社会の独房から

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映画『100日間生きたワニ』感想。「死ぬ」から「生きた」にタイトルを変えた意味を考えたい。

Twitterで発表されるマンガの中で「現実とリンクしながら100日後に死ぬシステム」という画期的な手法で話題になったあのワニの映画、『100日間生きたワニ』を公開初日に観た。

 

僕は正直者なので正直な事を言うが、

この映画は公開前から映画レビューサイトで荒らし行為が頻発したり、座席予約でいたずらが横行したというクソみたいなニュースを見たので、逆張りの気持ちがムクムク生まれて、「大傑作!!!!!!映画館で観て本当に良かった!!!!!低評価する奴は全員クソ!!!!!!!ちなみに俺はお前たちより映画を観ているぞ!!!!!」って言いたい気持ちを抑えられなかった。オブラートに包んだ下書きまで書いた。

 

ただ、結論から言うと、駄作!!!と言う程悪くはないけど、同じ1900円払うならハサウェイとかシンエヴァとかゴジラVSコングとかをオススメしたいし、親が「この映画観に行こうと思う」って言ったら「本当に良いの?」って聞くと思う。

そのぐらいの距離感。下書きは削除した。

そもそも63分と一般的な映画の半分ぐらいの上映時間なのにチケット代が特別料金じゃなくて1900円なのが強気過ぎて自分で払うならいいけど、人にオススメ出来ない。

 

確かに原作者のきくちゆうき先生のタッチや雰囲気を誠実に再現したアニメーションは味があって良いし、世界観的にも合っているけれど、大きなスクリーンで観て良かった!!って言えるようなモノではないので、逆張りの気持ちを抑えきれない人以外は配信待ちでもいいかもしれない。

ただ、こういう話題作は話題の時に観ている方が油がのっていて楽しめると思うので、己の中の好奇心を大事にして欲しい。

 

ここからはネタバレありで感想を書いていきたい。

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【監督】【脚本】 上田慎一郎、ふくだみゆき 【原作】きくちゆうき

あらすじ

桜が満開の3⽉、みんなで約束したお花⾒の場に、ワニの姿はない。親友のネズミが⼼配してバイクで迎えに⾏く途中、満開の桜を撮影した写真を仲間たちに送るが、それを受け取ったワニのスマホは、画⾯が割れた状態で道に転がっていた。
100⽇前―――
⼊院中のネズミを⾒舞い、⼤好きな⼀発ギャグで笑わせるワニ。毎年みかんを送ってくれる⺟親との電話。バイト先のセンパイとの淡い恋。仲間と⾏くラーメン屋。⼤好きなゲーム、バスケ、映画…ワニの毎⽇は平凡でありふれたものだった。
お花⾒から100⽇後――
桜の⽊には緑が茂り、あの時舞い落ちていた花びらは⾬に変わっていた。仲間たちはそれぞれワニとの思い出と向き合えず、お互いに連絡を取ることも減っていた。
変わってしまった⽇常、続いていく毎⽇。これは、誰にでも起こりうる物語。

 (公式HPより)

 

原作を大胆にアレンジ

そもそも「死へのカウントダウン」としてリアルタイムで100日目の死に向かって1日ずつ進行していく原作『100日後に死ぬワニ』は恐ろしく映画には向いていない。

どれだけくだらない内容でも「100日後に死ぬ」ということを前提として描かれている物語のため、読者は毎日更新されるワニの平凡な日常に、伏線や意味を探しながら読んでしまうという強みが原作準拠の映画では再現するのが非常に難しいからだ。

 

 ここで上田監督は『カメラを止めるな!』のように映画では前半と後半に分ける事に決めた。

「原作の100日後に死ぬワニの日常の前半パート」と「映画オリジナル要素のワニが死んでから100日後、新入りのカエルを励ましたりする後半パート」の2つに分けたのだ。

 

パンフレットで上田監督なこう言っていた。

 

最初の脚本は100日間を主として、最後に後日談がつくものだったんです。それを書き上げた直後に新型コロナが深刻化して、大幅に書き直しました。僕がこの作品から受け取ったことは、当たり前の平凡な日常の中で死を意識することによって今が変わるというものだったんですが、コロナでそれが響き辛い世になってしまったと思ったんですよ。当たり前の日常が失われた中で、その先の物語を書く必要があると考えました。

 

この構成自体は良かったと思う。どう死ぬかまで分かっている原作のオチで引っ張るよりオリジナル要素で展開していった方がいい。『100日間生きたワニ』の主人公はワニというよりネズミの印象の方が強い。

 

問題は原作通りの前半30分は退屈で眠たかったこと。

4コマの最後に添えられていた原作の肝でもあった「あと99日」といった演出は消え去り本当に何でもない日常を見せられ

そして何よりテンポが悪い。間の取り方がダメな演劇って感じ。せめて緩急があってくれたらよかったけど、ずっと同じ間の取り方で続くので眠たくなってくる。

 

そして後半。

ワニが死んだことを100日経っても引きずっているネズミたちの前に引っ越してきた映画オリジナル要素のカエル。

 

このカエルが本当にうざい。

彼は空気の読めない妙に質感のあるウザキャラであり、途中で笑ってしまうほどのウザさである。カエルにしつこく誘われたヘビ店員が素直に可哀想。

空気の読めない彼の登場により、それまでワニの死を引きずってるネズミなど仲間の関係性に不協和音を生じさせるのは、原作のワニが終わった直後に怒涛のグッズ展開で勝手に盛り上がってドン引きした思い出と被るので、わざとなのかなと思うけどそんなメタ展開する?とも思う。

 

しかし物語が進んでいくとカエルにも、詳しくは語られないまでも何か事情があることがわかる。誰しもが大事な人を失くし、それでも乗り越えたり乗り越えられなかったりして生きている時代。

そしてネズミは落ち込んでいるカエルと会話している中、かつて自分が落ち込んでいる時にワニがやってくれた「6時の真似」を披露する。

その時、ネズミは気づく。

ワニはまだネズミの中で生き続けているのだと。

ネズミだって人と同じで大切な友人を亡くした場合には、悲しみや喪失感、孤独感など、さまざまな思いが湧き起こるものだ。
大切な人の死は残された人にとってその人を失ったという事実だけでなく、その人との双方向の関係もなくなったという二重の喪失を意味する。

しかし、時間が経つ内に変わっていく。

亡くなった大切な人に対して段々と「僕を見守ってくれている」「僕の心の中に生きている」といった感覚を持つようになってくることが多い。
その意味では、大切な人が亡くなっても、関係性は失われないのだろう。

ワニは生き続けるのだ。

 

ただ、あまりにもカエルがネズミにとってワニの代用品というか、物語の役割があからさま過ぎて違和感もある。

 

 

「死ぬ」から「生きた」にタイトルを変えた意味を考えたい。

原作のタイトルは『100日後に死ぬワニ』だったが、映画では『100日間生きたワニ』に変わった。100日間生きたワニって生誕100日目かよって思ってしまう訳でどういう意図があって変更したのか非常に気になる所だった。

映画を観たら分かるハズ。

そんな希望を持って映画を観たのだが、残念ながら分からなかった。

「100日間生きたワニ」だとなんで100日前からカウントするの?その日に何かきっかけがあったの?と思ってしまうが、何も説明がなかった。

「ワニが写真にハマり仲間との思い出を大事にするようになって100日目に…」とかそういう物語上の説明があれば「100日間生きた」に説得力があるが、それもない。

このままでは日本語としておかしいだけの『100日間生きたワニ』になってしまう。『ワニの生きた100日間』とかにすれば良かったのにと思ってしまう。

そんな事、上田監督がするだろうか。

否、今まで『カメラを止めるな!』以外にも上田監督作品を追いかけてきた僕は違うと確信する。

www.shachikudayo.com

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 「100日間生きた」にもきっと意味があるハズ。

一番考えられるのが、百箇日。

つまり 「100日間生きた」とは前半パートではなく、ワニが死んだ後のネズミ達の心の中の話。

「ワニの死を受け入れられずに過去に縛られていた友人や肉親が、百箇日を迎えてようやく受け入れる」

ということ。

これは最もらしいが、僕は違うと思う。

厳密に言うとネズミたちがワニの死を受け入れたのは100日を過ぎている。

ならタイトルは「105日間生きたワニ」とかにならないとおかしい。

そもそもネズミたちがワニの死を受け入れたからってワニが「死んだ」ことになるのもおかしい。ワニは彼らの心の中で生きているのだから。

 

ただ、百箇日自体は真実に近い気がする。

ワニとネズミは初詣に行っておみくじを引いているので、彼らの世界にも「仏教」がある事が分かる。

そして仏教の教えには「輪廻転生」がある。

仏教において、この地獄・餓鬼・畜生・修羅・人間・天上の六道の世界から抜け出すには、仏の教えを守り、善行に励まなくてはいけない。人間は、これ以上の転生がないという精神的にも肉体的にも浄化された解脱に達し、仏となるまで、永遠にこの世とあの世を生き続けないといけないのだ。

 

『100日間生きたワニ』に登場するキャラは全員、動物。つまり畜生である。

彼らは和気藹々と生きているが実は非業の死を遂げた者や恨みを訴えようとして死んだ者が転生したのだろう。

ワニは再び死んでしまった。ワニは死後の裁きを受けなければならない。

本来であれば死後49日目で来世に生まれ変わる世界の判決が下されるが、決まらない一部の死者は100日目で再び裁きを受けることになる。その間、死者は不安定な空間を彷徨う事になるが、エンドロールでワニがやたらと白い世界にいたのはもしかしたらこの空間にいたことを表しているのかもしれない。

 

そして残念ながらワニは地獄に堕ちることになる。

なぜなら彼は嘘をついたからだ。

地獄に落ちる基準の「悪」とは、現世の法律の上での「悪」ではない。

仏教の根本的な5つの戒律を破ることをいう。その「五戒」は以下の5つ。

1.「不殺生」=生き物を殺さない
2.「不妄言」=嘘をつかない
3.「不倫盗」=盗みをしない
4.「不邪婬」=享楽に溺れない
5.「不飲酒」=酒を飲まない

 

そして原作では27日目に親からの電話で「彼女は?」と聞かれて本当は欲しいのに「いまはいいし」と嘘をついている。このやり取りは映画でもあり、同じく彼は嘘をついた。

地獄行きである。

つまり、100日間生きたワニとは「ワニが死んであの世のこの世の境で彷徨い続けた100日間の事であり、最終的には地獄に堕ちてワニとしての存在が終わってしまう」事を意味しているではないだろうか。

ワニの行き先地獄説。

はい。

 

最後に

「100日間生きた」の意味を知りたくて、原作本を繰り返し繰り返し読んだせいで頭がおかしくなったのかもしれない。

参考にさせてもらった本

 

 

有名な俳優や声優たちが声をあてているが、皆ハマっていてよかったと思う。カエルを演じた山田裕貴なんてあんなにもウザさを表現していて凄かった。これから山田裕貴の声を聞くだけでイラッとしそう。

 

色々書きましたが、ネットで叩かれるほど酷い内容では決してないので、コロナで暇を持て余しているなら是非、観て欲しいと思う。

あなたが考える「100日間生きた」の意味を教えて欲しい。