細田守監督がパンフレットで
『劇場版デジモンアドベンチャー ぼくらのウォーゲーム!』から『サマーウォーズ』と、ずっとネットを肯定的に描いてきた世界で唯一の監督だと自分で思っています(笑)
と仰っていて、令和最大の「こやつめ、ハハハ」って気持ちになった初夏の香が街頭に満つ時期ですが、いかがお過ごしでしょうか。
趣味と性癖全開の路線から、川村元気などのセーブ役を見つけ、趣味と性癖を内包しながらもエンタメ路線へと舵を切り、日本を代表する監督となった新海誠。
一方で『時をかける少女』や『サマーウォーズ』の大ヒットで、宮崎駿の後継者と期待されながらも、奥寺佐渡子脚本から監督自身が脚本に手を入れるようになり、『バケモノの子』や『未来のミライ』とパーソナルで独特の倫理観、雑さが目立つようになり、夏休み映画として予算とか人員を貰いながらもエンタメで終わらない自由な作品を作るようになった現代の海賊王こと細田守監督。
特に前作の『未来のミライ』が細田守監督のショタとケモナーの性癖ホームビデオじゃないか!!って感じでかなりの賛否の否が多い作品になってしまった。
くんちゃんが犬になるシーン。パンフに細田監督がなぜ犬になるのか、それは愛情が奪われたからとか長々説明してるけど全然理解出来なくてケモショタ描きたくてそっから色々理由付け足したと勝手に思ってる#未来のミライ pic.twitter.com/AE6V9WtEHz
— 社畜のよーだ (@no_shachiku_no) 2019年7月12日
流石に斎藤プロデューサーも危機感を覚えたのか、「もう映画を作れないかもしれないと思ったところから再出発」と語っており、集大成を超えた新たなる領域に。本作への意気込みを感じる。
個人的にはここ10年ぐらいの細田守監督作品の中で一番好きになった『竜とそばかすの姫』の感想をネタバレありで書いていきたい。
あらすじ
自然豊かな高知の田舎に住む17歳の女子高校生・内藤鈴(すず)は、幼い頃に母を事故で亡くし、父と二人暮らし。
母と一緒に歌うことが何よりも大好きだったすずは、その死をきっかけに歌うことができなくなっていた。
曲を作ることだけが生きる糧となっていたある日、親友に誘われ、全世界で50億人以上が集うインターネット上の仮想世界<U(ユー)>に参加することに。<U>では、「As(アズ)」と呼ばれる自分の分身を作り、まったく別の人生を生きることができる。歌えないはずのすずだったが、「ベル」と名付けたAsとしては自然と歌うことができた。ベルの歌は瞬く間に話題となり、歌姫として世界中の人気者になっていく。
数億のAsが集うベルの大規模コンサートの日。突如、轟音とともにベルの前に現れたのは、「竜」と呼ばれる謎の存在だった。乱暴で傲慢な竜によりコンサートは無茶苦茶に。そんな竜が抱える大きな傷の秘密を知りたいと近づくベル。一方、竜もまた、ベルの優しい歌声に少しずつ心を開いていく。
やがて世界中で巻き起こる、竜の正体探しアンベイル。
<U>の秩序を乱すものとして、正義を名乗るAsたちは竜を執拗に追いかけ始める。<U>と現実世界の双方で誹謗中傷があふれ、竜を二つの世界から排除しようという動きが加速する中、ベルは竜を探し出しその心を救いたいと願うが――。
現実世界の片隅に生きるすずの声は、たった一人の「誰か」に届くのか。
二つの世界がひとつになる時、奇跡が生まれる。 <公式HPより>
細田守が描くインターネットの世界
2000年に公開された 『劇場版デジモンアドベンチャー ぼくらのウォーゲーム!』
2009年 に公開された『サマーウォーズ』
そして2021年に公開された『竜とそばかすの姫』
約10年スパンでインターネットを描き続ける細田守。
現代ではインターネットは生活に欠かせないモノになり、もう一つの現実といっても過言ではなくなっている。それはSNSも同じで、昔は現実が嫌でTwitterを始めたのに今ではTwitterは現実に侵食され、Twitter(現実)を見るのが嫌で、DLsiteの催眠音声に引きこもる僕。これから先、催眠音声も現実に侵食されたらどう生きていったら良いのだろうか。
細田守はそんなインターネットを肯定的に描いたと言っていたのだが、実際に映画を観てみると
「陰謀論」が駆け巡り、デマが拡散されたり、心無い意見が誰かを傷つけたり、行きすぎた正しさが他者を抑圧したり、自治厨が暴れたり、ガバガバ特定班がガバガバしたり、荒らしが横行したり、同調圧力や数の暴力が生まれたり、好奇心という名の暴力が起こったり、生々しい質感と共にインターネットのネガティブの側面が惜しげもなく出てくる。
これ絶対、細田守はインターネットに恨み持っているだろ!
もしくは、SNSで叩かれた人間にしか描けない領域ともいえる。
細田守と検索して
細田守 嫌い
細田守 性癖
細田守 気持ち悪い
とサジェストされる人間にしか描けない物語ってきっとあると思う。
そんなインターネットの負の要素を書き出した上で、
現実ではクラスの隅にいてうつむている少女が<U>ではベルという人気歌手になる。それは正反対の立場だが、どちらも嘘ではなく、どちらも少女の一面でしかない。
そんな主人公である鈴はインターネットを現実逃避の場所にするのではなく、自分の中の新しい側面に気づき、ベルとして活動していく中で、現実の自分も成長していく。
現実は現実。SNSはSNSではなく、
インターネットと、SNSと共に生きていく。
僕には吐き気を催す邪悪なテーマだが、これからの時代はそうなのかもしれない。
そして、父親から虐待を受けていた兄弟。
昔であれば、兄弟はSOSを出す事を出来ずに、暴力を受けいれる事しか出来なかった可能性が高い。
しかし、<U>が、インターネットが、それらを変えた。
東京という都心から鈴が暮らしている限界集落にSOSが届いたのだ。
インターネットは人と人との物理的距離を無くす。
新しい「つながり」を作る。
僕には吐き気を催す邪悪なテーマだが、それを肯に見る人は多いだろう。
それにしてもこの<U>はどういうインターネット空間なのか本編を観ただけではイマイチ分からないのが仮想世界OZと一緒である。ただの舞台措置。
約50億人が利用しているらしいが、個人の生体情報を読み取り、ボディーシェアリングを開始してアバターを自動作成する仮想空間がそんなに人気になるか?少なくとも僕はインターネットの世界では幼女か赤ちゃんになりたい。
ベル以外のモブが<U>の中で一人一人好き勝手な事をしている描写が殆どなく、群れで漂っているだけで楽しそうに見えない。仮想空間ってそんなものなのか。
まぁでも最近あった『100日間生きたワニ』の映画でもTwitter上の酷評を観て「これ駄作やん!!」ってなった人がTwitterにいる有識者の「意外と悪くない」という意見を見て「ハッとしました!ワニは意外と悪くない!」って手のひらをグルグル返す人も結構いたので、大衆の流されやすさを表現しているのかもしれない。
そして、本作で細田守が一番伝えたかった事は「顔を晒さず匿名でカッコイイ事言っても無意味。死ねぇ!」
という事だろう。
どれだけ匿名で「キミを救いたいんだ」と言っても「助ける助ける助ける助ける助ける助ける」とラップバトルを挑まれてしまう。
確かに僕も仕事が辛かったころ、Twitterで「逃げたい時は逃げればいい」というツイートを見て会社から逃げようかと思ったけど、「実際に逃げて生活が窮地になってもこのツイート主は何も責任をとってくれないよな…」と思いとどまった事がある。どこまでも自己責任の世界。
他にも頑張って書いた記事がはてなブックマークで「阿保の感想」って一刀両断されて「死ねぇ!」って気持ちになったりする。
そりゃ、僕レベルでもそう思う時があるんだから
細田守と検索して
細田守 嫌い
細田守 性癖
細田守 気持ち悪い
とサジェストされる人間はその比じゃないほど、匿名に嫌悪感抱くのは仕方ない。
そしてSNSでは毎日のように意識高い事を言っているのに、実際に何も行動しない人たち。
だからこそ、鈴は、実際に「匿名性」を捨てて、自らリスクを冒してでも誰かの為に手を差し伸べる。
最後、鈴は竜を救うために<U>の中で顔出しをして歌うことになるが、本編後の事を考えるとマスコミやストーカー騒動でまともな学生生活を送れなくなりそうって心配になる。ただ、「高知という限界集落に住んでいるなら問題ないかな」と安心を与えてくれるギリギリ感(失礼)
僕みたいな2ch世代はネットで顔を出すのは「ネットリテラシー!!!」って叫んで絶対に嫌だけど、今時の子はTikTokとかでガンガン顔出していっているので世代間ギャップはかなりありそう。
最後の展開について
主人公である鈴は子供の頃、母親が川に取り残された見ず知らずの子どもを救うために、荒れた川に飛び込んで、子どもを助け出した後に命を落としてしまったトラウマを持つ。
そんな鈴は母親の死に、トラウマに向き合う。
そして自分も母親と同じように口だけではなく、親から虐待を受けている子供たちを助けるために行動を開始する。
限界集落である高知から東京へ行く事になるのだが、虐待親がいる東京へ鈴(未成年の女性)を1人で送り出す大人達の倫理観。
「大丈夫かな…」「鈴が決めたから…」
で納得する大人たち、みんな馬鹿。
虐待の通報はしたし、証拠もある。
ただ、保護までに最大で48時間かかるから会ってハグをして子供たちの心を救うのは良いけど、せめて誰か大人が近くまで同行してやれよ…がずっとノイズになる最後の展開。
本作は過去の作品に対して比較的、細田守監督特有倫理観は薄くて大満足の素顔ライブシーンで美味しく完食出来そうだったのにそこから怒涛の濃い濃い追い細田守監督特有倫理観ソースが混ざって変なゲップが出る感じが、まさしく細田守作品だ。
細かい所
- ルカちゃんとカヌー男の駅のホームでの告白展開がずっとニヤニヤ我慢できなくてマスクしていて良かった。このシーン、滅茶苦茶好き。
- 鈴の親友ヒロちゃん。声優が「YOASOBI」のボーカルの人だとは思わなかったけど、可愛い。モデルは川村元気かな。
- 50億の中から速攻で鈴を見つけるしのぶくん。
- 50億の中から速攻で鈴を見つける母親組。
- しのぶくん。イケメンは顔が隠れる匿名性の強いSNSをしないってのがリアルである。順調に鈴と付き合って、成長した竜にNTRを与えて欲しい。
- ベルという名前どおり、圧倒的な『美女と野獣』感。まんま同じダンスシーンがあったりする。細田守監督が『美女と野獣』の唯一納得いかない所は野獣が王子に戻る所って言っているのが隠せないケモナー感。
- ベルのキャラクターデザインが『アナ雪』などのジン・キムさんだったりディズニー感があるが、海外でも売りたいのだろう。
- クリオネは竜の弟かな。
- ジャスティンの正体が竜の父親みたいなあまりにもせまい世界観にならなくて良かった
- ベルが竜に対して「あなたは誰」って何回もしつこく聞くの中々ホラー。僕がTwitterでそんな事何回もリプされたらブロックすると思う。
- 結論、中村佳穂は凄い。
最後に
こまけぇこたぁいいんだよ!!と言わんばかりの展開の雑さは劇伴音楽や挿入歌のエモさで突き通すので本作は映画館で観た方がいい。
細田守作品には別の脚本家が参加して欲しいって意見をよく見るし、気持ちは分かるけど、『竜とそばかすの姫』は過去作の中でもかなり良かったと思うし、総決算みたいな作品だったので、その後の細田守が作る次回作が今から気になる。
再びショタとケモナーの性癖ホームビデオが作られたらどうしよう。
正直、本作は雑な作品なのでいくらでも叩こう思えば叩けるし、不満点も言えるけど、好きって感情が自分の中では勝ったし、満足だった。大きなスクリーンマジックかもしれない。大きなスクリーン最高!(阿呆の感想)
おわり。