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映画『ファイナルファンタジー』感想。FF映画というよりガイア理論宗教映画

制作費は約160億円だったが、興行収入は世界で約30億程度。

結果的に約140億前後の大赤字を出して、あのギネスブックに興行赤字の例として記載されてしまったことでも有名な本作。

それ自体は仕方ないが、その余波が私が当時楽しみにしていたアニメ『FF:Uファイナルファンタジー:アンリミテッド~』(以下、FF:U)の全52話が25話で打ち切りという悲劇に繋がった。

 FF:U自体も「現実世界と異世界を練り歩く」など独自の世界観を持っており「何でゲームのFFをそのままアニメでやらないんだよ」というツッコミは映画と同じだが、召喚シーンなど滅茶苦茶カッコよく、少年だった私は完全に魅了されていた。

 特にリサ・パツィフィーストというキャラが大好きだったのに、アニメ自体打ち切られたのも相まってマイナーキャラになってしまった。

本当はティファぐらいのポテンシャルあるハズだったのに。

ドラマCD「FF:U After2-リサ たちきられたくさり-」

 

現状pixivで#ティファ作品は4365作あるが、#リサ・パツィフィーストはたったの50作である。なぜぇ!!!!

 それもこれも『ファイナルファンタジー (映画)』が悪いである。

憎悪が抑えきれない私は長らく『ファイナルファンタジー (映画)』を見る事はなかったが、怒りの対象を詳しく知らないのはよくないなと昨今のSNSで感じることが多く、もう一度向き合う必要があると決意し、今回この映画を観たので感想をネタバレありで書いていきたい。

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【監督 坂口博信 【共同監督&撮影】榊原幹典【主題歌】 L'Arc〜en〜Ciel
Spirit dreams inside

 あらすじ

西暦2065年の地球。かつて隕石とともに現れた謎の侵略者ファントムの襲来を受け、人類に未曾有の危機が訪れていた。どんな物質も透過して進み、あらゆる武器が効かず、触れただけで命を奪う無敵の存在達に、残った人類はバリアシティに暮らしながら、生命力を兵器に転用し、わずかな抵抗を続けていた。

そんな中、老科学者のシドと女性科学者アキはファントムを無力化させる融和波動を発見、これをもつ8つの生命体を探して人類を救おうとしていた。一方で政府は最終兵器を用い、ファントムの本拠、隕石を叩いて一気に戦争を終結させ地球を守ろうと計画を進めていた。やがて知る驚くべきファントムの正体と生命波動の関係。果たして地球の運命は……。

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↑主人公のアキ。顔は可愛い時もあるがホラー感でる時もあり、安定しない。

ガイア理論

ファイナルファンタジー (映画)』と言えばガイア理論である。

 

本作では坂口博信氏が考えるガイア理論を100分間思いっきり浴びる事が出来る。

地球は生きているという事を知れる以外にこの映画から得られるモノはない。

娯楽性のカケラもないが、ある意味宗教映画に近いのかもしれない(昨今の幸福の科学映画はエンタメとしても中々面白いよ)

 

本作のガイア理論とは「生命体だけでなく、地球そのものにも巨大精神体「ガイア」が存在し、地球上の全ての生命体の持つ精神はこのガイアから誕生し、地球上での経験を通じ精神は成長する。肉体が死ぬと、精神は経験により成長した精神体となりガイアに還り、ガイアは成長し続ける」という理論。

つまり、惑星に住む生物はその惑星の生体循環でしかないという理論である。

1960年代に、イギリスの生態学者であるジェームズ・ラブロック氏が提唱したガイア理論を参考に作品を作っているのが分かる。地球を、自己調節能力を持ったひとつの生命体(有機体)であるとみなす説である。なお「ガイア」は、ギリシャ神話の大地の女神からとってある。

 

FFシリーズの生みの親である坂口博信氏はこのガイア理論が大好きだ。

この映画の他にもFF7FF9などにもガイア理論は登場している。

FF7のライフストリームでは生物が死によって星の中心に還るときに、持っていた知識やエネルギーは星に蓄えられ、そのエネルギーがまた新たな生命を生み出す。この精神エネルギーの循環の事なのでこの映画の設定と同じである。

2000年代前後は環境破壊などがよく取り上げれられる中、このガイア理論は注目されたので、坂口博信氏も興味のある話題だったのかもしれないが、まさかそのガイア理論一本で制作費約160億円もかけるのは正気の沙汰と思えない。

 

本作の敵であるファントムの正体も、始めは隕石に乗ってやってきた侵略者たちと思われていたが実は消滅した惑星の記憶によって生まれた亡霊であり、たまたま地球に流れ着いただけだった事がわかる(地球人からしたら滅茶苦茶迷惑な話である)

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↑敵であるファントムは意思疎通が取れない敵として魅力が出そうで全く魅力がない。巨大なノミにしか見えない。

 

FF7ジェノバのような宇宙生物だと思わせておいて、スピリチュアル的だったのはよかったけど、地球人や主要人物をあんなに殺しておいて綺麗に成仏するのは中々理不尽感がある(ガイア理論からしたら個人の死は地球に還るだけなので大した問題ではないのだろう。ただ、見ている側の私がその価値観についていけないので映画と私との間に溝が生まれている)

 

本作を通してガイア理論の素晴らしさを広めたかったのかもしれないし、ガイア理論は坂口博信氏の推しなのかもしれない。

自分の推しを約160億円かけて世に送り出すのは出来不出来、正解不正解といった二元論で語る事は出来ない。それらを超越した凄い事だなと思う。尊敬してしまう。

自分の好きなモノの推し方に困っている人は坂口博信氏を見習おう!

 

FFらしさ

本作の酷評の一番の理由は「FFっぽくない」という事だろう、

FF要素は「シド」と「ガイア理論」しかない。

ドラクエと違い「FFらしさ」は人によって大きく異なると思うが、タイトル見ずにこの映画を観た人がこれはFFだと勘付いたなら中々の強者。ガイア理論信者。

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↑このハゲがシド

 

ただ、触れば死ぬという敵相手に、剣や拳で戦うのは滑稽だ。そうなると「ファイア」や「ブリザド」という魔法主体になるのかもしれないが、宇宙人相手に魔法で戦うのもB級映画感が凄い。宇宙規模にしたせいで、設定段階で詰んでいる。

 

FF7Rでもそうだったが、絵面がリアルになればなるほど絵面が馬鹿になる事はあるので中々難しい。

ただ、同じ2001年公開だった『ロード・オブ・ザ・リング』が大ヒットだったので、宇宙人とか出さずに真面目な中世ファンタジーだったら受け入れられたのかもしれない。FF9みたいに原点回帰してくれればよかったのかも。

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↑この絵面でFFと分かる人いるのか

 

その他

作中の日付が坂口博信氏の奥様の誕生日だったり、ファントムは目に見えないので可視化するためのフレアビット撃っている事、最後のシーンはアキに子供が出来ていることを示唆しているなど、この作品をより理解するためには、本編を観ているだけでは中々分からないことを教えてくれるDVD特典の榊原幹典氏などのオーディオコメンタリーは必須だと思う。

 

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↑主人公のアキは冒頭付近で主人公とは思えないセリフを吐き、観客の好感度の下げていく。

また1度完成させた後、試写会の結果が良くなかったので作り直したが、それもよくなく元に戻したなどといった地獄のような製作現場を垣間見る事が出来るのもお勧めだ。

 

最後に

見終わった後、「つまんねぇぇぇぇぇぇwwwwwww」となるタイプではない。

見終わった後、「え、あ、うん・・・そう」ってなる。

印象に残らないタイプの映画だ。

あと、日本語吹替ないのは致命的だと思う。

 

 

ただ、坂口博信氏がこの映画を作る切っ掛けになったゲームと映画はいずれ交わうという仮説は本当に正しくて、現在その境はなくなりつつある。もしこの映画がヒットして、スクウェアの映画部門が潰れていなかったら、世界最高峰の技術をもったゲーム映画制作会社になっていたかと思うと、勿体なかったかもしれない(もしそうなら坂口博信氏もスクウェアから離れることなく、ソシャゲでクスぶる事もなかったかもしれない。嘘、テラバトル3待ってる)(FF15の映画は本当に出来が良い)

 

まぁ、もしもなんて言っても仕方ないのは分かっているが、それでもやはり『FF:Uファイナルファンタジー:アンリミテッド~』にもう1度チャンスが欲しいな。

 

最近はスクエニはんもFF14が絶好調で景気ええみたいどすし、

是非、完全版を作っておくんなまし!!!!!!!!!!!!!!!!