは解散し、東ゆうは絶望し泣いたりする。色々書いたがここまでは本当に良い。好きである。しかし、問題はここから。
再び集合するのだけども、絶交にもならず3人とも東ゆうを責めることすらなく「アイドルになってよかった」とフォローしてきて10年後も仲良し。東ゆうは別のアイドルグループの1員として…という終わり方。あまりにもハッピーエンド主義、都合良すぎて東ゆうが見ている夢…?と思っちゃう。何か東ゆうがアイドルとして成功するのは良いとして3人からは絶交されたまま孤高に輝いて欲しかった。
それでも、自分の夢にために他人を踏む台にするのもいとわない、そもそも可愛い子は全てアイドルになるべきだと考えているアイドル狂信者。その未熟さ、往生際の悪さ、滑稽さ、無惨さ、青春全てが美しいなって。そう思う。
最後に
乃木坂46合同会社も制作に関わっているからか、メイン以外の声優陣に乃木坂のメンバーなのだが、爺の声も演じていたりコント臭してしまう。というか収録現場で制作陣だけが楽しんでる感。
あと、10年前に撮影した集合写真を大人になってから見るというシーンがあるのたが、そこにいたハズの車椅子の女の子がいないモノとして扱われるのはもう少し何とか出来なかったのか。結構モヤモヤしちゃう。
あと、この映画、色々バズっているのでこれから見る人は主人公が「狂気」という前提で見れるからまだいいよ。幸福の科学の映画みたいだなぁと思いつつこの映画を観るといきなり舌打ちするわ!どういう気持ちでこの映画を観たらいいのかチューニングを合わせること出来ずに怒涛の展開ですからね!これだから何も知らずに映画館に行くのはやめられねぇ!
色々書いたけど、ただの青春映画ではない。そのえぐみを堪能して欲しい。