TBSドラマ『わたし、定時で帰ります』が始まって普段から定時で帰っていた事務のおばちゃんが「わたし定時なんでかえりま~す」と吉高由里子のモノマネしながら帰るようになって殺意が沸く毎日。
そんな大きすぎるマイナスがありながらも個人的には今期で一番面白いドラマだと思っている『わたし、定時で帰ります』は世の社畜の方々には是非観てもらいたいヒューマン社畜新世代ドラマだ。
今回、このドラマが現代で放送された事の意義と意味を私自身の身の回りの変化を中心に書いていきたい
仕事環境の変化と時代の変わり目
最近は「働き方改革」のお陰で、ノー残業デーなるものが週に2日も出来たり、残業自体あんまりしないようにお達しがきたりして少しずつではあるが、仕事とプライベートの距離感が変わってきている事を実感する日々である。
ただ、今まで日付が変わるまで仕事をしてた事も多かったので実際問題、早く家に帰って何をするのかという問題にぶち当たる。
私は映画鑑賞を一応趣味にしているので映画とか観ようと思うのだが、仕事終わりに二時間ぐらいかかる映画を鑑賞する闘気が中々わかない。
なので一時間ぐらいで終わるドラマをネトフリとかで観ようと思うのだが、12話ぐらいあると思うとそれも精神が折れてしまう。
結局、youtubeで10分ぐらいで終わるなんでもないような動画を見たり、テレビでつまらない番組を観たりして一日を消化していた。
物語を消化するのってとても疲れる行為だと思う。
観ていると感動や怒りなど感情の振れ幅もあるし、集中するという行為も疲れる。
映画とか観ながら、ながらで本を読んだり、飯を食べたりソシャゲをしたりしてもどれも中途半端になっている気もしてそういうスタンスで消化していい作品じゃないと中々出来ない。
そんな無気力な毎日なので、ぼーとしながら将来の事など考える時間が増えたのだが、
本当にどうしようもない。
絶望だ。
恐らく出世なんていうものには無縁だし、仕事も毎日毎日嫌で嫌で仕方ないし、満員電車に乗りながらぎゅうぎゅうで何も出来ずただただ、痴漢に間違えられないように周りに気をつける毎日。
子供の頃から何かこれを頑張った!という確固たる自信のようなモノは皆無だし、友達とも言える人との関係も少ないし、いい歳しているのに異性との健全な付き合いも無く、学問やスポーツに精進することも無く、知識も年を重ねる事に取り返しのつかないまでに欠乏し、肉体も衰弱する一方でありながら、今まで仕事が忙しいという事でそれらの事から目を背けていた。逃げていたのだ。
そんな私が、仕事に逃げる事が難しくなり、自分自身と向き合うように社会から宣告された訳だが、どうしらいいのか正直分からない。
取り敢えず今までのように映画とかドラマやゲームをより集中できるようにこのブログを始めた訳だが、最近段々ブログのために映画みるという本末転倒な事になってきていて、これで良いのかと迷う日々である。
私と同じように急に残業が出来なくなって困っているおっさん達は結構いて飲みに誘われる事は増えたが、ハッキリ言って飲み会大嫌いなので空気も読まず断りまくっていたら最近は誘われないようになりました(飲み会で私の悪口大会始まってそうな不安はありまくりて胃が痛い)
おっさんになるとお酒大好きになる人が増えると言うが、原因は分かってきた。
精神が摩耗しないからなんだと思う。
仕事終わりに趣味とかで行動するのは中々疲れるが、お酒は飲んでしまえば後の時間は消化できる。
一日がラクに終わるのだ。
また、仕事での嫌な事を一時的でも忘れられたり、不安を紛らわす事が出来る。
私も本来はそっち側に行きたいが、生憎私はお酒が好きではない。コーラで酔えれば解決するのだが。
こんな仕事帰りの時間を楽しめないのは元々日が変わるまでずっと働いていたあの日々の所為だと思う。もはや遅くまで働くように身体が出来てしまっているのだ。
多分は今はそのリハビリ期間なんだと思う、少しずつ少しずつ自分の時間を楽しめるように心を直している期間なのだと。
働く意味と『わたし、定時で帰ります』の意義
働き出すと恋人が欲しくなりませんか?
なぜなら働いている意味が欲しくなるから。
これが子供の頃からやりたかった仕事だったりしたら違っただうが、イヤイヤやっているような仕事だと、一体何のために働いているのか自分の中で柱が欲しくなる。
本当に一体何のために働いているのだろう。
この仕事を後何十年働けばいいのか。こんなにも毎日自分を摩耗させているのに。
これが彼女でも出来れば彼女のために頑張れるのかなとか思いながら、出会いなんて全くない職場だし、婚活とかする元気も勇気もないので結局は何も行動することはなく、ただ歳を取るだけの毎日。
そんな事を考えているとこのドラマ、『わたし、定時で帰ります』に出会った。
TBSドラマは今まで『半沢直樹』の大ヒットから『陸王』や『下町ロケット』など池井戸潤原作の所謂社畜ドラマが放送しまくっていて、特に『下町ロケット2』で残業嫌いの軽部というキャラが最終回で笑顔で「よし、残業だぁぁぁぁ」と言ったり、どちらかというと「やりがい搾取」を推し進めるドラマが多かった印象だったが(誤解ないように書くが、この軽部のシーンは私が人生で初めて残業という台詞で感動するほど、エンタメ的に素晴らしいシーンであり、素晴らしい社畜ドラマであることは疑いのない事だ)この『わたし、定時で帰ります』では180度変わり、「やりがい搾取」を全否定している。
このドラマについては以前、あまりにもリアル過ぎるクソ上司こと、ナチュラルサイコパスであるユースケサンタマリアさんを中心に1度書かせてもらったが、
第四話で吾妻という夢もやりたいこともない、だから仕事をして気を紛らわすためサービス残業をしていた人物にスポットライトが当たる。
よくあるドラマであれば、最終的に吾妻が仕事=生きがいという価値観を取得し、達成感に酔いしれながらエンディングになる事が多いと思う。
ただ、このドラマは違う。
「夢・目標を持て」という成功者の意見に押しつぶされそうになっている吾妻に対して「私は給料日を楽しみにしているよ」と断言した結衣(吉高由里子)
仕事していると将来の目標とか様々な意識高い事に飲み込まれて疲れてくるし、不安になってくるけど正直、目の前の給料を楽しみに頑張った方がモチベ上がる気がする#わたし定時で帰ります pic.twitter.com/Lf4HDO5ZSk
— 社畜のよーだ (@no_shachiku_no) 2019年5月7日
給料とは生きる為にあるもの。仕事の為に生きるのではなく、生きるために取り敢えず働くのだと教えてくれる。
私のような仕事に対する情熱や信念、意味を見失った人に気づかせる「給料日」の存在。夢がなくたって生き甲斐がなくたって目の前にある「給料日」という言葉は私たちの世代には染み渡る。
そしてそれをテレビドラマで放送した事に意味があると思っている。
確かに昨今はネットの影響力はすざましいが、世代によっては限定的で、部長階級の人達やそこら辺のおっさん達にはまだまだテレビの力は偉大だ。
そんな人達に現代の仕事とプライベートの距離感のカタチを知って貰う大きなチャンスがこのドラマだと思うし、テレビも「やりがい搾取」だけではなく、様々な仕事とプライベートの距離感を取り上げてくれるスタンスに変わりつつあるのは嬉しい。間違いなく今が転換期なんだと思う。
私たちの世代はちょうど旧体制と新体制の間に社畜になってしまったのはある意味悲劇かもしれないが、それでもまだまだ長い社畜人生、少しでも良くなっていく事を祈るし、私自身、そんな新しいライフスタイルに適応できるように変わっていかなければならない。
最後になったが、将来どうなるかなんて全然分からないし、不安でしかないけど取り敢えず給料日に王将に行って食べる餃子は美味しいし、そんな小さな幸せ一つ一つを大事にして死にたくなるような仕事をするのも悪くないのかも知れない。取り敢えず今日はコーラを飲もう。