社会の独房から

映画やゲーム、漫画など。

これからのTwitterとの付き合い方、距離感を考える。デジタル・ミニマリストという生き方

自分のTLという核シェルターを出たら、『北斗の拳』みたいに暴力で支配された世界が広がってる事で有名なTwitter

その世紀末ぶりは「コロナ禍」でいっそう拍車がかかっているように思える。

 

愉快な事だけツイートしていた人が政治やら社会へのお気持ち表明ツイートしかしなくなり、それを「壊れてしまった」と表現した事で炎上してしまった事件が最近あった。

個人的には本来Twitterって政治や社会含めて、Twitter社の規範から外れない程度に自分の好きな漫画や映画、性癖や現実への愚痴など自分が今言いたいお気持ちをドンドン表明していった方が絶対に楽しいという考え方だ。

そもそも自分の気持ちを文章にしてまとめるのは自分の考えの整理にもなる。だから政治やら社会へのお気持ちを表明したらダメとは全く思わない。

 

ただ、暴力で支配された世界にずっといると頭がおかしくなってくるのも事実。

特にTwitterなんて1ツイートに140文字しか出来ないからどうしてもパワーワードを用いた負の感情の塊みたいな火炎瓶が飛んでくることが多い。たとえそれが正当な理由であっても怒っている人の発言が目につく事が多くなり、自分に無関係な事柄への感情的な揺れ動きに疲れるようになってしまう。

 

テクノロジー哲学者ジャロン・ラニアーは次のような説得力ある分析をしている──「怒りや言葉の暴力がインターネット上にはびこるのは、ある意味、インターネットという媒体の性質と切っても切り離せない現象といえる。誰もが自由に参加して他人の関心を奪い合う場では、前向きで建設的な意見よりも、負の感情のほうが注目を集めやすい」

 

 現実社会が緊急事態の時に見ていてストレスが溜まるツイートが増えるのは仕方ない。

そもそも現実の延長線上にSNSは存在するのだから、現実で鬱憤が溜まるとSNSも荒れてしまうのは当たり前だ。不安になれば不安になるほど、感情的にもなる。

ただ「コロナ禍」で問題なのはこの感染症は長期化する恐れがあるのと、感染症自体解決しても、ほぼほぼ間違いなく経済的不況が来るという事だ。

そうなると後1、2年(もっとかも)TwitterなどSNSは世紀末化が進む。

誰かが泣いていたり、怒っていたり、殴り合っていたり、そういう負の感情がTwitterを侵食していく。

 

それは流石に辛い。

 

最近、ワキが痛くて痛くて、コロナも疑いつつ皮膚科に行ってみると「帯状疱疹」と診断された。ストレスや疲労が原因らしい。

ただ「コロナ禍」の影響で仕事は暇な事が多く、以前よりリラックスしている。ストレスの原因で他に考えられるのはTwitterである。

考えすぎかもしれない。ただストレスの1割ぐらいはTwitterが原因ではと思わないことはない。

こういった事があると私もTwitterを初めて10年ぐらい経つが、そろそろTwitterとある程度の距離を置くべきかなぁと思い始めてきた。

 

ここから更に具体的にTwitterにおけるストレスについて書いていきたい。

 

①安易な対立構造の深刻化

SNSって本来関わる事がない大勢の人と出会い、多彩な価値観を知れる事が良さの一つだが、そもそも人は多彩な価値観を欲してないように思える。

メタルギアソリッド2 サンズ・オブ・リバティ』のAI大佐に発言を見てもらいたい。

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まだSNSも発達してなかった2001年の時点でここまでの今のネットを予想していたのは凄い事だが、最近では相手を淘汰させようとマウント技術や、相手陣営のバカを晒しあげる技術ばかり育っていって、より感情的に対立軸が深まり、自分が納得する事実が飽和していっているように見える。

特に相手陣営のバカを晒す技術は年々悪質化しており、自分の政治的思想とは真逆のアカウントを作り上げ、その垢で極論やツッコミ所満載の事を言わし、それを晒して相手陣営丸ごと馬鹿にするという自作自演まである。

「嘘を嘘と見抜けないやつに云々」とは古くからのインターネットのならわしだが、ここまで高度化した嘘が出てくると何が嘘で真実か分からなくなり、何も信用できなくなる。

ここら辺の問題はステマ騒動と同じだと思う。

 

また冷笑系と呼ばれる層もいる。

自称中立や一見中立そうに見えて、実はバリバリに特定の政治思想を持っていたり、冷静な口ぶりだがよくよく見ると「俺の支持している政党の悪口言うな」みたいなツイート内容になっている人も多い。

これは偏見だが、Twitterの特にオタク層は感情的になっては負け、格好悪いと思っている人が多く、結果的に「醜悪な内容を冷静な口ぶりで感情を表に出さずに内包する技術」が育っていったのだと思う。

また、そういう冷笑系の方々は現実よりもツイッターにおける自分のポジショニングを非常に大事にする。

それ故に例え現実に影響を及ぼす政治関係者の大変な話題の時でも、「俺は他の人と違い冷静」という立場を崩さない。そして政治問題の本質からは目を背けてツイッターにいる感情的で馬鹿な事をツイートしている人を嘲笑う事に終始する。

 

ただ、問題は現実の延長線上にツイッターは存在するという事だ。ツイッタラー同士での足の引っ張り合いで本題が有耶無耶になってしまうと誰が得をするのか考えていかないといけない。

 

感情的になって罵詈雑言するツイートはハンマーで頭が叩かれるような衝撃があるが、こういう自称中立的ツイートはなまじ説得力があるので、ジワジワと細胞を侵食されていくような感覚になる。

 

 

また、義憤に駆られた人に面白さを感じてしまう人もたくさんいる。

例えば以前あったこの騒動。

内輪ネタを陰謀論だと勘違いしてまったというしょうもなさすぎる話。

星野源安倍総理コラボの時も今度は町山さんが引っかかったりした。


個人的にこの騒動で一番残念なのは、星野源安倍総理コラボという本筋ではなく、町山さんが内輪ネタに引っかかる話がTwitterで話題になる事だ。

義憤に駆られた人がコンテンツ化し、そのネタが無限に消費されていく。

政治ネタなどが嫌いな人もそういうネタは大好きだし、「そんなしょうもない事に引っかかる人がいるグループ」と同じだと思われたくない層や見下したい層も生まれる。

そしてそういった層の方がネタを長く遊ぶので後から見た人には星野源安倍総理コラボが前菜で、町山さんの話がメインになってしまう。

 

ツイッターFacebookの延長線上の存在だと思ってる人と、匿名掲示板の延長線上だと思ってる人との間にある溝が埋まらないのが、ツイッター政治語りが混沌とする原因の一つだと思う。

そもそも偽垢、偽造工作し放題のツイッターで正確さが何より求められる政治や医療の話は致命的にあってないような気がしてならない。

 

また、「誰か」や「何か」が炎上すると、元々それらが嫌いだった人が「ここが好機」とばかり激しく責め立てるのも辛い。言っていること自体は正論が多いが、普段そんな事で怒らない人が「密かにアンチ」の事になると烈火のように見下したり、馬鹿にしたり、怒ったりする。

 

それらに加えて、TwitterなどSNSでは「いいね」や「RT」という承認欲求を気軽に満たせる数字がより対立構造を深刻化させる。

冒頭にも書いたパワーワードを用いた負の感情の塊みたいな火炎瓶みたいなツイートもバズる技術だし、共通の「敵」を作るのもそうだ。

現実の歴史を見ても、共通の敵を作ることはよくある事ではある。それがネットでも利用される。

ここでは代表例を取り上げる。

ネットVSマスコミ

マスゴミ」という造語がある。

ネットVSマスコミというのは昔からよくある対立構造だ。

Twitterを見ていても、「マスコミは報じないが」「メディアは取り上げないが」が流行の序詞なのかなと思ってしまう。

マスコミも問題は多いし、一括りにしてはいけないが「マスコミは報じない」と言いつつ、NHKのニュース番組のスクショを張り付けているツイートを見た時は、流石にボケているのかなと思ってしまった。

すべてのニュース番組などをチェックするのも1人では事実上不可能なのに「テレビで取り上げない!」と躊躇もなく断言できるのが怖い。その精神構造と思い込みが怖い。

そもそも「マスコミ」という表現があまりにも主語デカ過ぎる。

ネット民だって、マスコミに「オタク的趣味持っている人が犯罪云々」言われるとオタクで一括りにするな!と怒る人がいる(その怒りは納得できる)のに、同じことをしている。

せめて、朝日新聞が!とかミヤネ屋が!とか○○記者が!とかそういう方が良いのではと思う。

 

若者VS老人

老害」と言われる造語がある。

「コロナ禍で若者の行動ばかり注意されるが、高齢者の方が酷い」みたいなツイートは『北斗の拳 』世界でのモヒカン頭ぐらいよく見た。ただ、この状況で若者VS老人は流石に不毛過ぎて、私も見ていて辛い。

 

 

こういった対立軸が深まり、分断化されると「このツイッタラー嫌い」というのがドンドン増えてくる。

人が人を嫌いになる理由は千差万別で、当たり前の感情なので別に良いのだが、問題もある。

嫌いな相手が関わるもの全て嫌いになっていくという「森田理論」の存在だ。

 

f:id:Shachiku:20200426144316j:plain(C)スナックバス江6巻

 

 嫌いな人が私の好きなコンテンツに手を出すと複雑な感情を抱くことは確かにあるし、「逆張り」したくなってくる。

また、Twitterで自分達の事を面白い、他のオタクとは違うと思っている先鋭化された集団にもなると「あ~あの作品好きだったのにあの面白くない奴に目をつけられたか~、そろそろあの作品もオワコンかな」みたいな怖い事を平然と言ってのける。人の自意識で感じる恐怖体験だ。

Twitterがなければ『HiGH&LOW』のような作品は絶対に出会う事がなかった。

そういう良い事も沢山ある。ただ、同時に嫌いの感情も生まれやすい。

 

これらの問題が複合的に交じり合い、考えられる上で最悪の罵詈雑言の表現と共に私たちの目の前を過ぎていく。

こういった問題に対しての対策としては自衛が何より大事だ。

 

ただ、ブロックしたところでいいねやRTで回って来たり、ミュートしても引用されてきたり、新しい造語がどんどん生まれてきたりしていて、膨れ上がった負の感情に対して手を焼いてしまう。

 

また、TL構築がうまくいけば問題ないというのは正論だが、人はついつい自分からストレスの原因を見に行くことがある不合理な生き物でもある。

テラアートというのが存在する。

話題になった人やキャラクターをエスプレッソに蒸気などで泡立てた牛乳を加えたカプチーノやマキアートの表面に泡とコーヒーで描いたものなのだが、この「コロナ禍」だと芸能人の話題も死去関連が多い。

そうなると亡くなったと報道された途端即テラアートにするのは流石に倫理観大丈夫かみたいな話になる。

ただ、前からそのテラアートの人はそういう事をするタイプの人だったのもあって、ワザワザ義憤に駆られて(もしくは面白がって)テラアートツイート見に行って、怒るようなモノなのかなと思ってしまう。不謹慎テラアートを期待しているようにも思える。

 スカッとジャパンではないが、スカッとするためのトンネルをわざわざ通る。

この好奇心は中々やっかいである。

 

負の感情に飲まれることに段々疲れてくる。今まで気にしていなかった時間を気にするようになってきてしまった。

Twitterやってる時間無駄じゃね?という疑惑だ。

 

 

Twitterやってる時間無駄じゃね?という話

職場から帰宅して、風呂が沸くまでTwitterをダラダラ見るのが好きだった。

ただ、最初の5分ぐらいは刺激的な情報が飛び交っているが、後の55分ぐらいは惰性で見ている事に気づいてしまった。もう風呂も冷め始めている。

冒頭にも紹介した『デジタル・ミニマリスト』でスマートフォンとはスロットマシンのようなものという説明がある。

人の脳は「間歇強化」と「承認欲求」の2つからの影響をきわめて受けやすい。

「間歇強化」とはなにか。

それは人間は決まったパターンで報酬を与えられるよりも予想外のタイミングで与えられたほうが喜びが大きくなる(快楽を司る神経伝達物質ドーパミンの分泌量が多くなる)ことをさしている。

所謂ソシャゲにおけるガチャのような快楽と同じだ。

個人的にはガチャとは人の脆弱性をついたウイルスのようなモノだと思っている。

 

Twitterの場合、私があるツイートをした時、それがだれに、どのタイミングで「いいね」や「RT」されるかは当然予測できない。

まさにそれが間歇強化であり、ツイートしてはチェックする、という行動がたまらなく魅力に思えてくるのだ。

 

ギャンブル〟をしているようなものだという──〝いいね〟(あるいはハートやリツイート)をもらえるか、それとも何のフィードバックもないまま放置されるか。

それは投稿だけではない。

特定の情報を求めるのも同じなのだ。

先にも書いた「最初の5分ぐらいは刺激的な情報が飛び交っているが、後の55分ぐらいは惰性で見ている事に気づいていしまった」というのは最初の5分の間にあったような刺激というアタリを求めてTwitterを永遠彷徨ってしまう。

 

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私のTwitterの利用時間をiPhoneのスクリーンタイムの機能で目視化してみると夕方からだけで4時間ぐらい利用していて、自分でドン引きしまった。

『デジタル・ミニマリスト』ではSNSを30日間取り合えずやめてみましょうと書いてあったが、荒治療すぎて成功確率がダイジョーブ博士の手術ぐらいしかなく「科学ノ進歩、発展ニ犠牲ハツキモノデース」の声が聞こえてくるのでそんな事はしない。

私は取り合えず、スマホからTwitterアプリを削除し、Safariで立ち上げて見るようにしたが、これだけでもかなり効果的だ。

サッと起動して見れないだけでここまで違うのかと思う。

また、スクリーンタイムでアプリの使用時間の制限も出来る(簡単に解除も出来る)のでそこから始めるのも良いかもしれない。

 

最後に

よくよく考えると私は『ONE PIECE』であったり、松本人志岡村隆史などの日本のお笑いが好きなのだが、それらはTwitterだと日常的に炎上したり馬鹿にされたりしている。

そりゃ、「コロナ禍」関係なくストレス溜まるわという気持ちである。でも好きだから仕方ない。

 

 

無論、Twitterアカウントを消すことはない。

「10年」ツールとして遊んできた私にはTwitterは間違いなく人生で大きく占める存在になっている。

ただ、その割合を少しずつ減らしていきたいと考えている。

そして実際に減らした時、自分の中のTwitterはどういった位置付けになるのか自己観察を続けていきたい。

 あと、やっぱり今はブログが楽しい。

元々文章を書くのが好きだったので、Twitterとは違い際限なく文章を書けるのはやはり良い。

5時間ぐらいかかって書いた「男性は女装男子が好き」みたいな記事が驚くほど無風だった時は少しショックだったが、「バズらないかな」とソワソワするより「バズらないだろうし次いくか」と切り替えもやりやすい。

自分の拠点みたいな所なのでTwitterよりも自己満足の世界だし、何よりブログを書いてる時はTwitterをスルー出来る。

 

あなたも少しでもTwitterに対してストレスを感じるようになってきたらそのまま放置しないで距離感を考えた方が良いと思う。

1週間ぐらい見ないようにするのもアリだし、時間を決めるのもアリだ。

Twitterが人生の中心になってしまった場合、本人が良いならそれでも良いが、ちょっとでも違和感あるようであれば考え直して欲しい。

 

Twitter以外にも楽しい事はある。家でプレイステーションするのも良い(相席食堂みたいなノリでTwitterにゲームのスクショを貼るのが目的になるかもしれない。それはそれでアリだと思う)

 

私は昔からTwitterをやめる時の最後のツイートは決めている。

こういう感じだ。

 

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(C)幽遊白書9集英社文庫コミック版集英社

レスバで最後にレスした人間が勝ち理論のまま、負け惜しみを言って見ている人達を少しでもモヤらせてよう。

 

 

デジタル・ミニマリスト 本当に大切なことに集中する

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