A君が亡くなってから7年が経った。
A君は小学生からの友達で、兄からのお下がりだったエヴァの下敷きに興味をもったA君が話しかけてくれた事がきっかけだった。
そこからエヴァのVHSをA君から借りて「滅茶苦茶面白いやんけ!!!」となり、エヴァにハマり、
他にもfate、ひぐらしなども教えてくれて、何の趣味もなく、顔も不細工で、運動神経もない。内気でスクールカーストの最下位に君臨していた僕にサブカルチャーを教えてくれた。オタクという沼へと誘ってくれたのだ。
そんなA君とも大学では別々になり段々と疎遠となっていった。そんな僕らを繋げてくれたのがヱヴァンゲリヲン新劇場版。
『序』『破』を一緒に映画館に観に行き、ダラダラと感想を言い合う。今思うとそれは僕には過ぎた物だったし、キラキラした思い出だった。宝モノと言えるのかもしれない。
特に僕はアスカが好きだった。クソッタレなオタクなので自分を引っ張ってくれる女の子が好きなのかもしれない。それをA君に言うといつも笑われた。
しかし、大学を卒業し、社畜になると状況が変わる。
エンタメを何も楽しめなくなった。
資本主義の奴隷となり、朝から晩まで働き、家に帰っても何もやる気が出ない。
資格勉強に追われ、アニメもゲームも出来ず、会社という小さな世界が僕の全てとなった。大人になるとはこういう事だと自分に言い聞かせて生きる毎日。
そんな中、A君から電話があった。「今度上映されるエヴァQを一緒に観に行こうぜ」氷河期のあおりを受け、A君は就職が出来ずバイト戦士だった。滅茶苦茶行きたかったが、社内試験が近いのもあってその誘いを僕は断った。
その日を境ににA君とは完全に疎遠になったが、ある日、友達の友達から電話があった。
「A君が亡くなったと」
朝から晩までアルバイトしていたA君はある日、寝たまま起きる事がなく、そのまま永眠したらしい。
信じられなかった。
フラフラした気持ちになったまま半年が経ち、お墓参りに行くと本当にA君の名前があった。その帰り、僕はTUTAYAでエヴァQを借りて独りで観て泣いた。
そこから仕事だけでなく、時間調整を頑張り、趣味の時間を少しずつ増やしていった。人生を生きたいと思うようになった。エンタメは所詮エンタメでしかないけど、でもどうしようもなく人生に必要なモノでもあり、それを楽しみに生きる毎日も割と悪くない。
そしてエヴァンゲリオン。
A君との出会いのきっかけであり、友情を繋ぎ止める鎖でもあった。
供養。
1997年の夏に完結した旧作の『新世紀エヴァンゲリオン』は、視聴者の心に大きな爪痕を残した。それは後から参加した僕やA君も同じである。
それを補完するかのように始まった『新劇場版ヱヴァンゲリヲン』はエヴァンゲリオンのやり直しのようにも、昔の劇場版への救済措置のようにも思えた。
しかし、それは同時にファンをエヴァンゲリオンに繋ぎ止める鎖になってしまった。
長い長い鎖。あまりの長さに最後まで見届ける事が出来なかった人も沢山いるのだろう。
僕が想像する以上に沢山いると思う。
「さらばエヴァンゲリオン」
それを言えなかった人は大勢いる。
言える事が出来る今は当たり前ではないと自戒しつつ、そんな機会を下さった庵野監督に、スタッフに感謝しかない。
様々な想いを持ちながら『シン・エヴァンゲリオン劇場版𝄇』を観たので、ネタバレありで感想を書いていきたい。
感想
Qの終盤で心が折れてしまったシンジ。Qは嫌いだけど、最後の「アスカがシンジの手を引っ張り、レイが後ろから付いていくシーン」は好きという人は多いだろう。
『シン・エヴァンゲリオン劇場版𝄇』の前半のかなり長い時間をかけてこのシンジの立ち直りを丁寧に描く。
何か決定的で重要なイベントがある訳ではなく、苦難を乗り越えても実直に生きるトウジやケンスケ、他にも多くの人たちの優しさに触れ、また自分を突き放していたと思っていたミサトさん達も自分の事を想っていた事を知り、少しずつ長い時間をかけて感化されていくという、地に足のついたこれ以上ないリアルな展開。綾波ぽかぽか牧場物語編と言ってもいい。
現実と虚構の混ざりあい。
大きな災厄があって傷つき、悲しみに暮れながらもそれでもなお地道に今できることをしながら生きていく…という人々の姿は、言うまでもなく震災後を生きる人々や、コロナをなんとかやっていくしかない僕たちと同じだ。
そんな震災や原発事故、コロナ禍を含め、苦難を、どれだけ絶望的な状況の中でも希望を見つけ出し、乗り越えようとする人が目の前にもいる時代。
それを見て「人類は愚か」と一括りに出来る人がどれだけいるのだろうか。
シンジは過去に拘る父親を、アスカを、カヲルを、レイを、そして母親を、次々と救済していく。エヴァというシリーズ全体をまるでソードマスターヤマトのような動きで串刺しにし、総括していく。今だからこそ描く事が出来たシリーズだと思う。
引用元『ギャグ漫画日和』5巻
ネオジェネシス(新世紀)という単語も旧シリーズを包括してやるんだという力業を感じる。
そして後半はシンジとゲンドウ。親子の対話。
「父さん、話をしようよ」とちゃんと言えるシンジに感動してしまった。その台詞をTVシリーズから待ってたような気がする。
旧シリーズから大ボスにして主人公だった碇ゲンドウ。「まるでダメなおっさん」である。
ゲンドウの過去や動機の描写は、「今まで明るみにならなかった衝撃の真実」という訳ではないが、他者との関わりを拒んで生きてきた人間として妙なリアリティがあった。
日々言ってくる事が変わる他人に耐えれない。読書や知識は孤独を癒してくれる。音楽は他人との距離を作ってくれる。ピアノは自ら叩いた調律に従って反応してくれる。
このコミュ障感。
そんなゲンドウもユイを失った絶望感を丁寧にしっかりと描いた上でユイを失った絶望を埋めるにはユイを再生させることではなく、シンジをその胸に抱くことだったというオチも良かった。
そしてミサトの死を受け入れ、その想いを継ごうとするシンジに「大人になったな」
「大人になれ」のユアストーリと似ているようで全く違う。突き放すのでなく、内包してくれる優しさがある。旧劇では「現実に帰れ」だけど、本作は「もうみんな現実があるよね」ぐらいの質感である。
旧劇も新劇も、メッセージや落としどころ自体はそう大差が無いように思える。
Qが序、破のようにTVシリーズの焼き増し展開とは違うものの、オリジナルに見えながらも大筋ではTVシリーズ終盤をなぞっていたのにも通じる。
今回は、旧劇とTVシリーズ最終2話との再解釈、再構築に見えた。
痛みも軋轢も差別も無い補完された世界より、例え傷ついても誰かと関わることを選ぶ。
「僕はここにいてもいいんだ」
このメッセージは変わらない。
シンジ=庵野監督 マリ=安野モヨコについて
正直、アスカ派だった僕には多少なりともショックだったアスカとケンスケが付き合うという展開。僕からするとそれはNTRである。逆にシンジをNTR感すらある。
アスカがシンジに「あの頃はシンジのことが好きだったんだと思う」と言った時「あっ……」ってなって泣いちゃった。そして終盤のあの浜辺での別れでも(エロ同人誌みたいにプラグスーツが破れていたのは笑いそうにもなったけど。3/9追記)コメントで指摘がありましたが、アスカもエヴァの呪縛が解けて大人になり、身体が成長したという事なんでしょうね)
完全なる「さようなら」
シンジ×アスカはないのである。
ケンスケはエヴァには乗れなかったけどアスカには乗れたのが羨ましすぎる(最悪)
ただ、本作のケンスケは加持さんを彷彿とさせるようなイケメン具合であり、シンジに父親との対話を後押ししたり、シンジの事を誰よりも理解したりとそりゃ、アスカも好きになるなという説得力があった。お幸せになって欲しい。
それにしてもレイと渚カヲルが付き合っているような描写があったり、最終回発情期現象(ファイナルファンタジー)やん!という想いもある。
そしてシンジとマリ。
マリは以前から庵野監督の奥様である安野モヨコさんがモチーフではないかという説があった。本作でその仮説がかなり補強されたと思っている。
今から思うと庵野秀明自身による『監督不行届』のあとがきに全てが集約されていた。
「嫁さんのマンガは、マンガを読んで現実に還る時に、読者の中にエネルギーが残るようなマンガなんですね。(中略)現実に対処して他人の中で生きていくためのマンガなんです。(中略)『エヴァ』で自分が最後までできなかったことが嫁さんのマンガでは実現されていたんです。ホント、衝撃でした。」と。
完全に『シン・エヴァンゲリオン劇場版𝄇』で伝えたかったことである。
結局、これが庵野監督が『エヴァ』を作り直す理由の全てだと思う。
庵野監督はおそらく「自分が幸せになっちゃたからには、シンジも幸せにならないとな」と考えているのだろうし、きっとそのための真希波マリなのだろう、と。
だから、最後、シンジの隣にはミサトさんでも、レイでも、アスカでもなく、
マリがいたのだと思う。
だからこそ、最後にシンジ(庵野監督)からチョーカーというエヴァの呪縛を外す事が出来たのだろう。
細かな所
- 最後は調律された現実世界になるってド定番だけど、良かった。シンジ×アスカ派は漫画エヴァを読んで人生を完結してくれ
- エヴァのない世界にするためにシンジがみんなを送り出して犠牲になろうとした所をユイが出てきてシンジの背中を押して救ってくれる。これ以上の締めはない気がする
- 綾波は初号機の中で髪が伸びたけど、ユイの髪は伸びていないというのは重要な点だと思う。生きている人と死んだ人の違い
- 式波も綾波と同じく作られた人とは思わなかった~!「式」ってそういう意味か!
- リツコが躊躇なくゲンドウを撃ったのは旧劇ファンには堪らないよね
- ミサト「25分で終わらせろ」リツコ「無茶言うわね」→リツコ「20分で終わらせろ!」の無茶振りの上乗せに笑った
- シンクロ率∞には笑った。二次創作で腐るほどみたやつ。Qの時は0%だったが、これはもしかしたら『破』のラストで覚醒した時点で上限を超えていたが、初号機の中にいた綾波レイが「シンジがもうエヴァに乗らなくてもいいよう」0%で表示するように弄っていたのかもしれない。
- ミドリが巨大綾波を見て「変…」って言うのが好きだった。伊藤計劃さんが言っていた「巨大綾波を見た時に「デカすぎるだろう」って笑う観客がいなかったのがエヴァの不運」と言っていたのが回収された気がする。
- 2時間半と長いし、おっさんが多いからか途中退出する人が多かった。みんなオムツしよう!
-
グサーッ!グエーッ!グサーッ!グエーッ!グサーッ!グエーッ!グサーッ!グエーッ!のさらばエヴァンゲリオン(物理)
- ミサトさんの「行きなさいシンジくん」に対するフォローが凄かった。ミサトさんは本作のMVPだし、バカにする人が減ると良いね
- 加持さんはどうやって単身でインパクトを止めたんだ…?渚司令官がここで関わっているのか?
- 葛城パパが急に黒幕感出て笑った
- シンジがみんなを1人づつ送り出すところ、完全に金八先生の最終回。
- ニアサー、フォース、アナザー、アディショナルなど、インパクト増えすぎ問題
- 宇多田ヒカルの「Beautiful World」はシンジくんの孤独を歌ったモノだと思ってたけど、ゲンドウの歌だったんだなと
- 結局、エヴァとは碇家騒動だったな
- ゲンドウが追いつかれないように頑張って量子テレポートしてたのに後から見るとほぼ意味ないの可哀想
- 専門用語は多いけど、ストーリーはかなり分かりやすかったと思う
- 最後のシーンが宇部新川駅、庵野監督の出身地である
- 劇場特典についてあった専門用語一覧の数が多すぎて笑う
- 成長したシンジ君の声優に神木隆之介くんは驚いた…
最後に
エヴァンゲリオンが終わってしまった。
完全に。
これ以上ないほどに。
エヴァがなければ僕はA君とも出会わなかっただろうし、今の僕はない。
そういう意味では僕自身の構築にエヴァは欠かせないモノであり、完結してしまった以上、どういう影響を及ぼすか想像も出来ない。今はまだ現実感がない。
取り敢えず今度の休みはA君の墓参りに行こうと思うが、それより前に今日無理やり有給を取ったので明日からの仕事を考えると鬱である。
シンジくんみたいに強くはなれない。ユイのいないゲンドウである。
それでも、そんな鬱を抱きかかえながら、明日も明後日も、生きていくんだろうなこの社会で。