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すまん『ミッドサマー』観て何も感じなかったんだが、俺って異端か?【ネタバレ感想】

どうやら俺は「感情」という奴を失くしてしまったのかもしれない。

えっ、なぜかって?

 映画『ミッドサマー』を観て、特に感情が揺さぶられなかったからさ。

 

 ネットでは「嫌悪」「気持ち悪い」「底なしの地獄」「鑑賞後は子鹿のように足ガクガクになる」「一生のトラウマ体験」から「癒し」「救われる」「浄化」「ただのセラピー映画だこれ」等々、正反対の感情の揺れではあるものの、強烈な映像体験になっているのは間違いない。

  

こんなこと言われるような映画は『すみっコぐらし(2019年)』以来である。

 どんな感情を俺に与えてくれるのか、期待と不安を胸に『ミッドサマー』を観た。

 

 観た。

う~ん、確かに完成度は滅茶苦茶高い。

 

強烈なビジュアルに、卓越したカメラワーク(特に最初、車が村に到着する際、カメラがゆっくりと回転しながら反転するのは異様なまでに不安を煽る)

 

ただ、余りにも交通整理され過ぎた物語は、それ故に先に訪れるモノを容易に予測できてしまう。特に前作『ヘレディタリー』観た人なら、アリ・アスター監督のクセが何となく分かってしまう。

 

そして意外性も、引っ掛かりもなく綺麗に終わってしまう物語は「はい」って気持ち以外特に湧いてこなかった。頭ではその良さを理解していても、心はそんなに揺さぶられない作品だ。

 

確かに俺は昔から「友達」というのが作れなかったり、「輪」に入れなかったり、体育の時間は常に教師とペアだったり、筆箱をごみ箱に投げられたりするような異端なところはあったが、ここまで世間と乖離が発生するとは思わなかったな。HAHAHAHA!!

ではここから更にネタバレありで内容に踏み込んで『ミッドサマー』の感想を書いていきたい。

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監督脚本:アリ・アスター 撮影:パベウ・ポゴジェルスキ 美術:ヘンリック・スベンソン 音楽:ボビー・クルリック

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 一番の見どころは会話劇

前作の『ヘレディタリー』でもそうだったが、アリ・アスター監督は観ていて居心地を悪くさせるような会話劇が本当にうまい。

正直に言うと、ホルガ到着してからの未知なるコミューンとの接点より、序盤の人間関係の方がよっぽど精神的にきた。

男だけで羽目を外す予定だったスウェーデン旅行に女であるダニーが参加しそうだと分かるあの空気感。

「一応誘ったけど、どうせ来ない」「ダニーも旅行来るか?(断ってくれ!)」とか、滅茶苦茶和の心を感じる。

特にホルガ手前で

マーク(3大欲求しか興味さなそうな男)「草やる?」

ダニー「私はいい」

クリスチャン(ダニーの彼氏、無能だが邪悪な男ではない)「じゃあ俺も」

マーク「一緒にじゃないと違うトリップになるぞ」

ダニー、クリスチャン「…」

ダニー「分かった私もやるよ」みたいなやりとり

同調圧力とか調和とかそういう和を感じてしまう会話とギクシャクした人間関係。

アリ・アスター監督にはホラー以外にもキラキラした学園恋愛映画を撮ってもらいたい。

 

また、前作『ヘレディタリー』でピーターが妹を運転中に死なせてしまった後、そのまま寝てしまう描写などアリ・アスター監督はリアルなダメ人間を撮らせても巧い。

 

クリスチャン・ヒューズの「駄目だこいつ…早く何とかしないと…」感が凄い。

決して邪悪ではないが、頼りなく、また子供っぽい。

確かにマークは立ちションして怒られても反省しなかったり色々酷いが、こいつの場合、阿保過ぎて一周回って愛着すら湧いてくるが、クリスチャンは愛着がギリギリ湧かない程度の無能さ、無神経さで死んでも可哀想と思わなかった。

裸になったり、クマさん着たりするのは可愛かったが。

 

ホルガ民とダニーの救済

突然家族を失ったダニー。

彼女は心の支えを求めているが、彼氏であるクリスチャンはその役割を嫌がっている。

そんな彼女は本作の最後、ようやく自分を受け入れてくれる新しい家族を持つ。

ホルガ民だ。

ホルガ民は「周囲の人間と感情を共有する」という伝統を持つように見える。

君がそう思ったなら私も必ずそう思うし、君が悲しければ私も悲しいし、君が嬉しいなら私も嬉しい。感情が伝染する。

そこにあるのは完ぺきに統一された共同体。

個が削られ、意見は対立せず、「共感」だけがそこにはある。

突然に家族という居場所を喪失し、誰からも求められなくなったダニーはそこで「君はもう自分を責めなくても良い、君はここにいて良いんだ」と全肯定され、ようやく笑顔になる。

その笑顔は、自分を不安にさせ、そして縛り続けていたクリスチャンという存在からの解放の意味もある。

 

ダニーが泣く時は飛行機の時もクリスチャンの友達の家の時もいつも独りだった。でも今は違う。

それは苦しみを共感し、共に泣くことが出来る新しい家族と人生を歩んでいく、それが何よりも喜ばしいと感じているような表情だった。

 

 

まぁダニーもクリスチャンとさっさと別れるべきだった。

心理学者のアドラーが言った。

恋人でも友達でも、雑な扱いをしてくる人に時間や感情を浪費するのは止めましょう。

杜撰な扱いをされていると感じたらすぐに距離を置きましょう。

あなたを杜撰に扱う人と関わる意味も意義もありません。

好かれようとする必要はありません。一方通行の対人関係は無駄です。
嫌われましょう。

 この精神大事。

 

ここ、ネットとかではダニーを自分と重ね、救われたとか、さっぱりしたとか、感動したとか、笑顔になったとか言っている人多いけど、お前はもっと自分の人生を振り返り、自分自身を顧みてみろ、お前も俺も救済される側じゃなくて、燃やされる側だからな、馬鹿野郎。

 

終わり方

個人的にやっぱり終わり方が好きではない。

文化に無理解の若者たちへの罰的側面もあるのかもしれないが、どっちにしろ生贄が救済というだけで詰んでいるのである。そもそも別でやってきたカップルが殺されている時点でただのカルト集団だ(お爺ちゃんたちのカップルがいない事への言い訳が雑だったのはいい味出てたと思う)

何よりダニーやクリスチャンを薬漬けにし、ある意味洗脳した時点で、セラピーとか解放という問題ではないだろ、馬鹿野郎。

 

やはり、最後はクマ被ったクリスチャンがクマの怨念で覚醒、もしくは花の精霊になったダニーが花の怨念で覚醒して、ホルガ民を殴り殺し、村ごと燃やして欲しかった。

これやってくれたらそれだけで100000億点で今年NO1映画だった。

というか熊の内臓取られたシーン、そのままクリスチャンも内臓取られると思ったからクマ被った時はふふふってなったよね。

 

恐怖と笑いは紙一重と言うが、本作も独特の笑いがある。

『ミッドサマー』みたいな洋画が好きな人って日本のお笑いが大嫌いという偏見を持っているので、こういうこと書くと怒る人もいるかもしれないがアリ・アスター監督の作品って全体的に『ごっつええ感じ』のコント臭というか松本人志のシュールなお笑いの感覚と似ている気がする。気がするだけかもしれない。

 

 

最後になったが、本作は確かに完成度も高く、傑作だと思う。ただそれだけだ。

グロ要素もあるが、中盤の崖から落ちて、スイカ割り以上はなかったので、後半はある意味肩透かしかなと思う。

 

スッとお腹の中に入ってくる物語だったが、個人的にもっと喉に骨がブスブス刺さるような作品が好きだ。以上。