FF14を孤高プレイをしていてストーリー目的で最初に積むポイントが「大迷宮バハムート」だと思う。
ルーレットではマッチングしないし、CFメニューから直接選んで申請して60分ぐらい待っても自分だけしか待機してなくて絶望するのだ。
「いつかクリアしよう」後回しにしてそのままクリアしない人が続出しているらしい(脳内調べ)
しかし、我々は不老不死ではないので、永遠に全てを後回しにすることは出来ない。
タイムリミットはある。
暁月のフィナーレシナリオ担当である石川夏子さんによれば6.0までにやっておいた方が良いダンジョンに大迷宮バハムートの名前があがってしまったのだ。
大迷宮バハムートのもう一度、立ち向かう時がやってきた。
今回はその感想をネタバレありで書いていく。
新しい蛮神が出てきたという事で調査することで、現地で待っていたのは
ア、アリゼー……?何を言ってるんだ……?一緒に「紅蓮のリベレーター」では冒険したり、泳いだり、命を守ったり、守られたり、女子会を開いてキャキャウフフしたり、最近では僕(ヒカセン)への依存度が高くなりすぎてて心配になることすらあるアリゼーだろ!???
いや、頭では分かってるんだ、これは過去の話で今ではない。でも、それでも、寂しく思ってしまう。そうか これがそうか この掌にあるものが
心か
アリゼーの物語
劇場版主人公、アリゼー。
アレキサンダーのクエストでこれは劇場版『ファイナルファンタジー14 時空のオーヴァークォーツァー』と表現したけど、本作も劇場版みたいなノリである。
来期で登場予定だけど先行して劇場版に出るものの、本編に登場する時と比べて性格も戦闘スタイルも変わっている主人公タイプである。
新生編の序盤においてアルフィノとアリゼーは互いの方向性に違いを感じ、別々の道を歩みことを決めた。
アルフィノは、過去に囚われず、エオルゼアという祖父が命懸けで守ってくれた土地を守り、よりより良い方向へ導いていくことが祖父の志を継ぐことになるという考えをもち、暁へ参加し、ヒカセンと行動を共にする。
一方でアリゼーは祖父への想いがより深く、過去に想いを馳せていた。
バハムートとルイゾワとの戦いの結末は根性版こと「旧FF14」という過去のもの。
第七霊災を経ても、人類は争いを続けており、蛮族問題もあり、各国が不安定。
カルテノーの戦いの後、人々の記憶が曖昧になったという事もあり、誰もがルイゾワに、旧FF14に目を向ける人はごく少数しかいなかった。
言葉や式典などで過去への敬意はあれど、それだけではアリゼーにとって納得のできるものでは無かった。
そして、アリゼーもアルフィノと同じく、この時点ではまだ傲慢で、自信家で自分の行いが正しいとを信じて疑わない性格だったのだろう。ヒカセンのことを「私の剣」扱いである。
僕がよく知っているアリゼーは紅蓮で一緒に行動してから多くの行動を共にするようになってからで、そこでの彼女は「直情的で感覚派だが、仲間想いでアルフィノが好きで、ヒカセンが大好きな芯の強い子」というイメージしかなかった。
ただ、それはヒカセンと共に大迷宮バハムートを攻略し、祖父の想いを知り、カルテノーの戦いの真実を知って変わった彼女だという事を知った。そしてヒカセンの事を好き過ぎる理由を知った。
↑それぞれ別の道、ジョブを選んだ今の二人なら出来ない合体技。同じ魔導書装備をこの為だったのか
↑本人たちは真剣だけど、ちょっと面白い
そしてそれを経てのアリゼー「あなたは、わたしがこの地で一番初めに見つけたかけがえのないものだから」「いつか私がエオルゼアの『剣』となってみせる」発言。
僕はアリゼーがエオルゼアにとってかけがえのないのない剣になっている事を既に知っている。
いや、もう感無量です。
↑そりゃ、ヒカセンのこんな表情になるよ
ルイゾワ
「第七霊災の真実」が明かされた。
それは、バハムートの封印失敗後、メテオの落下により大ピンチになるが、ルイゾワが「大魔道士は伊達じゃない!」とその場に残ったエーテルと皆の祈りのパワーで蛮神フェニックスと化し、メテオを押しかえすだけでなく、バハムートを物理でぶっ倒したのだった。
しかし、この力は祈りとか願いによるものだし、これが世間に広まると奇跡への祈りが新たな蛮神を生んでしまうので、封印!!!という話。
これがメインシナリオでも全然おかしくないのに、初心者と孤高プレイヤーが読むのに一番難しいダンジョンになったのは、この真実が明かしてはならないものだからなんですね。
バハムートが人に滅ぼされてそれを悲しんだドラゴンがバハムートを蛮神として復活させる、ただしそれは他の蛮神同様に怒りと復讐によって作られた幻想のバハムートでしかない。そしてその蛮神に対抗するのは同じ蛮神しかないというこの世界のシステム。
そのシステムを壊す事が出来るのが我々ヒカセンなのだが、祈りや願いが力となり、蛮神となるこのシステムでは救いを求める声がいつか信仰にすり替わっていき、蛮神・ヒカセンになってしまうのでは!?という疑問が出てしまう。それが暁月のフィナーレに関係してきそうなしなさそうな。
それにしてもカルテノーの戦い=旧FF14の比喩にも見える。
人々の記憶から消えていき、今では絶望だった事しか印象がないのかもしれない。
それでも、あの戦いは、今のFF14があるのは間違いなくあの軌跡があったからで。それは当時からの先輩プレイヤー達と今、遊んでいるプレイヤーだけがその事実を知っていて密かに引き継がれていく……より良いエオルゼアにしていく為に。
最後に
大迷宮バハムートを攻略するにあたって、孤高だとどうしようもないので、制限解除でレベルの暴力でクリアしていった。
しかし、侵入編3,4がクリア出来なくて、どうしようもなく泣く泣く勇気を出してパーティー募集をかけた。
見知らぬ人達と定型文だけのやり取りで助けてもらいながら攻略し、侵入編4をクリアし、長いムービーを終えると「ムービー楽しんで下さいね」という言葉と共にパーティー抜けている人がいて、ほぼボランティアで参加してくれた上にその優しさ。あったけぇなって。僕は孤高だけど同時に人の温かさに飢えている化物なので……
ストーリーが「人類は愚か、滅ぶべし」という敵の主張に対しての主人公側の「それでもっ!守りたい世界があるんだっ!!」にいつもなら乗り切れない事が多いんだけど、そういう温かさに直に触れる事が出来たのでアリゼー側にバリバリ感情移入しながらクリアできて良かった。こういうのがMMOの面白さだなと改めて実感。人と人との緩い繋がりの面白さを知る事が出来たのだ。
そうか これがそうか この掌にあるものが
心か
知らん女と成仏。