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映画『カラオケ行こ!』感想レビュー。人の青春時代のトラウマを壊してくれる男、綾野剛

どうして僕は中学生時代に綾野剛と出会わなかったのか

今回取り上げる映画『カラオケ行こ!』は変声期の訪れに悩む合唱部の部長がヤクザにカラオケに誘われることから始まる青春エンタメ作品である。

 

「カラオケ」「合唱」「声変わり」と僕の3大トラウマをえぐった映画でもある。

「社畜くん、つられるから歌わないで!」と「コラー男子!文化祭の準備サボらないで!」みたいなノリで真面目な女子に叱られた中学生時代の音楽の授業。サボってないのに怒られてしまう。それまで自分が別に音痴だと思ってなかった僕はこれをキッカケに「あれ?もしかして僕って音痴なのか…?」と悩むことになる。歌の練習したくても当時は今ほど「ヒトカラ」がメジャーではないので中々1人でカラオケに行き辛いし、友達も少なかったので誰かとカラオケに行くことも出来なかった。家もマンションだったので歌の練習など出来ず。合唱では口パクの技術ばかりで上昇していった。

 

「声変わり」もそうだ。僕は2月生まれの早生まれだったので成長が同学年の中では遅い方で運動能力やあらゆる事が無能だったのを、身長が低いことを利用して「可愛い」で乗り切ろうとしたら誰よりも早く「声変わり」だけ来てしまって身長低いのに声だけおっさんというどうしようもない感じで「え…こんな声なの」とドン引きされたのがトラウマで声を出すことが怖くてドンドン寡黙になっていった。

 

そして「カラオケ」

高校ぐらいまでは音痴でも口パクで問題なかったのだけども、大学で交流の輪が広がると出てくるのが二次会で「カラオケ」という地獄の定番。この文化嫌い過ぎてチェンソーマンに食べて欲しい悪魔NO1である。「僕音痴なんで…」と断ってもまたまた~~っていってマイク押し付けてくる奴を末代まで呪ってやりたい。しかもこのカラオケ文化は大学生特有でも何でもなく社会人になっても普通にある。しかもしかも部長とか偉い人にスナックに連れていかれるともう終わりである。何で2万とか3万とか出して更に歌わないといけないねん!!!!

損して損!!!

こんな事ばかりなので嘘寝の技術やトイレに引きこもる技術、どうしても逃げられない時はハッパ隊のYATTAを踊ることで歌うことから逃げた。逃げてばかりの人生。アメトーークで運動音地芸人がよく「ヤラセ臭い」と批判されるができる人はできない人の出来なさを理解出来ない。

 

おそらく原作者の和山やま先生も監督の山下敦弘さんも脚本の野木亜紀子さんも『カラオケ行こ!』という作品でこんな誰かのトラウマ抉るとは思っていなかっただろう。僕もタイトルの時点で「これは地雷っぽいな」と観る気はなかったのだけれども、「でも地雷かもしれないからこそ、観たら忘れられない映画になるのでは」と思い直し、観ることにした。そして本当に観て良かった。そんな映画である。

 

まず、主人公の中学生役である齋藤潤くんが凄い。可愛い。合唱部でソプラノ担当しているのに声変わりの影響でどうしたらいいのか分からず1人で悩むのも分かる分かるってなるし、そして何よりもやはり最後の「紅」だろう。齋藤潤くんによる声変わり時期にしか歌えないあの「紅」あの叫び。

完璧なソプラノじゃないかもしれない。でも、だからこそ、僕の心を打つ。

子供から大人になるまさかに最中。その1瞬1瞬。喉に負担がかかっているのがよく分かるその歌声。完璧じゃない。美しくもない。でも、気持ちが伝わってくる。その歌声。青春の終わり。

僕も口パクとか寡黙になるんじゃなくて、自分の変化を受け入れて叫ぶべきだったんだと今になって分かる。音痴だろうが何だろうが歌うべきだったんだ。

そして僕が欲しかったのは一緒にカラオケに行って音痴でも歌を聞いてくれる、聞かれても恥ずかしくないと思えるそんな友人だったんだなって。結局、心開いてない相手に自分が歌う下手くそな所を見られたくない聞かれたくないからカラオケが嫌だったのだ。カラオケ部屋という秘密を共有できる閉ざされた空間で、「音痴」という自分の弱点を晒けだし、共に成長しながら、チャーハンを食べたり、雑談したり。カラオケって部室みたいなもんなんだなって。

この映画『カラオケ行こ!』はそんな僕は欲しかったモノ、経験したかったことが全部あったんだなって。羨ましいなって思いながらも心はどこか軽い。

 

端から見ると合唱部の練習という青春としてお決りの部活動ではなく、ヤクザとカラオケに行くというどう考えても時間を無駄にしているようにしか見えない事でも、それこそが彼にとってのかけがえのない青春で、大切なモノだと分かるあの「紅」

シャッターが閉じた商店街やヤクザや古い映画。そういう失われていくものと青春って似ている。無くなるモノかもしれない。でも、自分の人生において大切な1ページだったと思い返す事ができる。

 

そして綾野剛。

僕の最近の綾野剛って実写版『幽☆遊☆白書』での目と眉毛と口の可愛いさと身体のゴツさのバランスが悪すぎるで定評のある戸愚呂兄弟だったので本作の黒スーツヤクザをみると

めっちゃ脚長い。長くないか!!!????ってなる。

『カラオケ行こ!』は原作人気が凄いのでそれぞれのヤクザ像を作り上げてると思うけど、映画版『カラオケ行こ!』の「綾野剛が演じるヤクザ」も凄い。思ってたヤクザと違うけど、これはこれで凄いアリ!!!となると思う。別の角度からの魅力がある。カッコいいのと可愛いとチャーミングと色気のバランスが凄い。僕はカラオケ嫌いだけど、もし中学生時代に綾野剛にカラオケ誘われていたら、それ以降2度会えなくても「また会えるかも」と淡い期待を胸にカラオケに度々通う事になりそうなぐらい、良いな…となる。

僕は人見知りなので人とは距離を開けるのだけれども、心のどこかには寂しいという思いもあって、この綾野剛はその距離がなかったかのように隣に座ってヘラヘラ絡んできそうな感じが、鬱陶しくも「好き…♡」になる奴である。完全に都合の良い女なのかもしれないが「綾野剛をほっておけない!!」となってしまう魔力が本作の綾野剛にはある。恐ろしい男だ…!!!!

 

最後に

映画を観たあと、10年ぶりくらいにカラオケに来た。別にこの映画を観たからって僕の青春時代が報われた訳じゃない。それでも、熱い想いがこみだしてくる。それを腹の底から叫びだしたい。

紅だあああああぁぁぁああああああああっー!!

 

高音無理すぎるだろ…!!!!!

誰か、カラオケ行こ。