本作はいわゆる「どんでん返し」要素は薄い。しかしながら、「この物語はいったいどこに向かっているんだ?」という不安さ薄暗さ、「先が読めないジェットコースターのような展開で翻弄される戸惑い」こそがキモでもある。
まだこの映画を観てない人は戻って、映画を観てからこれを読んで欲しい。私からのお願いだ。ここからはネタバレありだ。
では、本題に入る。
概要
監督、脚本は『殺人の追憶』や『グエムル 漢江の怪物』と言った作品を手掛けて、韓国内外で非常に高く評価されているポン・ジュノ。日本のイケメン俳優に会うと、自分がいつイケメンだと気づいたか聞くユーモアも兼ね備えた監督だ。
— 社畜@はてなブログ (@vGCxzofgajr0BQc) 2020年1月12日
あらまし
起
父ギテク、母チュンスク、息子ギウ、娘ギジョンのキム家の4人は貧困に苦しんでおり、半地下の住宅で家族4人で暮らしていた。
ギウは友人の紹介で、パク家という裕福な家庭での英語の家庭教師の仕事を紹介される。大学には行っていなかったギウだったが経歴を詐称していざ面接に行く。
高台にある高級住宅街の一角にあるIT企業の社長パク・ドンイクの家を訪れたギヴは家庭教師として振る舞い、あっという間に母のヨンギョと娘のダヘの信頼を獲得する
こうして家族から信頼を得た事を良いことに、ギジョンは絵の家庭教師として、ギテクは運転手として、チュンスクは家政婦として次々にキム一家はパク一家の中へと「パラサイト」していく
承
パク一家が留守の時にキム一家がこれ幸いと豪遊。おそらくこの時がキム家の幸せのピークだった。
突然、チュンスクの代わりに家政婦を首になったムングァンが訪問。
建築家のあとに入居したパク家は知らない地下室があることが判明する。
地下室にはムングァンの夫グンセが隠れていた。この一家もパク家に寄生していたのだ。
ムングァンがチュンスクに夫婦の秘密を守って欲しいと懇願していると、隠れて盗み聞きしていたギテク、ギウ、ギジョンらが足を滑らせて出てきてしまう。ムングァンは彼らが家族であることに気づき形勢逆転。キム一家の詐欺を暴露するぞと脅し、醜い攻防戦が始まる。ムングァンは階段から転げ落ち、死んでしまう。
転
パク一家が突然の帰宅。
キム一家はムングァン夫婦を地下室に隠し、チュンスク以外のキム一家はバレないようにパク家から脱出。
しかし、外は大雨で、半地下の家は溢れた下水で浸水している。3人は避難所となった体育館で一晩を明かした。寝床で「次の計画」の詳細についてギウが聞くと、ギテクは「計画というのは無計画だ。計画があるから予定外のことが起こる。計画しなければ予定外のこともない」と話す。
そして次の日、パク一家の息子の誕生日会がパク家で盛大に行われる。
地下に閉じこめられていたグンセはキム一家に復讐するために地上へ。
ギウは頭を水石で殴られ、大量の出血と共に気絶。
ギジョンは包丁で刺され死亡。チュンスクはなんとか肉串でグンセを刺し殺す。
パクは車で逃げようとするが、車のキーがグンセの近くで落ちてしまう。
パクは何とか車のキーを取り戻すが、思わずグンセの匂いに後ずさる。その臭いに対するパク氏のリアクションを見たギテクは、衝動的にパク氏を刺し殺してしまう。
結
殺人を犯したギテクは地下室に隠れる。世間ではギテクは蒸発したと報道される。
病院で目覚めたギウにギテクは旧パク家の灯をモールス信号として使い、「ここにいるぞ」と伝える。
ギウは将来、金持ちになってギテクが地下室にいる豪邸を買って救い出すことを「計画」する。
貧相エンタメ
2019年は『Joker』
『天気の子』
そして『家族を想うとき』ではイギリス労働者階級の悲哀を描き、そして本作『パラサイト 半地下の家族』である。
「映画とはその時代の写す鏡」と呼ばれる事があるが、日本だけでなくアメリカでもイギリスでも韓国でも「経済格差」がどうしようもない程の問題になり、人々のテーマとなっているのが、露骨なまでによく分かる。
更に本作では別に金持ちは醜悪として描かれていない。
よくある富裕層が鼻につく感じでもなく、貧困層が可哀想な感じで描かれている訳でもない。劇中の金持ち一家はマヌケだが人は良いし、半地下一家は有能だがクズ。
半地下一家が金持ち一家を恨んでいる訳ですらない。それどころか貧困層同士が足の引っ張り合い、憎しみあっている状況は、この日本でもよく見る。
テレビで一人暮らしの独身サラリーマン33歳、手取り23万円で生活が苦しい、と報道されたところ、ツイッターでは「贅沢だ」「(内訳の)食費に◯万って無駄使いしすぎ」「俺なんか〇〇万円で生活している」といった、なぜか貧乏自慢が始まってしまう。
この人は現実に苦しい生活をしている、と思っている。これがすべてなのに。
我々は上をみず、同じ視線か下しか見ず、足を引っ張る。
中盤、大雨が容赦なく半地下の家に雪崩込む。
しかし、高台に住む金持ち一家はそんな事つゆ知らず、家族団らんを楽しむ。
利益は上が吸い上げ、下には災厄だけが雪崩込んでくる。
私はこのシーンの中にあるトイレの上で喫煙する所が大好きだ。
理想からあるべき所へと引きずり戻され、怒りとかやるせなさとかどうしようもない程の感情が本来出てくるのだろうけど、それを文字通りフタをする。
感情を下水とトイレで表現するというとんでもない絵面。ここだけでもこの映画の価値はある。
そして、たった二つの家族を通して韓国や世界に蔓延する圧倒的「経済格差」を可視化して見せているのだ。
下には下がいる。
本作は格差を描いているが、富裕層と貧困層、という単純な二元論になっていない。
中盤で自分たちは「半地下」だった!という事が判明するが、物語がホラーへの転調点であると同時にテーマにも通じている。
この社会には、「上」の人間には決して認知できない人、見えない人たちがいる。そして「下」の人間はそこに住むしかない。
そして「上」が普段見て見ぬ振りしている「下」の人を見た時には、もうすでにどうしようもない状況になっているのだ。
水石
本作のキーワードである、水石。
これは作品の冒頭で、ギウが友人から譲り受けたものだ。
この石は抽象的で美しい形をした石だが、母のチュンスクが「食べ物が良かった。」と思わず口から発してしまったように、食い物でもなく売れるかどうかも分からない。ただの金持ちの道楽で、貧困の底にある者にとって価値がある物ではない。
だからこそ、この水石はギウにとって、「理想の自分になれる象徴」「裕福になれる未来」なんだと思う。
大学に行き、きちんとした職に就き貧困から脱出するというプランがこの「水石」には込められているのだ。だからこそ最後、彼はあの描いた空間で「水石」から手を離した。なぜなら、「夢」が成就されたからだ。
故に、彼はあんなにも大事にしていた水石を大事にしていた訳だし、終盤、その石を地下室に落としたのは、彼の行く末を暗示していたように見える。
そんな大切な「水石」に彼自身が殴られるという事は、そんな身の丈にあってない事は無理だという非情な現実に思えてしまう。
モールス信号
終盤、モールス信号が「助けて」という意味だと金持ち一家の男の子は解読するが、何もしなかった。
言葉は伝わっても意味は伝わらない。次世代でもこの構図は変わらない。それよりもっと深刻になるという意味に見える。
また、貧困層がどれだけ救援を求めても、富裕層には伝わらない。言葉は無意味だ。
だからこそ、逆に最後、貧困層から貧困層にはモールス信号は伝わる。貧乏は貧乏同士でしか生きれない。この対比に見える(終盤のアレは脳に障害を持った可能性がある息子しか見ていないので全てが妄想だという事もありえるが)
最後に
『パラサイト 半地下の家族』は物語の作り方もうまく、金持ち夫が「元家政婦はとにかくよく食う。二人分食っている」というセリフが伏線になっていたり、金持ち家族の男の子の絵を妹がデタラメ分析するシーンで言ってた
「右下に共通して描かれてる黒い部分」が男の子のトラウマである地下を意味していて、よく見たらテント、晴れの日、手に何か持った男が描かれており、その通りの状況で半地下妹自身が殺されるという皮肉になっていたり、二回目見ても面白く、テーマとエンタメの両立具合が半端ないモノになっている。
笑えるし、ドキドキするし、不安になる。ポン・ジュノ監督天才!!!
鑑賞後にあるどうしようもない程の不安さは、この物語が決して他人事ではなくて今の日本、今の私達が住む場所でも起こりうる事だからだと思う。
「経済格差」「少子化」「異常気象」
そして「無敵の人」と呼ばれる人たち。
私達は何が出来、どう行動するのか。
取り敢えず私は観終わった後、ジャージャー麺注文した。
まずは、腹ごしらえってね(終わり)