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アニメ映画『犬王』感想。想像したより微妙。それでもヒットして欲しい理由

開こうぜ、感性の毛穴

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監督は『四畳半神話大系』や『映像研には手を出すな!』の湯浅政明

脚本をドラマ『逃げるは恥だが役に立つ』や『アンナチュラル』の野木亜紀子、キャラクター原案を松本大洋、音楽を『あまちゃん』の大友良英、原作は小説『ベルカ、吠えないのか?』や『平家物語』の現代語訳で知られる作家の古川日出男が手掛けるなど豪華な座組になっている。

しかし、豪華な座組によるアニメ映画といえば『バブル』を思い出してしまって逆に良くない。

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そして『犬王』も期待してたほどでは……となってしまった。

製作陣は豪華だけど、故に上がってしまったハードルに対して作品が飛び越えられないって映画あるあるだと思う。

ここからはより詳細な感想を書いていきたい。


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異形の子として生まれて蔑まれた犬王と、幼い頃に父と自らの視力を失った友魚。二人はバディとなって埋もれた平家の物語を大衆に語ることで室町時代のポップスターとなっていく……能楽ミュージカルアニメーション。

 

 

音楽というのは繰り返し聴くことを前提に作られていて、聴けば聴くほど耳に馴染み、演奏や歌詞を深く深く理解できる。そして1曲でも理解できるとアーティストの他の曲なども横断的に理解でき、好きになっていく。ある漫才師が「漫才は同じネタを何回もするとこの前見た奴……と客に思われるが、音楽は定番曲を擦り続けても客のテンション上がるのズルい」と言っていた問題である。単純接触効果ともいわれる。

繰り返し接しているうちにどんどん好きになるのはなぜ? | 日本心理学会

 

漫才と同じで映画というのも基本的に「一回性のエンタメ」である。気に入った映画を阿呆みたいに何度も何度も観返す人はネットに大勢いるが、基本的には一期一会、少なくともそれを前提に作られたコンテンツである。

 

そこで音楽映画だ。音楽は「反復のエンタメ」だが映画は「一回性のエンタメ」なので一発で観客の鼓膜を震わせなければならない。それは非常に難しいので『ボヘミアン・ラプソディ』のように既存のアーテイストで既存の曲を使うのが最近の流行だ。映画を観た後でサントラを聴き、また映画を観たく(聞きたく)(参加したく)なる。

刺激的で斬新に感じる演奏、とてつもなくキャッチーで深みのある歌詞、口ずさみやすい音程、ポップな曲調。短時間で膨大な音情報を詰め込んだ楽曲の数々は「サントラが欲しい!」と思わせる。『君の名は。』のように劇中歌に力を入れている映画も同じことがいえるだろう。

 

 

その点、『犬王』はどうなのか。

日本の伝統芸能となった能楽をロックやダンスで描く。


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伝統芸能の常識をぶち破るパフォーマンスで新時代の“ポップスター”

なぜ室町時代の琵琶法師がロックをやってるんだろう?湯浅監督はこう言っている。

時代の先端をいく新しい音楽をやっていたという設定にして、あえて現代的な音楽に聞こえるようになるといいと思ったんです。(中略)ロックにしたのは、やっぱり反抗というイメージがあったから。下層から這い上がる感じゃないですか?当時はいまよりそういう感覚が強いですね。上にいくには芸事を極めるか、功を立てるしかないような。そういう場合にはヒップホップとかじゃなく、ロックなイメージになる。

確かに、室町時代に斬新で革命的な音楽を表現したかったのはわかる。

作中でも繰り返し「新しい」と称されるものではあるけれど(そりゃ室町時代に生きてる人がいきなりロック聞いたらビックリするのは分かる)、ただ現代だと単調で今までに聞いた事ある古めなロックに聴こえてしまうのはどうなんだ。もろにクイーンやジミ・ヘンドリックスである。印象に残る劇中歌は「鯨」ぐらい。劇中の客の高揚とあんまりシンクロできない。

あと、画面に存在してない楽器の音色が聞こえるのもノイズ。嘘でもいいからそれらしい楽器を登場させて欲しかった。

何よりも橋でのシークエンスが同じメロディの繰り返しで「まだか……」と思ってしまった。正直、音楽映画で歌とダンスのシーンが長く感じてしまうのダメなんじゃないかと。曲をもう少し増やすか、犬王と友魚、2人のやりとりにもう少し尺とってほしかったな。

湯浅監督も「急展開で歌が始まる時に観客がついてこれるかがカギ。ちゃんと歌詞を聴いてもらえれば大丈夫と思ってます」と言ってるけど、僕の耳がよくないのもあってあんまり歌詞が聞き取れないんだよな。切実に字幕欲しいと思った。

フェス映画であってフェスではないのだから字幕欲しい。

アニメーション、音楽、ストーリーの中で一番音楽が弱いな……って。

 

 

アニメーションは本当に素晴らしい。

特に盲人の友魚が微かに感じる世界や、手で感じ取る世界の描写がキレキレである。

台詞過剰な昨今のアニメにはない、湯浅監督の感性で横溢したイメージ力にただただ心地よく溺れる感覚。

犬王の動きなど、湯浅監督による極端に歪曲されたパースは唯一無二の面白さ。

ただそれに比べてライブシーンになると、途端に躍動感が失われてしまう。また、どこかで見たことあるような既視感ある演出が増える。『夜は短し歩けよ乙女』で学祭ミュージカルの時も同じようなことを思った。難しいのは分かるが‥。まぁ犬王が人間の体に戻っていくにつれてアニメーションのダイナミズムが失われていくのは意図どおりなのかもしれないがちょっともったいない感ある。

 

そして犬王のお面を取った時の顔、あまりにも安っぽいヴィジュアル系バンドだったけど、異から凡になってしまったという事なのかな。まぁこういうのはいくらでも理由付けできるけど、「仮面の下はイケメンだった」はセオリーである。わざわざそんなセオリーを外すのはシチュエーションは違えど、人気覆面キャラの素顔を「美形なら顔を隠す必要もないだろう」とクソジジイにしてファンから滅茶苦茶クレームがあった『るろうに剣心』の外印を思い出す。(えっ、松本大洋先生に世間一般が考えるイケメン顔を求めてはいけない?それはそうかも

 

 

平家物語』や『鎌倉殿の13人』のような歴史モノ*1を期待すると音楽シーンが長く感じるし、バディものだとあまりにも2人の関係性描写が薄いし、かといって音楽を期待して観るとそれはそれで満足できるのか僕には分からない。音は好みなので上記にリンクを貼った劇中歌を聴いて「良いなぁ」と思った人は全編通して楽しめるだろう。あとはアニメーションとアヴちゃんと森山未來さん目的だと堪能できると思う。

 

 

最後に

友魚と犬王の型破りなロックは、南北統一に向け世の平静を望む朝廷に波紋を呼んでいく。本作は決してハッピーエンドではない。歴史モノあるあるの諸行無常エンドである。

 

「奪われていく者たちの物語」

これまで湯浅監督や野木亜紀子が語り続けてきた物語でもある。

奪われ続けた友魚は「自分の人生と犬王と過ごした日々」を映画を見ている僕達に語り伝えたことで、自分の名を思い出し、ようやく犬王も彼を見つけることができたんだと思う。

 

それにしてもこういう座組が豪華で野心的なアニメ映画より『五等分の花嫁』のような原作に忠実で作画もそこそこのアニメ映画の方がヒットしてしまうのが個人的には寂しい。

色々不満も書いたけどやりたいことは分かるし、誰かに刺さる映画だと思うので、僕の好みは別にして『犬王』はヒットして欲しい。基本的に音響が良いところで観て欲しい映画なので劇場向け。

ヒットしないとSNSにいる一定の層が「隠れた名作」扱いで大袈裟にマウントとってきて鬱陶しそうだし、賞受けは良さそうだから日本アカデミーのアニメ映画賞とかにノミネートされて「なんでこんな無名な映画がノミネートされてんだ」と一部層が怒ってそれを見てファンが更に怒る地獄絵図を見たくないのでそういう意味でもヒットして欲しい。

 

湯浅監督は「サイエンスSARU」代表を退任して本作の後は休養を挟むとのこと。お疲れ様でした。出来る事なら次回作も楽しみにしています。

 

 

最後に一言

パンフレットが意外に高くて(1400円)知らずに買うと会計時に「えっ」てなるよね。

(パンフの中身は最高)

 

 

*1:半年の間に3回も壇ノ浦の戦いを見ることになるとは思わなかった。世は空前の平家滅亡ブーム