周囲が優しいエヴァQ
やってることは『ANEMONE』やシンエヴァ
【監督】 ラナ・ウォシャウスキー
超人気大作の続編を作るということ
アンダーソン君が1999年にゲーム『マトリックス』を開発。世界的大ヒットするものの、アンダーソン君自身は現実と虚構と区別を失い、セラピーを受けている状態。
そんな状態の中、親会社の「ワーナーブラザーズ」から続編である『マトリックス4』を作らないと契約を打ち切ると脅され、ますます精神的にまいってしまうアンダーソン君。しぶしぶ制作することに……
虚構の話のハズなのに、どこまでリアルの話なのか分からなくなる前半の話。ラナ・ウォシャウスキー監督のワーナーに対する隠れてない批判の証と僕は受け取った。
特にマトリックス4の内容を考える時の会議も素晴らしい。
マトリックスといえばバレットタイム!!!と連呼する人だったり
いやいや、マトリックスといえば哲学を挙げる人や、暴力だという人。各々が「自分が考えるマトリックス」を出し合う会議。ここで重要なのは会議に参加している人がマトリックスの大ファンだという事だろう。恐らく『マトリックス レザレクションズ』の制作現場もネオ主義を自称するファンが大量にいたのは想像に難しくない。そういう意味でも本作が二次創作みたいなのも関係してそうだ。
また、リブートは売れるという生々しい話。これ、ワーナー幹部から同じ事言われただろ感が凄い。
最終的に会議は迷走して、映画やゲームはオワコン。人々が求めているのは猫動画。つまりキャットリックスだという真理に辿り着いて本作は終わる。
そりゃTwitterやyoutubeで猫動画がバズる訳だ。前半部分好き。
トリニティと救世主の力。
中盤以降『マトリックス レザレクションズ』の物語はネオたちによるトリニティの救出作戦の話になる。
今作ではアナリストによる新しいマトリックスの中で、トリニティには「ティファニー」という名前が与えられ、夫と子供たちがいたのだ。
恐らくこの名前はオードリーヘップバーン主演の『ティファニーで朝食を』からだろう。
『ティファニーで朝食を』といばラストで自暴自棄になりブラジルに行こうとするホリー(オードリーヘップバーン)に対して彼女を愛するポールとの会話。
ポール:「僕は君を愛している。君は僕のものだ」
ホリー:「檻に入るのはお断りよ」
ポール:「檻じゃない。愛だろ」
ホリー:「この猫と同じ名無しよ。誰のものでもない。ひとりぼっちなのよ」
ポール:「君には勇気がない。人が生きてることを認めない。愛さえもだ。人のものになり合うことだけが幸福への道だ。自分だけは自由の身でいても、生きるのが恐ろしいのだ。自分で作った檻の中にいれば、それはどこにいてもついて回る。自分からは逃げられない」
これでホリーは自分の間違いに気づき、ポールとキスをして終わる物語だ。現代を生きる女性からしたら一部賛否両論出るかもしれないこの終わり方を踏まえた上での本作だろう。
『マトリックス レザレクションズ』ではネオがトリニティを救おうとする時に周りから「でも彼女は今の状態に満足し、マトリックス世界を選ぶかもしれない」と心配される。
なぜ満足しているかもしれないという疑問が出るのだろうか。これは「家族を持つ女性=幸せで満足」というステレオタイプ的な「役割」からくる偏見からだろう。
それに対してのネオの「最後は彼女に決めてもらう」という解答は、単なるヒーロー物語ではなく、自由意志を尊重していてよかったですね。
そしてトリニティは人のモノの象徴であるティファニーの名を捨て、自身を取り戻す。空を飛び、救世主としての力を手に入れる。
ここで疑問が出てくる。
なぜトリニティが救世主の力を手に入れたか。
可能性はいくつかある。
1.ネオが出発前に「自分を救世主だと思ったことはなかったけど、トリニティが信じてくれたから頑張れた。今度は自分が信じる番」と言っていたその対称性。
2.ネオが一度スミスに銃殺されて、救世主として復活したようにトリニティもまた生き返った存在だから。
3.救世主という調整システムはマトリックス毎に生まれるので、前のマトリックスでは資格がなかったトリニティでも新マトリックスではなれる可能性はあった。
4、ネオが中に入ったことでバグったスミスのように、バグの塊であるネオと一番接してたから
考えられるのはこれぐらいか。
ただ、救世主の力手に入れた後のアクションがもう少し欲しかった。あの1作目冒頭のような拳法で交わして宙に舞ってフリーズをしてくれたらテンションダダ上がりだったのに。
1作目の『マトリックス』ではネオだけが空高く飛んでいったが、今回はネオとトリニティーが手を取り合って飛んでいく。
ネオも飛行能力を取り戻しており、女性有利にするために過去(男)を下げる展開にしないのもバランス良くていいと思う。
人の自由
前作『レボリューションズ』でネオは機械の支配者である「デウス・エクス・マキナ」に対峙し、スミスを倒す代わりに人間の救済を約束させる。
激闘の末、スミスを最初の勝利と同じく、内側から破壊して消滅させた。こうして人類と機械側で和平が結ばれ、ザイオンから機械軍は去った。
そしてマトリックス内部の人間も現実に戻りたい者は戻っていいことになった。
しかし、その平和は長くは続かなかった。
電力の元である人間が減り、電力不足から機械同士で戦争が起きてしまう。
そしてザイオンでも戦いが続き、人々は都市機能をアイオに移転した。
そして本作。世の中には自由を求めない人がいると作中でも明言されていた。
それは僕も分かる。
僕もあんな現実なら仮想空間に引きこもっていたいと思ってしまう。1作目でネオ達を裏切った野郎に感情移入してしまう。そういう人って意外と多いと思うし、だからこそ『レボリューションズ』のラストに納得いかない所があった。
そこで本作。
「マトリックス世界を選ぶ人がいるなら、マトリックスをより良くつくりかえよう」
という結論は大満足。空に虹がかかり、月収30万で、ごみは曜日関係なくいつ捨てても良い。そんな世界になってくれ。
新モーフィアス
新しいモーフィアスは説明も最低限なので結構混乱する。
マトリックス内でのアンダーソン君が作ったゲーム版マトリックスでスミスの役割だったが、マトリックスでバグが起こり自我を持つ者がいるように、ゲーム版マトリックスでも自我を持ったのがこの新モーフィアスだろう。そして彼は自分からモーフィアスの役割を選んだ。もしくはアンダーソン君が洗脳されながらも、無意識的か意識的か脱出するために自分を導く存在をゲーム版マトリックスの中に隠していたのかもしれない。
最後に
ウォシャウスキーズ姉妹に対して昔から言われていた「ラナが哲学担当、リリーがオタク要素、視覚担当」は本当だったのだろう。確かにアクションは本当に酷い。
個人的には『マトリックスリローデッド』での天井や壁に張り付く敵の「天井や壁に張り付く意味ある!?」とか本当に好きだったのにそういうのもなくなっている。
人間爆弾とか面白かったが、あの街bot多すぎて笑えてくる。まぁネオとトリニティを抑えることを目的にした街なのかもしれないが。
あと、少年漫画脳なので、「奴を倒せるのは俺だけだ」と長年の敵だったスミスとの共闘は熱かった。彼もまた最後の戦いでの同化現象による決着から、ネオと切っても切れない関係に文字通りになってしまった。そしてバグである彼はアナリストによるデジャブ能力にも干渉されないと。
ただ、出来れば共闘シーンはウェーイ系アメフト部のアバターじゃなくてヒューゴ・ウィーヴィングに演じて欲しかったが。
監督が『レボリューションズ』撮影時、ネオとトリニティが死ぬのは辛かった。ただ、物語上死ぬしかなかった。ワーナーからは以前から続編を打診されていたが、「興味がない」と断ってきた。
しかし、自分の両親が死んだときに沢山泣いて思いついた物語がネオとトリニティが生き返る物語だった。だから今回の物語は緻密に作り上げたというより、爆発的に噴出したモノ。愛の物語だ。
と仰っている。
その結果が物凄く二次創作っぽいマトリックスになってしまったと思うのだが、ネオとトリニティが最高の恋人になるあの終わり方は素晴らしいと思う。
最後に一言
続編はもういいので、スピンオフ待ってる