社会の独房から

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ホラー映画『樹海村』感想と考察。

青木ヶ原樹海には、死にきれなかった者が作った秘密の集落がある」

 

その都市伝説は、樹海には自殺未遂者や遭難者が集まり自給自足の生活をしている村があるという話だ。
死に切れなかった人や思いとどまった人達が密かに集まりその村だけのルールに従って生活しているので村では日本の法律は一切適用されず、村の秘密が漏れるのを防ぐために一度村に足を踏み入れると外へ出る事はできずに一生をそこで過ごさなければならない。

そんな都市伝説。どれだけ昔からささやかれている噂なのか、正確な事は分からない。

 

そもそも、富士の樹海には不用意に近づいてはいけないと言われてきた。
その理由には自殺の名所として知られている事が挙げられる。

「樹海」=「自殺」というイメージを持つ人も多いだろう。
昔から年間何十人もの自殺者や自殺未遂者が相次いでおり、人が最後に行き着く場所は樹海だと謳われるほどだ。


さらに樹海は磁場の乱れが激しく方位磁針が全く機能しないという話も有名で、他にも誤って森の奥に入り込んでしまうと二度と抜け出せない話など、樹海にまつわる都市伝説は多い。


自殺のスポットになっているのがこういう都市伝説発生の原因だと思われるが、他にも松本清張『波の塔』の影響だったり、上九一色村に存在していたオウムの集団施設「サティアン」の記憶が、そういうイメージ醸成に寄与しているのではないだろうか。

そんな樹海村を昨年『犬鳴村』で14億円という大ヒットを飛ばした清水崇監督が「村シリーズ第二弾」として描く。

 

僕も心霊スポットの映画シリーズは出来そうだなとは思っていたけれど、まさか「村縛り」するとは思わなかったので少し驚いた。

ただ、「2chオカルト板からネタを引っ張ってきて、ラストはタイトルの村に行く」という必勝のパターンが出来上がったのでこれからも作られそうだし、東映もGWといえば『劇場版名探偵コナン』、夏といえば『劇場版ポケットモンスター』みたいなノリで、2月といえば「村シリーズ」という定番化させる気のようだ。

 

『樹海村』と『犬鳴村』の構成は同じであり、それ故に終盤の村への潜入パートに入ると、ホラー感が薄まるという恐怖映画としての弱点も同じである。

ただ、前作の大ヒットのお陰で予算が下りたのか画作りからVFXまでかなり良い感じになっているので、『犬鳴村』にガッカリした人もこの『樹海村』は楽しめるかもしれない。

ここからは更に詳しく、ネタバレありで感想を書いていきたい。

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あらすじ

足地として存在する、富士の樹海の奥深く。そこはかつて何者かが暮らす村があり、古くから伝わる強力な呪いがかけられた“コトリバコ“を封印したとされていた。13年後、姉妹の響と鳴の前に呪いの箱が出現し、時を同じくして樹海では行方不明者が続出する。

樹海とコトリバコ

本作のホラー要素は樹海だけではない。

コトリバコである。

2005年、大手ネット掲示板サイト「2ちゃんねる」(当時)の「オカルト超常現象@2Ch掲示板」にて、「コトリバコ」という怪談が話題となった。「コトリバコ」とは現在でいう所の島根県に相当する「出雲の国」で発症した呪殺の箱であり、呪いたい相手に送ると相手は死に至るという。実際にこの話を読んだ後に体調不良を訴える報告もあり、「検索してはいけない言葉」とも言われている。
妊娠可能な女性や子供に強力な呪いが降りかかることから、「子取り箱」とも言われる。


 呪いをかける手順は
 ①寄せ木細工等の見た目のよいカラクリ箱の中に、動物の雌の血を入れて満たす
 ②水子の死体の一部を入れる
 ③決して開けられないよう厳重な封をする
 ④殺したい人物に渡し、身近に置かせる
 ⑤呪われた者は血を吐き、苦しみ悶えながら死ぬ

といった感じだ。

 

本作ではそんな「コトリバコ」と「樹海」という本来は無関係の2つの都市伝説を無理やり関係づけさせた。

 

更に言うと本作は『樹海村』というタイトルだが、終盤の村にいくまで樹海ホラー要素が薄いので、このコトリバコが主となる。タイトルは『コトリバコ』にしたかったけれど、「村シリーズ」という縛りにしているから樹海を無理やり引っ張ってきた印象すらある。

一応、作中ではコトリバコでなく「箱」と呼ばれていて、昭和の初めまで続いた「樹海という神の森を鎮めるために生贄を捧げた風習」の犠牲者(神の元に返すという口実で実際は身体のどこかが欠損していたり、心に病を抱えていた人々を森に棄てていた)

そういう棄てられた人間の中に、大怪我をして腕が上手く振るえなくなった職人崩れや、呪術に詳しい人間もいて、そういう人を中心に、村総出で呪いの箱を作ったらしい。自分たちを棄てた連中への意趣返しとして。

そして箱には呪いの決め手として中に大量の薬指が入っている。

箱はより強大は力を得るために薬指を求めて、それ故に箱の呪いで殺された者は薬指を失い、箱はより力を増す。呪った分だけ強くなるのだ。

この箱の呪いが本当に強く、序盤で箱を持ち帰ろうとしたおっさんが速攻車に轢かれて死に(このおっさんは呪われて死にそうとは思ったけど、持ち帰ろうとして5秒ぐらいで瞬殺。この呪具はヤバいなと身構えて映画を観るようになった)

箱を見つけたメンバーである美優という女性はお腹の中の赤ちゃんだけを早々に殺し、彼女が死ななかったの意味があるのかなと思いきやそんな事もなく、あっけなく死んだりする性格の悪さも持っており

箱とは直接関係もない響の担当医もなぜか呪われ

こいつこの映画の男主人公的立ち位置かなと思ってた輝も唐突な「塚地落下巻き添え死」という呆気ない死に方をし

個性豊かなインターネット集団もあっけなく全死。

調査をしていた刑事達も次々に死んでいく。

『犬鳴村』もそうだったけれど、「ビデオを見たら7日後に死ぬ」みたいな呪いのルールが曖昧で見境なく登場人物が死んだり、死ななかったりする。

そして唯一の呪いの解除法だと思われる箱を樹海村に返す方法も犠牲なしでは現世に帰れない(過去で琴音が幼い響と鳴をわざわざ危険な樹海村に連れて行ったのは呪われた人が返さないと呪いが解けないとかそういう理由なのかもしれない)

そしてこのコトリバコは映画を観ただけでは判明しない謎がある。

 

なぜ箱は阿久津家の床の下に保管していて、過去、天沢家の納屋にあったのか

この映画の序盤、結婚した阿久津輝と美優の引っ越し先の床下の箱を見つけることから悲劇の物語が始まる。

では、引っ越し先の家が呪われていたのか。所謂「事故物件」だったのか。僕はこれには反対したい。反対の理由を説明していきたい。

  1. ラストの場面、成長し鷲尾真二郎と結婚、子供を生んだ天沢鳴。その子供の前に現る箱。鳴が箱を持ち帰ってたとは信じ難い。つまり持ち帰ったのではなく突然箱が現れたと考えるべき。樹海村への行き方の写真を撮っている鳴の前に箱が現れたように箱には空間移動機能が備わっていると考えられる。
  2. 1が正しいとすると幼少期の鳴が見つけた箱も母親の天沢琴音が保管していたのではなく、突如、納屋まで移動してきて鳴を呼んだと思われる。
  3. 小説版のラスト、樹海村と同化した響視点のこのようなシーンがある

深い緑の海へ飛び込むように、わたしは足を踏み出した。私の母と、その母であった人たちのように。

私の母の母、つまり祖母である。少なくともこの箱の呪いは 天沢家の響の祖母の時代から続いているのだ。劇中でこのようなセリフがある。

「この箱が置かれた家はね、みんな死んで家系が絶えるの」

このセリフ通り、天沢家は響の父親も父方の祖父も死んでおり、母方は親戚含めて全員死んでいる。

ではなぜ天沢家が呪われたのか。琴音と結婚してから天沢家に不幸がやってきたので十中八九琴音の方の家系が呪われていたのだが、小説を読んでいると可能性がある仮説が生まれた。

集落の神事で神の森へ生贄を連れていっていたが、当然、生贄を運ぶ人もいた。

この運ぶ人は生贄を人とは思わず残虐非道な行為も繰り返しており、それに嫌気が差して集落を抜け出した母子がいたらしい。それが琴音とその母親なのではないだろうか。

因みにその集落にいた人はその後、全員死に絶えた。

自分たちを棄てた連中への意趣返し。

例え途中で抜けても襲いかかる呪。

その呪いが、響や鳴を襲った。

つまり阿久津新家は事故物件だったのではなく、巻き込まれたのだ。調査した警察が死んだように。

あとは「なぜ、そのタイミングなのか」という話だが、まぁ、決まった時間とかでなく呪いのきまぐれな気がするが、母または響の愛の加護が時間の経過と呪いの強さによって弱まった時点で襲い掛かる的なエモい(?)考えも出来る。

個人的にはこれが一番ピッタリくると思いますが、どうでしょうか。 

 

姉妹愛とラスト

本作の下地には姉妹愛がある(家族愛でもいい)

ただ、その家族愛の描写が強くなる樹海村突入からこの映画のホラー要素が露骨に減るという問題が存在する(これは『犬鳴村』でも同じ)

パンフレットで清水監督が

ホラーはいつまで中身のない怖さだけの俗物って思われ続けるんでしょうね。ポルノと並ぶゲテモノ系の扱いから抜け切れていない。ネガティブイメージを売りとしているので社会的な差別や偏見あってこそのジャンル

 と言っており、理解できるが、個人的にはホラー映画には家族愛よりも「うわ~~~~~!こわ~~~~~!」という俗物を求めたい気持ちで一杯である。欲を言うなら社会的問題とホラー要素が「しゃらくさい」と思わないレベルで融和しているホラーが一番好きなので、清水監督は毎年「村シリーズ」を創り続けてもらい、いつか「うわ~~~~~!こわ~~~~~いし、よくよく考えるとふか~~~~~~い」って作品を作ってもらいたい(阿保っぽい意見)

 

そして響。

彼女は幼い頃から霊感があり、そのせいで周りからは疎まれ、怪しまれ友達もおらず、姉からも白い目で見られる。霊感なんて医学的に許されないので彼女は「綜合失調症」と診断されてしまう。

そう、彼女はかつて「樹海という神の森を鎮めるために生贄を捧げた風習」という建前でつくられた生贄として排除される側の立場の人間である。

そんな彼女が結局、呪いで犠牲の側になってしまうのは「差別は変わらない。過去の呪縛からはどうあがいても逃れられない」気がして絶望してしまう。鷲尾家を燃やした時点で響のハッピーエンドはあり得ないのかもしれないが、救いもあって欲しかった。

 

細かな所

  • 「村シリーズ」第二弾だが、『犬鳴村』との繋がりは二点。一つはアッキーナの登場。前作で死んだハズだが、今年もYouTuberとして登場し再び死亡。前作より少し大人っぽい。「村シリーズ」の恒例のキャラとして毎作呪い殺されて欲しい。
  • もう一つは犬鳴村の血を持つ男の子も登場。いつか成長した姿で「村シリーズ」で「あの伝説のあいつが……」的存在として活躍して欲しい。
f:id:Shachiku:20210201221607j:plain(C)2020「犬鳴村」製作委員会
  • 生放送中のピル男のチャットがやたらと「イケイケ!幽霊見つけるまで帰ってくるなよ!」的発言が多くて笑ってしまう。そういう強気な発言するのが男なのにピルをアイコンにしているのも解像度が高い(実際に会うと眼鏡オタク野郎なのも良い)全体的にチャットのリアル感が良い。。
  • 本作、まじで誰がいつ死ぬのか全然分からず、ビックリするシーンが多かった。劇場は悲鳴が起きる事が多々あった。
  • 安達祐実が響の後ろにスッと立ってた時の悲鳴具合がやばかった。確かに怖い。
  • 真二郎が、鳴の自宅にやって来て料理をしているシーンで、突然彼が自分の指を切断し始めるのも怖かったし、一旦鳴がそれに気づいて止めて、救急車を呼ぶために電話をし始めて、観客に事なきを得たかに思わせておいて、その直後に電話している鳴の後ろで彼が自分の首を切る描写に繋げるのも滅茶苦茶良かった。空間の使い方と間の使い方が完璧。指を切るシーンでウィンナーが一杯あるのも製作陣の性格の悪さが出ていてよい。

  • 指が切れたり、グロイシーンが多いのに全年齢向けなのも凄い。隣で6歳ぐらいの子供が釘付けで画面を見ていたし、その子供は母親らしき女性の膝の上に座っており、その両端は僕と別の客が座っていたので、この母親、一席しか予約してないの!?と驚いたけど、上映が終わって明るくなった時にふと隣を見ると女性が座っているだけで子供なんていなかったという恐怖体験。
  • 全体的に高校生ぐらいだと思ってたので、鳴役の山口まゆさんがタバコ吸おうとしたところでビビった。20歳らしい。もう僕はおっさんだから若い子の年齢が分からんようになってる…
  • 『犬鳴村』はまじで低予算なのが端々から分かったけど、本作は樹海の葉や木の幹のに並々ならぬこだわりを感じられてよかった。怖くはないけど、クリーチャーとして大いにアリ。
  • 個人的に一番怖かったのは響が鷲尾家を燃やしたのが判明した後、鳴が鷲尾の見舞いに来た時に鷲尾母が笑顔で病室の扉を閉める所。ガラス越しに鷲尾母の笑顔が映るのが不気味過ぎて怖い。これで鳴が鷲尾と結婚するのも驚きだけど、こんな呪われた家系が結婚して血筋を伸ばすな(酷い)

 

最後に

パンフレットに書いてあって「確かになぁー」と思った清水監督の言葉でこの記事を終えたい。

ホラー映画って、現実よりも悲惨なものを作りださなきゃいけないと思うのです。お客様がホラー映画を観て、「うわー嫌なものを観たなぁ」と思いつつ映画館を出た後に「ああ、自分が生きている世界は素晴らしいなぁ」と思って欲しい。だから絶対に現実に負けちゃダメだと思うんですよ。ホラー映画はある意味、生の喜びを感じるメディアであると僕は思っています。

コロナで辛い現実、そんな日常を救ってくれるのがホラーなのかもしれない。