「蒼天と比べると紅蓮はゴミ」「アラミゴ人はクズ」
という総評が結構あったので、『紅蓮のリベレーター』編を遊ぶのを結構身構えていた僕でしたが、実際に遊んでみると大好きでしたね。
完成度は蒼天の方が高いけど、好きさは紅蓮の方が好きというのが僕の結論です。
項目に分けて、一つ一つ好きさを説明していきたい。
イルベルト
持たざるものが目的の為に全てを擲って闘う男に見えて、ただのクズ。
自分の妻子を第七霊災で失っていながら、バハムート以上の蛮神を呼ぼうとするその狂気。
三都市国家を騙って帝国に戦争吹っ掛けて無理矢理巻き込み、アラミゴ解放の為と集まった同志を騙して、蛮神召喚の生贄として虐殺。
しかも、召喚した後の蛮神に対してはノープランで、エオルゼアと帝国どころかアラミゴ自体も破壊する可能性は非常に高く、ただの自爆テロにしか見えない。
『機動戦士ガンダム0083 STARDUST MEMORY』でのアナベルガトーが昔は「漢」や「カッコよい」と言われていたのに9.11を境にただの「テロリスト」扱いされたように今どきこういうキャラは流行らない。
ただ、それでも、そんな自爆テロで、クズな行いが「アラミゴの奪還」の最初のキッカケを作ったのは事実であり、『紅蓮のリベレーター』編を語る上で彼は欠かせない存在になってしまった。
少なくとも鉄仮面がいなかったらアラミゴ植民地生活21年目はスタートしていただろう。
それはそれとして、イルベルトこと鉄仮面のせいでアラミゴ人からも不信がられて中々協力してもらえなかった時は「イルベルト死ね!」って思ったよね(もう死んでる)
クズがクズのまま、クズなりの理念を抱いてクズらしく死んでいくのを見るのが好きなのでイルベルトは好きですね。
リゼ
「許せないよ!納得いかないよ!やっぱりおかしいよ!」
というリゼ三段活用が多すぎてイライラしてしまったのも事実。
イダとして元気いっぱいのムードメーカーでしかなかった存在が、相棒であるパパリモを亡くし、遺言となった「自分に成せる事を成せ」といったセリフから、イダではなく、リセ自分自身と向き合うようになり、父と姉の悲願であるアラミゴ解放へと動き出す。
彼女はドマなどの色々な世界を見て、様々な人と出会い、戦い、敗北し、成長する。
ここで大事なのが、彼女が急成長しないということだと思う。
「ドマにとってのヒエンにはなれない、それでもみんながいるから進んでいける」
というセリフがある。
彼女が突然にヒエンのようにカリスマ性を発揮し、アラミゴ解放の立役者として突き進んでいくようなストーリーにも出来た訳だけれども、そうはならない。
あくまで今のリセに出来る範囲の事しか出来ないし、しない。
理想通りに人は動かないし、リセ自身活躍の機会が少ない。最後のゼノス戦もリセノータッチだとは思わなかった。
それがもどかしく感じる事もあるけれど、リアルでもあり、パパリモの言っていた「自分に成せる事を成せ」をそのままに今出来る事を必死にもがいているのだろう。
リゼ自身、ほんの少しずつだけれども成長しているのが見て取れる。
「なぜ殺す、なぜ奪う、もう我らアナンタを虐げるのはやめてくれ!」と言いながら蛮神を生んじゃうアナンタ族の族長さんに対しても、頭から否定するのではなく、アナンタ族の文化を理解する努力をした上で
「そうじゃないよ、よく聞いて族長さん。アタシたちは、みんな弱い、弱いから何かにすがる……。」
「でも、弱いからこそ蛮神じゃなくて、ともに生きる仲間と支え合ってほしいんだ!
そうすれば、いつか必ずアタシたちは理解し合える!」
「ねぇ、アナンタ族にとって、クリスタルの装飾具は、心を写す大切なものなんでしょ?だったら、その心を蛮神に捧げて、溶かしちゃダメだって!」
とリセ自身の言葉で説得しようとする。
そのあと拒否されても、
「今はわからなくてもいい……。でも、アタシたちは、あなたたちと同じ平和を望んでいるの。いつか、わかりあえるはずだよ。だって、アタシたちとアナンタ族は、同じギラバニアに生きる隣人なんだから……。」
と無理やり説得するのではなく、きちんと退却するのも良い。無理やりは帝国と同じになってしまう。
戦う意志がない人に対して苛立ちを見せていたリセはここにはもういない。
大きな変化はないのかもしれない。ただそれでも『紅蓮のリベレーター』編の序盤より確実に成長しているリゼを実感する事が出来て良かった。
「蒼天」と「紅蓮」の違うは「蒼天」の物語はほぼ完結したけれど、「紅蓮」はここからがスタート地点であり、リゼの真価が問われるのは今からなのだろう。
アリゼーと僕とリゼの3人で女子会の約束はいつか果たしてーな。
ヒエン
以前にも書いたけれど、ヒエンとリぜのこの会話が印象に残っている。
ヒエン:「……なあ、リセ。人というのは存外、小賢しくできておるものらしくてな。」
「大志を抱いて歩み出せど、困難にあうとまず後悔し、次は無性に先を不安がって、しまいには、夢そのものを否定する。」
「叶えたところで、良いことばかりではないはず、もっと利口な選択がほかにある……とな。」
「人の多くが、その境地にあろうよ。多かれ少なかれ、痛みを経てそこへ至ったのだから、おいそれと責めることはできん。」
「ただ、その悶々とした苦しみを知った者が、なお高みを見上げ、心を焦がしたなら……きっと気付く。」
「それはやはり、身命を懸けるに能う夢だとな。」
この一連の会話が本当に好き。
ジョジョにおける「人間賛歌」の哲学がふんだんに入っている。
ノミっているよなあ・・・ちっぽけな虫ケラのノミじゃよ!
あの虫は我我巨大で頭のいい人間にところかまわず攻撃を仕掛けて 戦いを挑んでくるなあ!
巨大な敵に立ち向かうノミ・・・これは『勇気』と呼べるだろうかねェ
ノミどものは「勇気」とは呼べんなあそれではジョジョ!「勇気」とはいったい何か!?
「勇気」とは「怖さ」を知ることッ!「恐怖」を我が物とすることじゃあッ!
人間讃歌は「勇気」の讃歌ッ!!
人間のすばらしさは勇気のすばらしさ!!
いくら強くてもこいつら屍生人は「勇気」を知らん!
ノミと同類よォーッ!!引用元:ジョジョの奇妙な冒険第1部
ゴウセツ
転生信仰があるドタール族との邂逅。
全く違う土地で、自分達とは異なる価値観を持っている人達。
どうしても頭ごなしに否定しそうになってしまう事もあるが、冷静に相手を理解する心を持つ。
それこそが多様性なのだと思う。それが出来ないのが帝国なのだろう。
『紅蓮のリベレーター』のテーマは「解放」と「多様」だと思っている。
ドタール族が死を恐れない理由は「勇敢に戦って魂の輝きを増すと、新たに生まれ変わる」と信じられており、新たに生まれて来る命には死んだ者の名が付けられ、皆、その人物生まれ変わりだと教えられ、同じように生きるという。
それを聞いたゴウセツは激しく否定する。
しかし、墓も作られず、そのまま打ち捨てられているドタール族の死体を見て、
「かように潔く感じる墓場は、はじめてにござる。」と言う。
長年、侍として主君に仕えてきて、主君のためなら命さえかけると言うゴウセツが、戦いに生き、戦いの中で死んだ者がゴミのように捨てられている死後を見て「潔い」と表した。
侍に通じると。
全く違う土地で、自分達とは異なる価値観を持っている人達の中にも、自分達の価値観にも通じるものがある事を知る。それこそが学びだし、多様性を知る事だと思う。
ゼノス
ガレマール帝国の第XII軍団長にして現皇帝の実子。皇位継承権第一位にして顔が良い戦闘狂(CV 鳥海浩輔)
個人的には「命のやり取りのスリルだけが生きがい」みたいなキャラ大好きだし、彼にとっての唯一の友人は完全な敵同士である光の戦士っていうの戦闘狂らしくて好き。
というか最後の戦闘前にいきなり主人公を同類扱いして(お前は戦闘が好きなだけという指摘はメタ的でもあり、ドキッとする)更には「友人」扱いしてきて、満足して、自分で自分を殺すの、無敵の流れである。
こっちが勝ったハズなのに「勝ち逃げされた」感が出るのはズルい。泣きながら土下座して命乞いしている所を殺したかった。
↑巨大化や化物化は負けフラグがRPGの伝統という事をゼノスは知っておくべきだった。
最後に
「蒼天」のような王道RPGではまるでない。
「帝国対属州」「支配と被支配」という二項対立に単純化もしてない。
被支配の中で懸命な模索を続けていた人物や異なる価値観の存在を看過することなく提示し、己の信念のままにぶつかり合い、散っていく。
アラミゴが解放された後も、帝国にスパイして自分で自分を死んだことにしたサブクエの息子はもう二度と故郷に帰れないし、母親に会う事が出来ない。
誰もが幸せになるハッピーエンドではない。
それでも、「身命を懸けるに能う夢」がそこにはあるのだろう。
そのテーマに真摯な作品だったと思う。
↑美味しい所を取っていくエスティニアン一体何!?