ポケットモンスター メガネ/黒髪ワンピース
きみはどっちだ!?
原作:乙野四方字(ハヤカワ文庫刊)
『君を愛したひとりの僕へ 』(以下『君愛』) 監督:カサヰケンイチ 脚本:坂口理子 制作:トムス・エンタテインメント
『僕が愛したすべての君へ』(以下『僕愛』) 監督:松本 淳 脚本:坂口理子 制作:BAKKEN RECORD
【ストーリー】
これは人々が“並行世界”を行き来していることが実証された 〈ふたつの世界〉の〈ひとつの物語〉
この記事は前半はネタバレなしで書いてます。ネタバレ領域になると注意書きがありますのでまだ観てない人はそこまで読んでどちらを先に観るか参考にしてもらったら幸いです。
『君愛』『僕愛』
ジェネリック新海誠作品みたいなビジュアルでポケモン商法という中々あくどい感じを最初に感じてしまうかもしれないが、観たら分かる。ジェネリックに失礼なぐらい映像は新海誠作品より貧相だし
映像の使いまわしは結構あるが、それぞれ制作会社は違って独立したストーリーではあるのでポケモン商法でもないことに。
ジェネリック新海誠と言っている人は宣伝ポスターの雰囲気とかをさしているのは理解しているが、一応補足すると原作の乙野四方字による同名小説が2016年6月刊行なので『君の名は。』公開より2か月ぐらい早いのだけ覚えていってください。
『僕愛』『君愛』は並行世界(パラレルワールド)の関係性である。原作が2016年なので並行世界(パラレルワールド)という言い方だが、今風で言えば「世界線が違う」とか「マルチバース」と言った方が分かりやすいかもしれない。『君の名は。』というより知っている人は知っている名作アニメ映画『HELLO WORLD』みたいに意外とSF重視な作品である。
本作最大の特徴は前後編やシリーズ1,2という形式ではなく、2作同時公開な所だろう。どっちを先に観てもいい。
そうなると、どちらを先に観るか悩む人も出てくるだろう。しかし、都会住みではない僕には悩み必要がなかった。原作は小説なので2作同時刊行でも良いが、今回は映画なので重大な問題が発生するからだ。
幸せな気持ちになりたいなら『君を愛したひとりの僕へ』から
切ない気持ちになりたいなら『僕が愛したすべての君へ』から
見る順番によって結末が変わる2本の映画どっちから観る?と宣伝してるけど、僕の場合、近場の映画館はただでさえ上映数少ないのに一気に観ようとするとスケジュール的に全部『僕愛』からになっていて切なくなる事を強いられていたのである。
僕らに選択肢なんてないんだ。映画館のスケジュール次第なんだ。
皆には映画館のスケジュールには左右されず、断固たる決意の元、どちらかを選んで観て欲しい。
ではここから実際に映画を観て、原作小説も読んだ僕が、『僕愛』『君愛』を先に観たらいいか問題に答えようと思う。
まず、どちらを先に観ても物語の内容が変わる訳ではない。言うほどアハ体験もない。観る順番によって後味が異なってくるだけだ。正直な話、どっちでもいいというか、最初にみたヒロインに感情移入しやすいので眼鏡か黒髪ワンピース、どっちか好みかぐらいで決めたらいいと思う。
また『僕愛』『君愛』、どっちもSF色強いんだけどSF設定への理解に自信がない方は『君愛』を先に見た方が分かりやすいと思う。『僕愛』は『君愛』で序盤から説明されるSF設定を土台としてかなり発展していくので、先に『僕愛』を観ると分かり辛いと思うか、終盤まで何だこの話?と退屈に思うかもしれない。『君愛』は専門用語は多いが、やろうとしている事は映画『バタフライエフェクト』的なので古典SFで縦軸が分かりやすい。
しかし、SFという洪水の海に一気に溺れたい人は先に『僕愛』がオススメ。僕も個人的にはこっちの方が好き。
まぁただ、基本的には『君愛』→『僕愛』だと物語全体を見据えての終わり方をするので良いと思う。
ここからはネタバレありで書いていくよ。
ネタバレあり
『僕愛』と『君愛』はパラレルワールドだが、基本的に『君愛』世界線が『僕愛』世界線に一方的に干渉してるだけである。
- 幼少期に犬が生きている世界に行き、和音とのきっかけを作る
- 栞との約束を果たす為に交差点に行く予定を作る
- 『僕愛』世界の和音に対して交差点に行くのを協力するように依頼する手紙を残す(これ原作にはない要素)
こう見ると『僕愛』は出題編で『君愛』が解答編なイメージをもつが、映画だともう一つの世界線のダイジェストが流れるため、出題編解答編という関係性ではない。ただ、このダイジェストが本作で一番ひどいと思う。まだ『僕愛』で流れる『君愛』のダイジェストは自然挿入だけど、『君愛』で流れる『僕愛』のダイジェストは明らかにそんなに尺を取る必要性が感じられず、本当に酷い。「さっき見た……」となる。しかも5分ぐらい長々とやる。思わず時計見てしまいそうだ。
あと、ラスト。『君愛』世界線の暦はなぜ爺になって死にかけるまで『僕愛』世界線に移動しなかったか。これは原作は読めば分かるが、暦は自分が栞に会ってしまうと栞を不幸せにしてしまうと思っていた。故に暦と栞の関係性がない世界線に行く必要があったが、「今」暦と栞が出会ってない世界線でも、未来で暦と栞が出会う可能性も0ではない。だからこそ、暦と栞が出会い、関係性が出来る可能性が0になるように、例え暦と栞が出会っても暦がすぐ死ぬ、余命宣告され、死期が迫っていたタイミングを狙っていたのである。
並行世界の自分が死にかけるの待つ。これが『君愛』世界線の暦が選んだたった一つの不器用な答えなのである。
また、暦と栞は『僕愛』世界にタイムシフト、分かりやすく言うと過去に戻ってその世界の自分と合体しており、『君愛』世界の時の自我はほぼ消えている。『僕愛』世界の自分を乗っ取っている訳ではない、決して世にも奇妙な物語であったババアが孫の身体乗っ取りエンドではないぞ。
あと、原作では交差点で「私はだれかを待っている」で終わった『君愛』に対して映画オリジナルラスト展開の「結婚しよう」みたいな終わり方いる?蛇足じゃないか?送り出した和音だけが切なくなっちゃうやん。
僕はメガネヒロインが好きなので和音が好き。暦が歩むどんな世界でも隣に必ずいる和音が好き。いくら両親がその道の研究者だからって自分は別の世界線から移動してきたと堂々と嘘つく和音ちゃん。かなりおもしれー女である。友達になりませんかで笑い倒れる和音ちゃんに恋したよ僕は。
というか『僕愛』から『君愛』を観てしまうと栞のポッと出の印象が消えないんだよな。
最後に
本作でよく叩かれる声優に本業ではなく俳優を多めに使っている問題。
和音演じる橋本愛さんはよかった。学生時代から大人になるまでの声質の変化も良く出来ていた印象。暦は『僕愛』の感情が少ない演技の時は気にならなかったが、『君愛』の感情の起伏がある時は気になる。あと、水野美紀さんはうー----んとなる。その道のプロフェッショナルな割にはたどたどしい。
大体4000円4時間かかる映画なので、全く人には勧められないが、まぁサブスクとかに入ったタイミングで観て欲しい。サブスクならどっちを先に観るかも選びやすいし、映画館よりサブスク向けな企画な気がする。
総論で結構酷評してしまったが、この可能性世界線が重ね合わせた世界では、多分絶賛している僕もいるハズなので、是非その感想を読んでみてくれ。