早く新一は蘭にスマホをプレゼントしてあげてください。
原作やTVアニメの松田刑事はガラケーだったのに映画の回想だとスマホになっていたぐらい時空の流れが乱れているコナン世界の中で現役女子高生の蘭は未だにガラゲー。
新一からもらった大切な携帯電話だからこそ、ガラケーから抜け出せないのは分かるが、「ガラゲー持ちの女子高生」のやばさが年々増してきているそんな2022年、モスクワが沈没した翌日。
警察学校組
今でもハッキリ覚えている。
昨年のコナン映画のエンドロール後に、
松田「おい!おまえら!出番だってよ!!」残りの警察学校組「おう!!」
の声が聞こえるや否や劇場内の女性ファンから「ワッ!」と歓声が上がったのだ。
警察学校組の人気はかねてから聞いてはいたが、この時身をもって実感した。
映画の感想に入る前にまずは警察学校組についておさらいをしたい。
警察学校組とは、同時期に警視庁警察学校に入校した降谷零・松田陣平・萩原研二・諸伏景光・伊達航の5人のこと。
彼らはアニメだと(降谷だけの登場は話が多すぎるので除外)
304話 揺れる警視庁(松田、萩原)
681話〜683話 命を懸けた恋愛中継(伊達、降谷)
836話、837話 仲の悪いガールズバンド(降谷、スコッチ)
866話、867話 裏切りのステージ(降谷、スコッチ)
で活躍(またの名を死亡)しているので映画を見る前にここだけでも見て欲しい。全話アマプラで見れる。
警察学校組の由来は『スーパーダイジェストブック90』のQ&Aにて
Q55.降谷零・松田陣平・萩原研二・伊達航・スコッチは警察学校の同期かつ同年齢ですか?
という質問に対し、作者の青山剛昌先生が
同期だとは思うけど。
と答えたことから
警察学校組は降谷以外全員死亡しているために、なんでここまで人気が出たのか分からない人も多いと思う。正直僕もコナンカフェ2018で青山先生の直筆で初めての5ショットを描いてファンが感涙しているのをTwitterで見て彼らが人気なのを知った。
警察学校の同期という関係性、ほぼ殉職しているという悲劇性、描写が少ない故の想像性などが人気の秘訣かもしれない。
そしてそんな警察学校組の中で唯一生き残っている降谷こと安室の人気。
彼がメインの劇場版『名探偵コナン ゼロの執行人』は興行収入91.8億円とコナン映画の興行収入を一気に引き上げた作品である。プロデューサーの近藤氏も
「安室をメインにしたところ、彼の人気が大ブレイクしまして。なので、僕個人としてはもう二年おきに安室を出したいぐらいの気持ちなんですが、そういう訳にもいかないので(笑)
というほどである。
近年のコナン映画の中では1番好き
最近のコナン映画は人気キャラクターの魅力でグルングルン展開していくのが恒例だが、それ故に「人気キャラの見せ場」を優先したことによる散漫さなどの弊害があって、コナン映画として見ると満足度あるけど、1本の映画だと思うとうーんとなる出来になる事が多い。前作の『名探偵コナン 緋色の弾丸』でもそれは顕著だった。
しかし、『ハロウィンの花嫁』はキャラ人気だけに頼らない内容で映画としてみても良かった。
脚本の大倉氏は犯人探しよりも「なぜ」「何があった」「それでどうなる」「どう繋がっていく」を重視しているように思えるが、道中の伏線が一本に繋がっていく気持ち良さがある。
それでいて登場するキャラが多すぎて捌ききれないと思いきや、冒頭で見せ場作ってサッと退場させる小五郎の扱いや、普段の映画では脇役Aぐらいの存在感しかない白鳥警部や千葉刑事にもスポットライトをきちんと当てるその巧みさ。「米花町はクレイジーな街」など合間合間に入るギャグのセンス。久しぶりに「キミがいれば」がBGMで流れてから「行けーコナンくん!」の最高に盛り上がり、応援上映いつですか?
あと思ったより降谷や警察学校組がガッツリのメインではなかった。あくまでも高木と佐藤がメインな映画。
そんな中で予告ではほぼ主役みたいな扱いだった降谷だったが、本編ではあくまでも公安として暗躍していく影の主人公タイプ。それでいて警察学校組の影が薄い訳ではなく、同期4人でプラーミャと対峙するシーンのそうはならんやろ→なっとるやろがい!!のアクションシーンや、ラストの『007 スペクター』のようなヘリコプター内でのアクションなど見応えも抜群。
そして萩原だけ活躍ねーなと思ってた所にやってくる「実は会ってました系」の回想シーンとそれを聞いている時の降谷の表情。受け継がれていた技術。『純黒の悪夢』では松田の爆弾処理技術が降谷に受け継がれている描写があったが、本作ではコナン君に萩原の技術が受け継がれる。
自分以外にも彼らが生きた証が受け継がれている事を知って、降谷も嬉しかったんだろうなって思う。
「それが大切な思い出なら忘れちゃダメです。人は死んだら、人の思い出の中でしか生きられないんですから」
高木のこの言葉を思い出す。
警察学校組の出演は決して長くはないシーンだが、その使い方と尺が完璧だったと思う(小学校1年生のコナンくんが生前の萩原と会っているという年齢的矛盾があるエピソードを降谷に言うのはリスクあるけど、そういう匂わせが出来る関係性にまでなっているのかもしれない)
コナンくんと降谷の関係性は執行人を経てじゃないとこうはならなかった感もある。
『ゼロの執行人』ではコナン君を動かす為に小五郎を利用するなど、駆け引きしまくっていたコナン君と降谷だが、今回は駆け引きなしで真正面から向き合って協力する関係まで前進しているのは『ゼロの執行人』経たおかげだなという歴史を感じられて好き。
そして何よりも首輪型爆弾がいつ爆発するが分からないから降谷が公安の核シェルターにいるのは分かるが、その高貴な椅子はどこから用意したんだ!?自前か!?という疑問で面白かった。
月光
「真空超電導リニア大爆発脱線」や「マリーナベイサンズの爆破」などに比べると本作の被害はかなり抑え目。事前に予想したヒカリエの爆破もなかった。
東京リベンジャーズ→渋谷のハロウィンで若者同士の乱闘、人が死ぬ。血のハロウィン
— 社畜のよーだ (@no_shachiku_no) 2021年12月1日
呪術廻戦 →渋谷のハロウィンで大量に人が死ぬ。いわゆる渋谷事変
次の劇場版コナン→ 渋谷のハロウィンでヒカリエとか大量に爆破しそう。ハロウィンの花嫁
ハロウィン時期の渋谷は閉鎖した方がいい
ラストの渋谷救出シークエンスの絵面も地味。渋谷大爆発という規模の大きさ、それを食い止めようとする行動の規模の大きさに対して、ベルトを引っ張るという地味さ。*1
しかし、それを協力してくれるのがロシア人という「今」だからこそ感じるニュアンス。
そしてそのロシア人たちは最初は復讐のため、人を殺すために日本にやってきた。
コナン君はその復讐を止めようとする。
人を殺させない、死なせない。
ここ ピアノソナタ『月光』殺人事件を彷彿とさせた人も多いと思う。
コナンくんが唯一、犯人を死から止める事が出来なかった事件で「推理で犯人を追い詰めて、みすみす自殺させちまう探偵は殺人者と変わらない」という理念を強くしたコナンを代表する話である。
コナンくんは犯人の浅井成実に「あなたの父親はあなたに真っ当に生きてほしいって言ってる」と説得するものの、それが聞き入られることはなかった。
コナンくんってずっとあの時なにを言ってあげれば、何をすれば死を止めることが出来たのかずっと考えていたのだと思う。そしてその答えが
抱きしめること。
言葉だけでなく、そっと気持ちに寄り添い、抱きしめる。
それがコナンくんの答え。
そしてロシアの復讐者は目を覚まして、自分達と同じ経験を他の人にはさせないとベルトを引っ張る。誰かを殺す為ではなく、救うため。
人種や国を超え1つになる。
それは今だからこその映画だったのだと僕は思う。
最後に一言
「毛利小五郎は麻酔に耐性がついてきている」まさかこれが後に重要な伏線になることに、この時の僕らは気づかなかったんだ。