男性諸君、恥ずかしがらずに本音で向き合って欲しい事がある。
性的欲求を満足させるために製作された映像作品を見ていて、主演の女優ではなく、男優の方の立派なペニスに目が行く事があるだろうか。
私はあるし、あなたもきっとあるだろう。
安心して欲しい。
それはあなただけではなく、多くの男性も同じような行動をするのだ。
この本によれば
視線追跡装置を使って、男女が何枚かの画像(エロ画像ではない)を見たときの視標を記録した。それによれば、男が写っている画像を見ると、男性の被験者は決まって股間に目を向けるが、女性は股間にはほとんど目を向けなかったという
そう、多くの男性はあなたと同様に他人のペニスに興味津々なのである。
ただ勘違いして欲しくないのはだからと言って、男性は男性が好きとかそう単純な話ではない。
男性の多くは女性の母性に思慕の情を抱いてしまう。母性とは残念ながら一般的な男性には持ち得ないものだ。
故に、男性の「ペニス」と女性の「母性」両方を併せ持つ「男の娘」や「女装男子」といったジャンルが最強なのは当然の帰結である。
話は逸れるが、個人的には「男の娘」と「女装男子」にも微妙な違いはあると思う。
男の娘は「身体的性別としては男性」だけど「物語上の役割としてはヒロイン」の位置付けである。
身体的性別は男性なので女の子としての役割の途中で起きる羞恥心であったり、トラブルなど「性別と役割の間で発生するギャップ」を堪能する事が出来る。
そして女装男子は「身体的性別は男性」であり「物語上の役割も主人公的、ヒーロー的」である。
ただ、「男の娘」と「女装男子」の複合技みたいなキャラクターもいたり、要素だけでニンニクヤサイアブラマシマシみたいになっている胃もたれしそうなキャラクターもいたりする。
大変複雑なのだが、一応「男の娘」と「女装男子」にはそういう違いはあると個人的には思ってる。
話を本題に戻す。
ある意味、男性の理想郷なのかもしれない「男の娘」と「女装男子」だが、公の場でそれらが好きと言うと大抵白い目で見られてしまう。
あなたは町中で「男の娘が好きだぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!!」と叫んでいる中年男性を見たことあるだろうか。私はこれまでの人生で1度もない。
飲み会や合コンとかでも「男の娘」が好きと言っている係長を見たことがない。
なぜないのだろうか。
人が好きなモノを好きと言えない社会とは果たして正しいのだろうか。
「男の娘」と「女装男子」が好きという気持ちは悪で、十字架を背負う必要があるのだろうか。
そういった問題に鋭く突っ込んだ作品が今回レビューするゲーム『ボク姫PROJECT』である(『ボク姫PROJECT』の感想読みたくてグーグル検索してこのページ開いたのに全然読みたい内容じゃなかった!と嘆いていた人は安心して欲しい)
ここでは
- 中年男性が『ボク姫PROJECT』が遊ぶ事の意味
- 堂々と「男の娘」と「女装男子」が好きと言う秘訣
- 『ボク姫PROJECT』のゲーム性
について語っていきたい。
少年よ、美少女よりも可愛くなれ――
女装覚醒アドベンチャーボク姫PROJECT
あらすじ
女子生徒率99%の超お嬢様学校「私立百合愛学園」
その学園のルールは「可愛さ」こそ全て。
学園内の謎の事件に巻き込まれた姉を救うため、
「女子生徒」として入学した主人公は、
学園一の美少女となるために「女装」を磨いていく。
しかし学園には、別格の可愛さを誇る4人の美少女
「四姫」が存在した。
女装少年 vs 超美少女
前代未聞の「可愛さ」対決が――今始まる!
中年男性はなぜ女装覚醒アドベンチャーを遊ぶのかその答えはバス江にある
(C)スナックバス江3巻
人は空想の中ではどこへでも飛んでいける。
これは私の話ではないが、30歳超えの童貞で髪の毛薄い中性脂肪多めで、顔は客観的に見ても良いとも言えない男性(端的に言えばブス)が「人は見た目ではない」と言ってもどうしても哀れみが生まれてしまう。「可愛くなりたい」と言っても鏡を見せられたり、鏡で退治されてしまう。
ではブスはブスとして生き、死んでいくしかないのか。
そうではないと『ボク姫PROJECT』(と『スナックバス江』)は教えてくれる。
人は努力して理想の自分へと変わる事が出来る。変わろうとする事が出来る。
自分の素の容姿に自信がなく、お化粧する事で自分が思う「可愛い」になるキャラクターが『ボク姫PROJECT』にはいる。
また、女装男子である主人公だってそうだ。
男だって、女装をして変われる事を教えてくれる。
重要なのは「ブス」とか「女装」とか「性別」ではない。
「変わろうとする意志」であり「可愛くなりたいと思う願望」なのだ。
そしてそんな『ボク姫PROJECT』を遊ぶ事により、多くの30歳超えの童貞で髪の毛薄い中性脂肪多めで、顔は客観的に見ても良いとも言えない男性(端的に言えばブス)だって女装少年に憧れを持つ。自分だって変われると希望を持つ。美少女になって混じりたいと思う。
それは何よりもきっと尊い事なのだ。
人はどこにだって行ける。30歳超えの童貞で髪の毛薄い中性脂肪多めで、顔は客観的に見ても良いとも言えない男性(端的に言えばブス)という風の強い日を強制的に選んで走ってきたあなたなら。
堂々と「男の娘」と「女装男子」が好きと言うには
本作の主人公である伊草ミナト。
彼も攻略ルートによっては自分が女装している事を全校生徒の前でバラされてしまう。
それによって彼はそれまで必死に築いた立場や努力を粉々にされ、立ち上がれなくなってしまう。
しかし、彼はもう一度立ち上がる。
それはなぜか。
姉を救うという目的のため。
何よりも、女装という事を知っても駆けつけてくれる仲間がいるからだ。
人は独りでは、生きれない。
誰かと寄り添って生きていくモノだ。
私はこの前、Netflixのドキュメンタリー作品『ビハインド・ザ・カーブ ─ 地球平面説』を見た。
地球平面説を信じる人たちは「科学」の場から排斥され、周囲の人からバカにされるほど、地球平面説を信じていく。そして、「地球平面(フラットアース)国際会議」の場で、同じ志を持つ者たちは抱き合う。
彼らは言う。
「それまでの家族や友達とは疎遠になったが、何よりも得難い同志がここにはいる」と。
我々の社会でもそうだ。
例え、家族や職を失ったとしても、「男の娘」と「女装男子」が好きだと公言すれば、同志はあなたと共にいてくれる。
あなたは独りではない。
辛い時は励ましあい、
悲しい時は共に泣き、
面白い時は笑いあう。
「男の娘」と「女装男子」に趣がある人はあなただけではない。
十字架を背負う必要はないのだ。
例え、社会的には間違っていたとしても好きなモノは好きと言えるようになろう。
あなたが地球平面説のように社会を変えていこう。
ゲーム性など
本作は日本一ソフトウェアによるPS4とNintendo Switch向けに発売された定価7678円のゲームである。基本的にはよくあるアドベンチャーゲームで、途中で攻略ヒロイン毎への分岐がある以外、一本道だ。
定価7678円だが脇役が全て『名探偵コナン』における黒い人みたいになっており、省エネ設計である。
一応、ステータス画面があり、能力を上げる事が出来る。
ただ、能力を上げるチャンスが少なく、求められる能力値が厳しいため、まず間違いなくゲームオーバーになり、「なぜなのボク姫」というパロディしかないコーナーでヒントを見て、決められたステータスを上げていくしかない。そこに自由はない。
↑このコーナーギリギリである。
↑ダンガンロンパの学級裁判みたいなミニゲームも存在する。別に面白くはない。
まぁ、ゲーム性は期待するな。
そこを楽しむゲームではない。
トロコンが簡単なのでにトロコン厨は良いかも。
最後に
人は黙っているだけで様々な性的趣向がある。
ケモナーな人だって、グロテスク好きだっている。
それぞれを頭ごなしに否定するのではなく、拒絶するのではなく、相互理解の心とほんの少しの距離感が大切である。
社会心理学者のロイ・バウマイスターの
違いがあるが同等だ。
の精神を大切にしていきたい。
ここで言いたかった事は
私は女装男子の脇の下という毛細血管が沢山詰まっている所をペロペロするのが好きなんだけど、引かないでくれってこと。