社会の独房から

映画やゲーム、漫画など。

【ネタバレ】映画『ゆるキャン△』感想。社会人作品観るのに向いてない

原作ファンとしてはこういう映画は原作最終回の数年後にやった方が良い企画じゃねと思ってしまう。傑作だけど変な気持ちになる。そんな社会人作品

↑なんか後ろに重機あるけど、これはキャンプ場作りの分かりやすいイメージ図としてあるのであって、実際になでしこ達が乗ることはないんだろなぁと思ってた所に本編のアレである。「大人になったら出来る事が広がる」とは言ってたけど、ここまでとは。

これは、少し先の冬からはじまる物語。志摩リンは故郷の山梨を離れ、名古屋のちいさな出版社に就職し、一人暮らしをしていた。とある週末、ツーリングの計画を立てていたところに、高校時代の友人・大垣千明から唐突にメッセージが届く。「今、名古屋にいるんだが」山梨の観光推進機構に勤める千明は、数年前に閉鎖された施設の再開発計画を担当していた。「こんなに広い敷地なら、キャンプ場にでもすればいいじゃん」そんなリンの何気ない一言から、動き出す千明。東京のアウトドア店で働く各務原なでしこ、地元・山梨の小学校教師となった犬山あおい、横浜のトリミングサロンで働く斉藤恵那。かつてのキャンプ仲間が集まり、キャンプ場開発計画が始動する。キャンプでつながった五人が、今だからできることに挑む、アウトドア系ガールズストーリーの幕が上がる。(公式HPより)

 

 

ソロキャンやグルキャンなど、それぞれのやり方でキャンプを満喫する女子高生を描くテレビアニメ「ゆるキャン△」劇場版は、大人になった5人がキャンプ場を作るという展開。

ゆるキャンのメンバーが大人????

キャンプ場をつくる????

制作陣のエゴ強くないか?大丈夫か??など思いながら劇場へ行った訳だが、これがもう大傑作でしたね。

これまで学生としてキャンプを楽しむ側だったなでしこ達が大人になりキャンプを楽しんでもらう側に。

「自分たちの仕事が回り回って誰かのためになる、誰かを笑顔にしていく」

世界は誰かの仕事でできている、そんな当たり前だけど忘れがちなことを改めて実感できる社会人作品。

本当に良い映画なのは間違いないのだが、個人的問題として滅茶苦茶引っかかってしまうことがある。

それは学園アニメなら気にならないファンタジー要素も、社会人が舞台になるとファンタジー要素が重箱の隅をつつくように気になってしまう点だ。

 

そもそも『ゆるキャン△』自体がリアリティを売りにしている訳ではない。

原付で大井川上流まで行くとか、自転車で毎日浜名湖一周したとか、そもそも未成年の女性が1人で泊まりキャンプみたいな出来なくはないけど、いや無理だろというリアリティの作品なのだが、見ていて特に引っかかることなく自分の中で消化することが出来た。

しかし、舞台が社会人になると週末にバイクや車での長距離移動だとガソリン代や高速代の事が気になるし、ショップ店員がそんな休みとれるのかとか考えるし、タクシー代9万とか経費で落ちるんだろうけど公務員嫌いが見たら発狂しそうだなとか、キャンプ場に古い遊具を流用するのはいいけど万が一遊具が壊れて子供が怪我したら責任問題がややこしそうとか、錆落とさずに塗装したら塗装の下がまた錆びてボコボコになりそうとか、一年近くの労働がボランティアとか役人の奴らのやりがい搾取やんけ……とか揚げ足をとるようなことばかり考えて作品に集中出来ない。

 

結局、学園生活は異世界みたいなファンタジーとして見れるけど、社会人生活は現実との地続きで見てしまうってことなんだと思う。

こう考えると、叩かれがちな深夜アニメなど日本のフィクションの多くはなぜ学生を主役にするのか問題にもきちんと意味があったのがよく分かる。 

深夜アニメは死んだ目の社会人が主な視聴者層なのでその層に社会人作品は辛い側面がある。フィクションはフィクション、現実は現実と切り分けるのが難しいということだ。それは今の自分との接点が多ければ多いほどより難しくもなる。

また、キラキラした学園生活は見る分には心がキュとなる程度で済むけど、キラキラした社会人生活は今からでも努力次第で自分でも出来そうな希望があるだけより辛くなる。

 

ただ、そんな自分のことのように考える事ができるからこそより感動できることもある。

一部の人は仕事で他はボランティア、成果が出世に影響する人しない人、現場から近い人や遠い人もいる滅茶苦茶不公平な場所だと、どうしても負担の大小で軋轢が生じてしまい、「なかよしグループ」が段々と仲が悪くなりギスギスして終わってしまう。そんな例は腐るほどある。飲み会とか悪口と愚痴だらけになる。

しかし、なでしこ達はみんな「人」が出来ているからこそ、どれだけ差があっても円満で終わるのその関係性により感動してしまう所はある。

イヌ子のウソやで~とそれをくみ取っての大垣の行動など、本当に「人」が出来ている同士の関係性は見ていて気持ちいい。多分、ここがこの作品1番のファンタジー要素なんだけど、こんなにも見ていて人を幸せにするフィクションは中々ないよ。これこそが社会人への救いだよ。

 

 

細かな所

  • 冒頭の松竹からの富士山繋がりは「これがやりたかった感」が凄くて見ていてほっこり。
  • 冒頭のリンちゃんが満員電車に乗ってる時の表情、口が好き。満員電車嫌い。
  • リンちゃん、最初に松ぼっくりを拾ったときに\コンニチワ/が聞こえないのは仕事に忙殺され社畜になってしまったからだと思うけど、キャンプ場を作るってことでキャンパーのあの志摩リン復活の象徴として、松ぼっくりの\コンニチワ/が聞こえたんじゃないかと思うと、仕事はクソだとハッキリ分かる。

  • なでしこが体力お化けなのは分かるが、平日は終電まで働いて休日は土木作業するリンちゃんも僕からすれば体力お化けなのよ。
  • ラストでリンちゃんのバイクが故障して大変!って時にお父さんがガレージからあのビーノを取り出してきて大活躍するシーン、やってる事がトップガンマーヴェリックなんよ。
  • 「ちくわ……お前老衰で……?」とずっとハラハラしながら見てたけど、結局死なないんかーいとなった。まぁ良かった。
  • キャンプ場を完成した後の運営どうするんだ問題もエンドロールでちゃんとやってたり、全体的に隙がない映画だよなと。
  • 良くも悪くもキャラの濃さは薄まった印象。リンちゃんはグルキャンの良さを認めつつも孤高のソロを楽しんでたのに映画ではそもそも忙しくて中々キャンプ出来てなさそうだし、斉藤さんも休日は一日中寝ていて、気が向いた時だけキャンプに参加してたのにキャンプ場作りで普通に働いてるし、社会人になるということは社会の歯車として生き、個性がなくなるということなのかもしれない。サザエさん時空の大切さがよくわかる。
  • なでしこ達、5人誰ひとりとして結婚していないとかありえるのだろか。田舎に住んでいる人もいるのに。まぁここを切り込むにはそれこそ原作終了後、何年か経たないと無理そうだけど、そういう意味でもこの映画はまだ早かった気もする。それか40代になったなでしこ達の映画『ゆるキャン△』をいつかやる気なのかもしれないが。観たいか?
  • まぁ何だかんだ文句も言ったけど、こんなインドアの申し子である僕でもキャンプに興味でてくるゆるキャン△は、この映画は凄いよ。

 

最後に

特典はあるけど、パンフレットはどこも売り切れで辛い。こんな公開初日レベルで売り切れになるの異常。機会損失半端ないと思う。松竹さん、もっとやる気だしてくれ。

 

 

それにしてもなでしこ達が大人になるって聞いた時はもっと心を抉るような内容で子供部屋おじさん達が発狂するような内容になるかと危惧したけど、思ってた以上に原作の延長線上にある内容で、ゆるキャン△だった。個人的にはゆるキャン△という題材で、大人になったなでしこ達というならもっと出来た気もするが、これ以上やるともっと炎上すると思うので丁度いいバランスだったんだなと。これを踏まえて原作がどう展開していくのか楽しみだ。

最後に一言。

 

なでしこみたいな彼女は欲しいよぉぉぉぉぉぉぉぉぉおぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ!!!!!!!!!!!!!!