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『2分の1の魔法』感想。この映画に「全力少年」は合ってなくねって話

ディズニー/ピクサー最新作『2分の1の魔法』を観ました。

映画自体はとても面白くて、近年のディズニー/ピクサー映画の中でも好きです。

私は吹き替え版を観たのですが(というか吹き替えしかやってない)

主役の兄弟を演じる志尊淳さんと城田優さんのコンビは滅茶苦茶良かったですね。

 

ただ、母親役の近藤春菜さんが日常会話などはよくてもアクション時などは少し違和感があったのと吹き替え版主題歌だったスキマスイッチさんの「全力少年」は合ってないなと思ってしまいました。

勘違いして欲しくないのは「全力少年」自体は名曲ですので耳障りもよかったのですが、映画のテーマとは合ってないと私は思ってしまいました。

 

ただ、『2分の1の魔法』と「全力少年

なぜあってないのか。

それが『2分の1の魔法』を語る上で大切な事だと思いましたので、そこを重点的にこの映画の感想をネタバレありで書いていきたいと思います。

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あらすじと概要

妖精たちが暮らす不思議な世界――。
美しい大自然を背景に、ユニコーンのような角を持つ美しい白馬のペガサスが空を飛び、色とりどりの尾びれを持つマーメイドたちは自由を謳歌し、神秘的な魔法が満ち溢れている・・・がそれは、はるか昔の話。科学や技術が進化するにつれ、小人や妖精たちも便利な世界に慣れ、この世から魔法は消えてしまった―。
いまや空を飛ぶのはジャンボジェット機。美しい白馬のペガサスは“野良ペガサス”となり、街の地べたでゴミを漁る迷惑な存在に―。

主人公は魔法が消えかけた世界に暮らす魔法を使えない内気な少年イアン。
イアンは自分が生まれる前に亡くなった父に一目会うために、好奇心旺盛な兄のバーリーと共に、魔法を取り戻す冒険に出る。

 亡くなってしまった親ともう一度会うために魔法の力で復活させるもののそれは中途半端な存在だったというプロットは『鋼の錬金術師』やん!って日本人ならなりそうですね(主語デカ発言)

映画のパンフレットでダン・スキャンロン監督はこう語っています。

「物語は、私自身と兄との関係と、私が1歳の時に亡くなった父との繋がりが発想のもとになりました。父は私たちにとって、常に謎でした。家族が父の声が録音されたテープを贈ってくれたのですが、そこに入っていたのは「こんにちは」と「さよなら」の二言だけだったんです。でも私と兄にとってそれは魔法でした」

そのまま『2分の1の魔法』です。本作は失ったモノにもう一度会いたい。そんな夢のような事に対する監督の願望が反映されているのかもしれないですね。そして同時に本作は、兄に対する感謝と、兄弟愛に満ち溢れています。

 

 

『2分の1の魔法』と「全力少年

 

全力少年のサビの歌詞は

積み上げたものぶっ壊して 身に着けたもの取っ払って
止め処ない血と汗で渇いた脳を潤せ
あの頃の僕らは きっと全力で少年だった
セカイを開くのは誰だ?

それまでの歌詞は「泥水の中を今日もよろめきながら」「染み付いた孤独論理」「呪文のように仕方ないとつぶやいた」のように悩みが中心だったモノがサビで一気に解放されます。

私たちは生きていく中で、経験や学習というのは悪い面がないように感じます。そこから自分の経験を積んでいったり、世間に馴染むための常識を身につけたりします。

「積み上げたものぶっ壊して身につけたもの取っ払って」というフレーズは“そういった経験や学習で得てきたものをリセットしてみてはどうか?”と私たちに問いかけてきます。

 

子供の時の私達は何者にも縛られず自由で、自分に出来ない事はないと無限の可能性がありました。それが大人になり、自分で自分の限界を作り、自分の中での物差しを用意する様になってしまいました。

ただ、それで良いのかと問いかけます。

「セカイを開くのはいつだって全力の行動」ではないかと。

 

では『2分の1の魔法』ではどうでしょうか。

本作の邦題は『2分の1の魔法』ですが、原題は『ONWARD』

つまり「先へ」という意味。ある一定の所に向かって進行が継続することを示す意味です。

恐らくディズニージャパンさんの会議中に

「ジャストアイディアなんだけど、前に進むというアセットは全力少年ぽくね?」「確かに、起用するとインフルエンサーさんたちにも注目され、バズマーケティング的にも良さそう」「じゃ主題歌にしよう!」

みたいな話し合いがあったと推測できます。

 

父と会うために先に進む物語。

ただ、本作は父と子の物語である一方で、兄弟の物語でもあります。

f:id:Shachiku:20200822144107j:plain(C)2020 Disney/Pixar. All Rights Reserved.

↑左が弟イアンで、右が兄バーリー

 

イアンは自分が生まれる前に死んでしまった父親に憧れています。彼は善良な少年ですが、自分に自信がなく、勇気がなく、引っ込み思案。そして、父親がいてくれたら自分の人生はこれほど厄介ではなかったと思い込んでいる所もあります。

 

そんなイアンに対して、ガサツで自信家。自分の直感を信じ、猪突猛進するのが兄のバーリーです。

バーリーは歴史を愛し、魔法を愛している。しかし、あまりにも歴史に目を向けているため、現実では厄介者扱いされてしまいます。

 

家の中では勝ち組に見えるが、外では負け組。

イアンも心のどこかでバーリーのことを疎ましく思っている所が垣間見えます(気持ちは分かます。誰だって兄弟を疎ましく思う時はくる)

この映画の兄弟の関係性はかなり『シング・ストリート 未来へのうた』っぽいなと思いました。

シング・ストリート 未来へのうた(字幕版)

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  • 発売日: 2017/01/10
  • メディア: Prime Video
 

 

私の好きな漫画である『BLEACH』にこういう名言があります。

兄貴ってのがどうして一番最初に生まれてくるか知ってるか? 後から生まれてくる弟や妹を守るためだ!!

 よく分かるけどよく分からない名言なのですが、それを体現しているのがバーリーなのだと思います。

 

だからこそ父親と再会するのは、イアンではなくバーリーであった意味があると思います。

イアンにはバーリーがいましたが、バーリーには誰もいないんですよね。なぜならバーリーは「兄貴」だから。

だからこそ、バーリーにこそ父親と再会し、今度こそ「お別れ」をする必要があったのだと感じられます。兄貴とはいえ彼だって若い、救いは必要です。

 

そしてイアンは旅の終わりにTo DOリストを見て、いつだって自分がバーリーに支えられ、勇気づけられていた事に気づきます。

イアンは父親を亡くしたけど、父親の代わりになってくれていたのがバーリーだったんですね。

この気づきが旅で得たモノだったのです。

 

つまり、全力少年」とは今までの積み重ねをぶちこわし、少年のように前に進むという内容だったのに対して、

『2分の1の魔法』は前に進むのも大事だけど、本当に大切なモノは目に見えないだけで君の周りに存在するよ。

 

というテーマに齟齬があるように感じられました。

 

最後に

文句も言いましたが、映画自体は滅茶苦茶良かったのでオススメです。

そしてこの映画は兄弟のいる子供が観るとより「来る」と思いますので、親御さんは是非子供を映画館に連れて行って下さい。私はこの映画を観て感動したものの、もはや修復不可能な兄との関係を思い出し、辛くなりました。

世の兄弟は手遅れになる前にこの映画を観て欲しいと心の底から思います。

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↑劇中のイアンが書く文字も「全力少年」と同じような文体で綺麗過ぎて違和感しかないですね。

 


【映画レビュー】『2分の1の魔法』感想。この映画に「全力少年」は合わない【VOICEROID解説】