「自分らしく私らしく与えられた役割からの脱却」所謂レリゴー思想というのが存在する。
それは『シュガーラッシュオンライン』などのディズニーアニメでよくテーマにされる題材で今の時代のニーズに合っており、圧倒的「正しさ」がそこにはある。
そう「正しい」のだ。
『シュガーラッシュオンライン』ではシュガーラッシュというゲームの人気キャラという役割だったヴァネロペがオンラインのレースゲームへと「選択の自由」の権利を行使し、移住する話だ。
ただ、私はこの話には引っかかる事があった。
それはヴァネロペ無き後のシュガーラッシュというゲーム筐体の存在である。
人気キャラが突然いなくなった筐体などバグだと思われ撤去されてしまうかもしれないし、そもそも今までヴァネロペを愛用して使っていたプレイヤーの気持ちはどうなるのだろうかなど、色々な思いが出てきてしまう。
そういうのを少なくとも劇中では有耶無耶にして「役割からの脱却」だけを先行させてしまうのはどこまで正しいのだろうか。
「役割ではなく自分自身の歩みたい人生を選ぶ」は、今までの仲間を消滅させる危険を覚悟する描写の必要があったのではないだろうか。
私はどうしてもモヤモヤしてしまった。
そして、その「正しさ」は今度上映予定されている『トイ・ストーリー4』でも全面に押し出される気配がむんむんしている。
そもそも三部作で綺麗に終わったはずの作品の続編というだけで不安が半分なのに、PV見る限りだと『トイ・ストーリー4』では今までのシリーズにあった「おもちゃであること」「おもちゃの幸せ」から脱却し「おもちゃとしての幸せではなく自分自身の幸せ」がテーマになろうしている気がしていくらそれが今の時代のニーズであり、多くの人から望まれている事でも、私からしたら今から大変しんどいのである。
恐らく、私にはディズニーが描いている「正しさ」が大変辛く眩しすぎる。
私の今までの人生は特に目的があるわけでもなくぷらぷらと大学に行き、今ではただの社畜になってしまい、何となく社畜としての役割を何とか全うしている。
そんな私に「役割ではなく、自分らしく生きてる事こそが正解よ」と言われてもどうしても違和感を感じてしまうし、「よーし自分らしく生きるぞ!」という活力なんて全然出てこないのである。
ただ、それは私がダメ人間なのが原因であり、ディズニーは悪くないのだが。
それでもこれからもその「正しさ」がテーマの作品が量産されるとなると憂鬱になってしまう。
そんなダメ人間の私でも救われる映画があった。
そう、『レゴムービー2』である。
『レゴムービー2』とは前作でたったの一作で『トイ・ストーリー』1~3をまとめた事で有名な『レゴムービー』の続編である.
色々『トイ・ストーリー』とは似ているが違うのは『トイ・ストーリー』は「おもちゃは実は生きている」という世界観だったが、『レゴムービー』は「おもちゃ遊びの世界は実在する」というアプローチをしている。
前作では親子を軸にしてレゴとしての役割の中で「子供に自由に創造して欲しい」というテーマを真摯に描いた傑作なのだが、今作では兄妹を軸に多様性や創造性について描いている。
そして本作では主人公のエメットが前作とはまるで変わってしまった世界で順応するために男らしく変化(大人になる)するのかしないのかがテーマになっている。
そう、『シュガーラッシュオンライン』同様、「自分らしさ」と「求められる役割」の選択が迫られる内容になっているのだ。
『シュガーラッシュオンライン』では悩みながらも「自分らしさ」を選択し、自分の元々の役割を捨て故郷と離ればなれになる選択をしたが、本作では「求められる役割」を選択し、暴走。
レゴ達に迷惑をかけ、エメット自身も反省し、愛するルーシーからの説得もあり、無理をするのもやめてもう一度「自分らしさ」を取り戻した。
ただ、『シュガーラッシュオンライン』のように仲間や故郷と離ればなれになることもなく、それでいてレゴとしての役割を放置する事なく、「役割を全うしながらも自分らしさを忘れない」というディズニーのレリゴー思想を超えてくれたアプローチをしてくれたのである。
全てはサイコーじゃない、だからこそサイコーなんだ。
役割でも自分らしくでも失敗やケンカもするけど、それでも立ち上がれるし、仲直りできる。
そんな当たり前の事を説教臭くなく当たり前に教えてくれる。
この映画はパロディなどネタ要素や馬鹿な要素も多いが軸がしっかりしており、観る人がどんなダメ人間にも勇気と元気をくれる、サイコーな映画だ。
何よりエンドロールが今まで観た映画の中でも最高なので超オススメだぞ!